- Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344032705
感想・レビュー・書評
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下編にて
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とても楽しい本だ。70年代の香りと青春の息吹が本書全編に漂う。
1975年のヨーロッパ・ロシアに迷い込んだような思いを持った。「私もこのような体験をしたかった」と心から思わせてくれる本だ。
しかし本書の出版は2018年。著者はよく詳細に覚えていたものだと驚く。いやいや佐藤優氏は優れた小説家なのだろう。
小生より7歳年下の佐藤優少年の青春の旅はまだ途中である。共に旅する感覚で読む下巻もまた楽しみである。 -
この本を読めば、観光旅行だけの旅はもったいないと思うようになるかもしれませんね。
旅先で出会う人との交流が旅の醍醐味の一つだと実感できます。
「旅の過程にこそ価値がある」スティーブ・ジョブズ
「旅は真の知識の大きな泉である」ディズレーリ
「他国を見ればみるほど、私はいよいよ私の祖国を愛する」スタール夫人
「旅をすることは、他国に対する間違った認識に気づくことである」クリフトン・ファディマン
先人の残した旅に関する名言ですが、本書でもこうしたエッセンスがちりばめられています。
とはいえ、大昔の旅行談ですので、かなりの脚色が入っているのは間違いありませんが、博覧強記であるのは確かでしょうし、15歳で社会主義国をみてやろうという好奇心と実行力はやはり圧巻です。
旅行代理店の船津さん、ハンガリーで夜学に通って日本語を習得した本屋の青年、文通だけでこれだけ深い友情を育んでいたフィフィとその家族たちなどの出会い、さらに飛行機やレストランで一緒になった人たちは、例外なく一人旅の日本人の若者に好奇心を抱き話しかけてくる・・そうした一期一会のはずの人間関係がどんどん広がっていくが、確かに、そこでの会話が彼の精神の核を形作っていく。
例えば、混雑したレストランで同席したハンガリー人から夕食をおごられたことを知り、支払おうとすると、レストランのフロアーマネージャーが「いつか僕たちが日本に行ったら、その時は君が日本料理をおごってくれ」などというやり取りからも何か得たものはあるはずです。
また、社会主義国の人間が資本主義国の人間と仲良くしているのは当局ににらまれたりトラブルに巻き込まれたりするのに、これほどよくしてくれるのはなぜだと文通相手のフィフィに聞くと「何が許されるのかどうかは両親はよくわかっている。両親はマサルを通じて僕に世界は広いということを伝えようとしている」という答えも、自分の息子の見聞を広めたいと願う親はどこの世界も一緒だということなのでしょう。
筆者の父親は息子を君付けで呼び、あたかも欧米のように、自分の子供ながらも一人の対等な人間として接しているのがよくわかりますが、要所要所ではきちんと物事の道理や善悪について的確なアドバイスをおくっています。
こう考えるとやはり、15歳の社会主義国一人旅を許した(というよりも推奨)親もすごい人ですよね。 -
[図書館]
読始:2018/9/15
読了:2018/9/20
読むと、自分の子どもにも「10代で海外を経験してほしいなぁ」と思えてくる。そこから逆算して、小学生のうちに飛行機旅行や、想定外のことが起きた時の対処法を身につけてほしいとか、テストの点より英会話ができることを優先していけるように気をつけたいとか、色々考えてしまう。
周りの大人のフォローが素晴らしい。こんな先生や大人が、自分の中学・高校時代にいてくれたらよかったのにと思う。
中学時代、情報系の職業に就きたいから商業高校の情報処理科に進みたいと言ったら教師や両親から罵倒に近いことを言われた。なぜなのか少しも理由は説明してもらえなかった。「いい高校」「いい大学」を自ら蹴るなんて馬鹿だ、お前は何も分かっていない、というようなことしか言われなかった。
高校で勉強できること、大学で勉強できること、をきちんと自分の言葉で説明してくれる大人はいなかった。たとえばこの本で旅行中にポーランドで出会った日本人女性のように。
「英語が苦手」と言いつつ行く先々でスイス人、ポーランド人、ハンガリー人、イギリス人などとコミュニケーションをとりまくってるのがすごい。
「社会主義国は労働者のやる気がそがれてサービスの質が悪く物資も不足し、経済が停滞している」というイメージを覆される描写が多かった。
入国前の手続きが非常に面倒だったり、電車も数時間待ちだったり、ホテルの予約をとるのにも国営旅行社に行って数時間待ちだったり、ということも確かにあるのだが、国によっては個々人の生活水準は日本よりも高かったりする(ハンガリーなど)というのが意外だった。
「東欧」でひとくくりにされている国々も、実際にその中に入り込んで見ると様々な違いがあるということも、当然だけれども今まで考えたことがなかった気づきだった。
p. 267 「(ハイパーインフレの時)紙袋に山のように紙幣を入れて買い物していた。また、タバコがお金の役割を果たした。」
p. 419「インツーリストやレストランなど、1日の拘束時間が12時間を超える職場は、すべて1日おきに仕事をしています。ですから、明日のレストランの予約を今日取ることはできません。ただし、明後日、4日後の予約ならば今日取れます」
校正が適当だ。
「天動説を唱えたコペルニクスの像だ」(p. 135)いやコペルニクスは地動説だろう。
フィフィが1960年生まれの作者の2つ年上(p. 213)ならば1958年生まれになるはずだが、フィフィのお母さんが1956年のハンガリー動乱のときに「生後間もないフィフィを抱いて祈っていた」(p. 262)と言っており矛盾している。
東ローロッパ(p. 298)ちょっとシュールな響きだ。 -
上巻が面白い。
旅の準備から東欧での出来事は
一人旅の醍醐味が詰まっている。
やがてソ連に入ってしまってからは、
出来上がった 外国人観光客おもてなしシステムに乗っているだけで、臨場感がない。
その分、政治的思想的背景のやりとりを増やしたのは賛否があるところでしょう。 -
面白い‼️
下も立ち読みか? -
この本は上巻と下巻に分かれています。上巻は初めての東欧の単独旅行の苦労話や日本のメディア目線での報道と実際に現地を旅行して感じた違いなどが書かれていて面白く読み始めた。しかし、上巻の後半から下巻にかけて著者の佐藤優氏の主題がはっきりした。私を含めた日本人が、ロシア人および東欧諸国の一般市民について何ら理解していなく、報道機関からの一方的な政治的側面のみの評価で、決めつけていることに気づかされた。お互いがもっと相手のことを、政治視点を抜きに知るべきだと気づかされる。それは私自身の経験と重なる。初めてミシガン州デトロイトを一人旅して、アメリカ人の多様性を認識できた。この大陸は単に様々な人種のあつまりと言う画一的認識では捉えることができないくらい複雑で奥が深い。そこに生きる人々は新聞報道されている繁栄したアメリカとは大きく異なるニンゲンその物を感じた。実際のアメリカの普通市民とのギャップは大きく溝は深く、平和ボケした日本人には到底理解できない。
佐藤優氏は15歳にしてこれらのギャップを感じることができた特別な感性を持っていた。
北方領土問題を歴史的法律論だけで解釈することの危険性や正義と言う感情論での判断の空虚さを今一度見つめ直す時代と思う。
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作者と同じ目線で旅をしている感覚で、観光地ではなく人や現地の生活を体験したいと積極的に会話する。
行く前にきちんと調べて、漏れがないかも旅行会社にチェックしてもらい万全に出発するがやはりトラブルはあるが、持ち前の積極さで乗り切る。国民性の違いも佐藤氏の目線で書いてある。出会う大人全てがこの旅で視野が広がって考え方が変わるが勉強はしっかりしなさい。エスカレーター式の高校じゃなくてよかったよと言っていたのが印象に残る。 -
15歳の著者のコミュニケーション能力の高さに感服。
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