子どものまま中年化する若者たち 根拠なき万能感とあきらめの心理 (幻冬舎新書)
- 幻冬舎 (2015年7月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983878
作品紹介・あらすじ
幼児のような万能感や自己愛を引きずる。異性より親が好きで、いつまでも親離れしない。周囲には認められたいけれど、そのために努力するのは面倒で、日々ささやかに幸せに暮らせればいい-今、そんな、子どもの心のまま人生をあきらめきった中年のように生きる若者が増えている。なぜ先進国の中でもとりわけ日本で、このような変化が起きているのか?子どもから青年までの若年世代を30年以上ウォッチし続けた精神科医による、衝撃のレポート。
感想・レビュー・書評
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自分のことを言われてるように感じた部分もあった。幼いときからのコミュニケーションが大事ってことかな。
でも、これからどんどんネットが生活に入り込んでくると、こういう常識も過去のものになるんだろうか。 -
現役の精神科医が書いたみたいですけれども、どうなのかなぁ…なんか個人的な、若者の印象に終始しているような気がします…。
そもそも僕自身、「精神科医」という職業に対して疑心と言いますか、白眼視している向きもありますので…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
まあ、なんとなく僕も著者の言う「クラゲちゃん」みたいな生き方をしていると思うんですよ…あんまり自分で決めないでこう…漂うように生きていると! 自覚していますよ…。
でも、それでも生きられるのならばそれでいいじゃない…と僕とかは思っちゃうんですけれどもねぇ…現代の、平成生まれの人たちも著者から見れば「モノトーン」かもしれませんけれども、彼らも彼らなりに考えてるはずですし…。
やはりただの若者に対するおっさんの愚痴、をまとめた本だと言えなくもないようです…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー -
1970年頃から摂食障害や境界性パーソナリティ障害、不登校が増え始めた。
不登校や引きこもりの若者たちは、エネルギーや理想像を求める思いが低下している。
コミュニケーション能力に問題があると共に、自分の思いをイメージ化して自分の言葉として伝達することができなくなってきている。物語れなさ。(P92、118)
それは自分自身が曖昧になることを意味し、キレやすさにも繋がる。
おすすめ本
田中康夫 なんとなくクリスタル P155
タイトルの意味は
内向的で、将来への努力をせず、変わろうとする意欲がない若者たちが増えている。
良く言えば、あきらめを含んだやさしさのある生き方を選択する者。
青春を失い、変化を追い求める意欲的な若者画減ったということだ。
→「子どものまま青春をとおりすぎ」てしまった中年のようだと。
それがすなわち、出世を諦め、趣味に生きている中年の守りの生き方 だと著者は言う。
ひたすら若者の劣化を挙げ連ね、昔はよかったというような懐古表現のオンパレードで辟易してしまった。 -
かなり誤解を招く恐れのある内容。多数のデータと共に語られてはいるが、一連のデータは互いに連関性のあるものではなく、ある意味で「どうとでもストーリーを作れる」もの。著者の語りたい方向にいくらでも操作できる。
特に問題があるのが、臨床ケースに基づく議論。臨床現場に訪れる若者は当然何かしら問題を抱えた若者なわけで、それを一般化して語るのはいかがなものか。
また、本書はあれこれ若者の問題を提示はしているものの、肝心の「so what?」がない。つまるところ揚げ足取りばかりしており、じゃあどうするべきかというソリューションが一切ない。あるとしても、ハングリー精神を持てなどの精神論である。こんなことなら巷の昔は良かったオジサン、オバさんも言っています。 -
「群れ」を知らないままの子どもが、「コロナ禍」により未知の変容をしていくと予測できるので、分析を待ちたい。
子どもの養育環境が影響することは当然だが、有名タレントやスポーツ選手と比較することが腑に落ちない。
親に原因があるとするなら、ではその親世代に何ができるのかを考えないと、«自己責任»で終わってしまう。
後半になると「〜という気がする」といった表現が目立ち、さらに自身の既存本と内容が重なるとも書いてあり、尻すぼみの印象を受けた。 -
著者がお医者で、長年の臨床の世界で患者と接してきたことからの経験則が語られてます。症例ばっかりなので飽きてくるかもしれませんが、具体例が豊富なので、想像しやすかったりはします。
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作者は精神科医。戦後すぐ生まれ。若干作者のバイアスがキツイ印象はある。科学的というよりn=1って感じ。あと、何故かこの本はコピーができないのがクソ。引用できねえ。
『動かず、無理せず、多くを望まず、心優しく、不安を抱きつつ、日常を仕方なく生き、文句を言うこともなく、それなりに満足しながら、淡々とこぢんまりとした空間、乏しい関係性、身近な世界で生き続けている』という若者評だった。作者はそれを『中年化』と主張する。途中の考察がバイアスまみれなのだが、自分の直感としてもあんまり誤ってはいないと思う。自分のバイアスと作者のバイアスは似ているかも。
ところどころ精神病の具体例は出るが、基本的には若者批判に聞こえるような話ばかりで鼻につく。作者は若者批判をしたいのではなく、若者分析をしたいはずだが、データでなく自分の印象というバイアスで語っているために批判に聞こえる。
言わんとせんことは意外に面白い。『最近のワカモノはなんとなく不安を感じているが、主体性がないため動けない』など。
だが、(精神科分野はそういうものとはいえ)いかんせんデータに乏しく、印象で語っているという感覚に陥る。科学で語ってほしい。
子どもの価値観のまま、中年のように多くを求めない生き方をする。夢や向上心などに乏しい。 -
情報疲労症候群と言う言葉もある。情報とは異なるが、快い刺激に対しても、量が多すぎると反応しなくなることが、幼児における実験でわかっている。
自分から動くことが少なくなり、生理的な機能も弱まり、主体的に生きる力を弱め、様々の欲求も弱くなり、欲しいものを選ぶ力さえ低下している。これは生物学的なエネルギーや能力が低下していることを窺わせる。
語る力やコミュニケーション能力も低下し漏れることもなくじっとしている。つまり社会的な欲求や能力も低下している。無理せず動かず多くを望まず不安を抱くが日常を仕方なく生き、文句も言わずそれなりに満足しながら淡々と小さな世界で生きている。
これは若者の話として本になっているが、年金暮らしの老人も全く同じと感じた。
語りや説明の乏しさは前頭葉の機能とも相関する(ウィスコンシン・カード)。語りの乏しさは目的に沿ってプランを立てたり、目的を手順よく実行したりする機能(これも前頭葉の機能)にも関連性がある。また、コミュニケーション能力の低下が前頭葉機能の低下とするなら「キレやすさ」にもつながる。 -
メモしたいところ
親元から離れない現象:
・「インビジブル・ファミリー」:直訳すると「見えない家族」。親と子の世帯が歩いていける距離に住むのを「隣居」、片道30分以内にすむのを「近居」。こういった形態で緩やかにつながりながら、経済的・精神的に支えあうような家族の形。若者は身近なところから動かなくなっている可能性が高い。