日本史の謎は地政学で解ける

著者 :
  • 祥伝社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396616311

感想・レビュー・書評

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  • 世界史を勉強しだしてから地政学に興味を持つようになりました。
    その後世界史を地政学から見た本を読みはじめて思ったのが「日本史を地政学でみた本があれば読みたい」

    そこで見つけたのがこの本でした。
    この本を読むと、神武天皇の東征ルートの謎や、なぜ大陸から離れている畿内で日本が発展したのか、天智天皇が白村江の戦を決断した理由、そして近江に都を遷都した理由、国風文化が発展した理由、アメリカのペリーがイギリスが清にやったような無茶をしなかった理由、征韓論が登場した理由などがわかります。

    そして、それぞれの国々の地図上の位置だけでなく、その当時の気候や海流などを知った上で歴史を見ると、こうも目からうろこの事実がわかってくるのかと驚きです。

    平安時代の国風文化と大陸で騎馬民族が元気だったことが実は密接に関係があったなんてびっくりでした。

    以下ネタバレですが、日本という国の特徴がまとめられていました。

    1.外国軍が日本の本土を占領するのは至難だった
    2.日本の重点は西から東にうつっていった
    3.気候変動によって東西の力関係は左右された
    4.徳川幕府は、海を押さえられて衰退した
    5.日本の半島進出は、地政学上のセオリーだった

    これを押さえたうえで、最終節の「中国・朝鮮とロシア」を読むと今の日本のすべきこともよくわかります。
    在日米軍撤退なんてうかつに言えなくなると思う。

  • 中には、ちょっと深読みし過ぎでは? と感じる考察もあり(特に古墳時代とかは著者が主張するほどには日本の全体像は把握されていなかったと思うし、気候変動もそれほど短いスパンで影響を及ぼしたとは考えにくい)、また全体的に右寄りの論調が若干気になったりはしたが、総じて、なるほど軍事・戦略マニアの視点から歴史を捉えるとこうなるんだな、と勉強になった。
    農業の普及と個人主義との関係、といった仮説等も興味深い。

  • 地図とにらめっこしながら楽しんで読めました。

  • 地政学という補助線を引かなければ、歴史は理解できない。歴史学も資料にこだわっている場合ではない

  • いろいろと納得できた。
    やはり歴史は地政学から考えないと理解できない。

  • 西の奈良・京都、東の鎌倉・東京と、政治の中心地が移動した日本。
    なぜ移動しなければならなかったのか、なぜこれらの土地が選ばれたのかといったことが、以前から疑問に思っていました。
    そんな疑問に、「地政学」の視点で答えている本があると知って、読んで見ることにしました。

    著者はミニタリー系のライターとのこと。

    前半は、古代からの近代までの日本の歴史を追って、政治の中心地となった土地の特徴と、権力者はなぜその土地を選んだのかを、解説しています。
    後半は、琉球や対馬他の事例を取り上げ、日本の国境と国防について論じています。

    特に興味があったのが、前半の部分。

    どこに政治の中心地を置くかについて、対抗勢力との関係という視点で書かれているのが、印象に残りました。
    それだけでなく、近代以前は交通の“速さ”で利点のあった水路の利便性や、長い時間軸で見た温度変化と農産物の収穫状況によって、東西や個別の土地の優位性というものが変わってきたのだと、理解しました。

    個別にもっと突っ込んだ解説を読んでみたい部分もありましたが、日本史を俯瞰して理解するという意味で、自分にとって気づきのある一冊でした。

    起こったことを時系列で学ぶだけでなく、さまざまな視点で、歴史を理解する。
    今後も継続して、勉強していきたいと思います。

    『地政学の逆襲 「影のCIA」が予測する覇権の世界地図』ロバート・D・カプラン
    https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/4023313513

     
     .

  • 日本の文化は西→東へと進んできたのも気候の影響、外国から攻め込まれるのも北海道と九州というのも地政学的影響である。歴史上の出来事も地政学的要因から必然としておこった因果律である。モノの流れも瀬戸内ルートが伝えやすかったから東海道、太平洋側が繁栄した。これから歴史も地政学的観点から考えていきたい。

  • 歴史を地理などの視点で見ると、また違った見え方ができるというのは、最近興味を持っている点であるが、本書は、世界的な気候変動と日本周辺の海流や偏西風という、大きな視点も加えて論じているところが特徴。


    ▼日本の気候変更
    ・飛鳥・奈良時代に続き、桓武天皇が平安京に遷都した前後も寒冷化傾向にあった
    ・平安後期から温暖期に入り、にわかに東国が活気づく。この傾向は十三世紀中頃まで続く
    ・鎌倉後期から、また寒冷化傾向が強まり、西国の勢いが増していく
    ・徳川幕府の時代が始まると、強い寒冷期に入り、東国、とくに東北は厳しいダメージを受けた。

    ▼狭い日本を人口大国に、そして近代強国にまでしてくれた独特の水稲作は、日本人から「個人の自我」を奪った。
    ・傾斜地特有の「重力灌漑」に依存→分割不可能な水利系と自作農家が運命共同体になる
    ・個人の自我は、家でも国家でもなく、水利共同体、すなわち「字」に預けられた
    ・ほとんどの日本人がいまでも村的集団への同調圧力に逆らえないのは、このためだ


    <目次>
    序章 西から東へ
    1章 せめぎあう西と東―なぜ、そこに日本の中心が置かれたか?
    2章 日本の成立―西と東はどうやって統一されたか?
    3章 日本外交の採るべき道―国防の必須条件

  • 昨年(2016)地政学という言葉を知り、多くの本を読んだ記憶がありますが、今年は他の分野にも興味を持ち始めたこともあり、地政学、の観点から書かれた本を読むのは久しぶりとなりました。

    元自衛官だけあって、戦争を遂行するにあたって、地政学の応用がいかに重要であることを知っていますね。この本では、今までの日本に大きな影響を与えた事件について、地政学的な観点から考察を加えています。

    歴史好きな私のとっては、歴史学を極めた学者様からは得ることのできない貴重な考え方を示してもらった気分です。

    以下は気になったポイントです。

    ・大陸を開拓してきた人々は、距離のこわさと、補給が生死を左右する仕組みを身に染みて理解しているので、1912年の「スコット南極探検隊」の極点からの帰路で全滅、旧日本軍が南方でおびただしく「餓死」するようなことは無いだろう(p5)

    ・なぜ、神武天皇は、四国の南側に沿って(瀬戸内海を通らずに太平洋経由)紀伊半島南部を目指さなかったのか、これは九州南部の日向灘からいまの静岡県が面する遠州灘にかけての南岸は、一度難破しなら生還が期し難い、舟艇にとって恐ろしい海域であるから。恒常風の西風に、北風が加わり、沖合には強い海流(黒潮)がある(p15)

    ・鎌倉幕府は、当時の温暖気候に助けられて農業生産が急伸中だった「東国」に位置することが経済的に有利で、京都朝廷や自社の引力圏から離れるのも好都合であった、足利幕府は、吉野の南朝と、気候寒冷化で農業が復調化していた「西国」が「反政府」で結託することを封じるために京都で見張り続ける必要があった(p20)

    ・明治元年旧暦11月、最新鋭であった2800トンのオランダ製スクリュー式蒸気軍艦「開陽」ですら、日本海の海象には勝てず、江差海岸で全損している(p24)

    ・日本と朝鮮半島の関係が、けして「英国とフランス」のようにならなかったのは、ドーバー海峡が小舟でも漕ぎ渡ることが可能であったが、日本から半島へは、命がけの覚悟が求められた。畿内に首都を置いたのは国防のため、九州北部に首都を置いたら、列島は二つに分だされる(p30,31)

    ・日本が、京都は大阪を中心に栄えたのは、ひとえに淀川の存在が大であった、また瀬戸内海を「一本の運河」をすれば、淀川の下流域はその「ターミナル船着き場」と見ることができる(p33)

    ・海路遠征が距離をほとんど無視できるのに対して、陸路遠征は距離こそが死活的に重大な意味をもつ、三日分の食量しか携行していない歩兵を10日間強行軍させることは不可能、海路なら寝かせておけるし、食料を搭載した補給船団を随伴できる(p42)

    ・桓武天皇は、何百年も続くヤマト政権のエスタブリッシュメントが地権を抑えている奈良盆地ではなくて、渡来してまだ数世代しか経ていない、水田開発のしにくい暴れ川(淀川水系)にあえた地盤を切り開いていた、百済系新官僚グループを使って、長岡京、そして平安京(洪水リスクがより少ない)へ遷都した(p50、52)

    ・頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは、砂金を産出したうえに、気候温暖化で農業経済が絶好調だった、平泉の奥州藤原氏対策であった。人口は京都に次いだほどであった(p56)

    ・三種の神器が南朝(吉野)から北朝(京都)へ移譲され、南北朝の動乱収拾が見えた1392年は、1200年までの温暖期が嘘のように、中緯度諸国の気候が関連化して久しかったので、奥州方面に強敵が出現する可能性はゼロと信じられた(p58)

    ・現代人の地理感覚では、安土のある琵琶湖東岸はとくに要地という印象を受けないが、東国からもたらされる人・モノ・金は、ほとんどこの土地を通過して京都に入る、東国の最前線である。(p63)

    ・ペリー艦隊は、偶然にも江戸湾の入り口を塞いでしまったことで、江戸幕府に「内陸での持久戦に訴えてでも撃退しよう」という考えを捨てさせた(p75)

    ・新政府は、天皇や朝廷を一体であり、徳川幕府にも実行不能であった関東行幸をさせることもできる、更には、新政府は旧江戸幕府の全対外債務を東京で継承する、ということで江戸市民・外国人を満足させた(p78)

    ・新政府は「遷都」という言葉をつかえず、「奠都(遷すのではなく、新たな都をもうひとつ定める」と公称した、現在まで、正式な詔・国の法令によっても、わが国の首都は東京、と定義されたことは一度もない(p80)

    ・かつて畑作中心であった東国、とくに東北地方を中央(西国)へと服従させたのは、結果として稲作の普及であった(p94)

    ・毛利氏は、石見銀山の採掘権は幕府に取り上げらたが、防長一円の良港の利用税利権・海峡支配権は従来通り安堵された、これは瀬戸内物流ハイウェイの通行料収入をプレゼントされたようなもの、なので密貿易は不要であった(p121)

    2018年6月24日作成

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著者プロフィール

昭和35年、長野市生まれ。陸上自衛隊に2年勤務したのち、神奈川大学英語英文科卒、東京工業大学博士前期課程(社会工学専攻)修了を経て、作家・評論家に。既著に『米中「AI大戦」』(並木書房)、『アメリカ大統領戦記』(2冊、草思社)、『「日本陸海軍」失敗の本質』『新訳 孫子』(PHP文庫)、『封鎖戦――中国を機雷で隔離せよ!』『尖閣諸島を自衛隊はどう防衛するか』『亡びゆく中国の最期の悪あがきから日本をどう守るか』(徳間書店)などがある。北海道函館市に居住。

「2022年 『ウクライナの戦訓 台湾有事なら全滅するしかない中国人民解放軍』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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