- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784406051149
作品紹介・あらすじ
日本は津波(TSUNAMI)の国である。2万8千余の命を奪った近代日本8度の大津波は我々に厳しく語り残している。
感想・レビュー・書評
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「近代日本の津波史」という副題の方が本の内容をよく示しており、津波てんでんこの話自体は少ない(52-54頁とあとがきなど)。しかし津波災害について考えるさいには持っておくべき本だろう。
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本土で発生した8件の津波被災を、章ごとに取り上げる。第6章で1960年の「チリ地震津波」を「地球の裏側から遥遥 昭和のチリ津波(1960年5月23~24日)」(p157-169)をあてる。
主題はエピローグで示されていると、言えよう。
「三陸だけが『宿命的津波海岸』ではない」。「世界でも一、二を分ける津波の国」「体験の風化は恐ろしい」などをまとめて、「自分の命は自分で守る」と、主張点は明確。
題名『津波でんでんこ』の「てんでんこ」。
著者は「てんでん」「てんでんばらばら」の末尾に、「こ」をつけた「地域語」と。
津波が予知されたら、「各自めいめい」「てんでんバラバラに」。それがたとえ親子であろうと、知人であろうと、「津波のときはお互い問わず語らずの了解のうえで」と、解説(231p)。
緊迫感のうえに、永年の伝統が生んだ一語と示す。 -
☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA84672796
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この本を読んでイヤと言うほど痛感したのは、津波が同じ海岸、同じ集落を、数十年から100年ほどの周期で定期的に襲っていること。すなわち、経験したことのない災害ではなく、過去に何度も繰り返されてきた、想定可能な災害であるということ。
復興の時点で、教訓が生かされず、被害のあった場所が再び居住地として利用されるということを繰り返していること。
必ずしも津波に遭った先人の教訓がきちんと伝承されていないこと。「津波てんでんこ」は三陸海岸の住民に以前から伝わっていた言葉ではなく、これから国民全員が肝に銘じるべき行動規範である。
もう一つ、堤防は、ある程度しか効果がないこと (防潮堤が無傷でも、その高さを超えた津波で集落が壊滅的な被害を被った奥尻の例あり) 。
東日本大震災以前にかかれたこの本に書いてあるような、教育、啓蒙が適切に行われていれば、今回の震災でも津波による被害が、また違ったものになっていたのでは? (99.8%が生き残った釜石の小中学生が好い例)
思えば震災から3年以上、ずっと目をそむけてきた気がするが、これをきっかけに、きちんと向き合っていこうという気になった。
最後に、自らも被災し、同年に亡くなられた著者の御冥福をお祈りする。 -
津波の悲劇の歴史を学ぶことができる。結構写真などもあるので、本格的に悲惨さを知りたい人には良いかもしれない。
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3・11東日本大震災の前に出版された本。
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著者は2011年3月11日に陸前高田市の病院に入院中、東日本大震災の大津波に遭遇し九死に一生を得たといいます。
その後、2011年12月13日に氏はお亡くなりになられましたが、郷土史研究家として、三陸で二度三度と大きな被害をもたらした津波について、歴史を紐解き、本書を含む書籍を執筆され、現代に生きる我々に警告を発していました。
紹介されている事例は、明治三陸(1896.6.15)、昭和三陸(1933.3.3)、チリ地震(1960.5.23-24)といった三陸を襲った津波の記載にとどまらず、日本海中部地震、北海道南西沖地震といった記憶に新しいものも含まれます。地域の言い伝えや新聞の記事から悲惨な現場の惨状を今に伝えることで、読者がただしく恐れることを意図しているようです。
愛知、静岡、三重などに被害をもたらした東南海地(1944.12.7)は発生当時報道管制が敷かれて言い伝えが不足しています。高知、和歌山、徳島などに被害をもたらした南海地震(1946.12.21)も同様に、強く語り継がなければ忘れ去られてしまいそうです。
防災と、災害に遭遇したときの対処法を、常にイメージして暮らし、不測の事態に備えていきたい。 -
資料ID:21101805
請求記号: -
453.4 ヤ 登録番号8647