やさしいカウンセリング講義 (大阪経済大学研究叢書 第 56冊)

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  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422113913

感想・レビュー・書評

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  • ☆4(付箋20枚/P277→割合7.22%)

    カウンセリングの時に一番大切な心構えを「純粋(genuine)」であること、と言われることがあります。
    日本語で表現するのが中々難しい言葉なのですけれど、「相手にこう思われかも」「自分はこうでなくちゃ」という感情を、それがあることも含めて受け入れて、何故それが自分に湧き上がるのかを問いかけながら、自然体であるということなのです。
    古宮さんの本はとても自分の内面に素直に切り込んでいて、その自然体の感覚をとてもつかみやすく感じます。

    来談者中心療法で高名なロジャースのカウンセリングテープから、一部のカウンセリングシーンを抜き出して、それに注釈している場面があります。共感した言葉を返すことができて、カウンセリングが進む、進まないとはどういうことなのか、とてもよく分かります。


    ・人間関係はこれほど大切なものなのに、どうすればうまくいくのかについて、両親も学校の先生たちも、誰も教えてはくれません。ですからわたし自身は親や友達や先生の言動から学んだり、さらに自分なりに試行錯誤を繰り返しながら今日までやってきました。わたしたちはまた、テレビ・雑誌・本などのメディアからも、気づかないうちにさまざまなことを学んでいるものです。でも、親も先生も友達もメディアの人たちもみんな等しく悩み、傷つき、それぞれが試行錯誤を続けているのであって、けっして正しい方法を知っているわけではありません。ですからわたしの学んだ答えも間違いや歪みや制限だらけでした。そんな学びしか得られなかったわたしは、やっぱり社会のほと んどの人たちと同じように人間関係でたくさんの失敗をし、衝突し、孤立しながら生きてきました。

    ・素人の悩み相談は問題を解決しようとする。カウンセリングは変化を助ける。 ―中島勇一

    ・カウンセラーに話をすると、自分についてあれこれと考えあぐねることが少なくなります。自分が自然に本来の自分自身でいることが増え、自分がどう思われているかとか、自分らしくいようなどと考えることが減ります。

    ・小学四年生の娘を良く見ると、元気がない。習い事があって、私とも一緒に遊べません。バスケット教室と学習塾は、楽しいと言っている。でも本当に楽しいのだろうか。
    塾に行くと学校で分かりやすいから楽しいと、娘は答えます。
    でも、何のために塾に行き、何のために宿題をしなければならないのか。
    いい成績をおさめ、いい学校を出て、いい会社に入って出世競争…。それでいいのか…。
    そこで、「お休みのときは、みんなで公園に行きたいね。お前はどう?」と聞くと、大泣きしはじめたのです。驚きました。そして「みんなで、公園に行きたかった…」と言いました。本当はみんなで公園に行って、遊びたかったのですが、親が望んでいるからと、我慢しながら塾に行っていたのでしょう。本当に大切なものは家族のつながりなのだなと気づくことができました。 ―あるお父さんの手記

    ・わたしたちは痛みを感じないようにしようと、大量のエネルギーを別の方向に向けたり抑えつけたりします。そうしていまこの瞬間の感情も、いまこの瞬間の自分自身のこともわからなくします。…わたしたちはそれが良いやり方だと思っています。気持ちを感じなかったり、本当の自分自身であったりしなくても大丈夫だと思います。でもそれはうまくいきません。その代償はたいへん大きいにもかかわらず、わたしたちは代償があることさえ否定します。代償はわたしたちの人生です。 ―バーバラ・アン・ブレナン

    ・日本でも米国でも、女性は男性に比べて、怒り、憎しみ、攻撃性といった気持ちを受け入れることができず抑圧する傾向が強いようです。それに対して男性は、寂しさや寄る辺なさ、頼りなさ、悲しさ、などの気持ちを抑圧する傾向が強いようです。
    つまり、女性はどちらかと言うと、腹が立ったときにそれを抑圧して、怒るかわりに悲しくなったりうつになったり罪悪感を感じたりする傾向があります。それに対して男性は、寂しさ、寄る辺なさ、頼りなさを感じたときにそれを許すことができず、かわりに怒りを感じることが多いようです。

    ・わたしたちが本当に感じたり考えたりしていることと、感じたり考えたりしていると自分で思っていることとのあいだにはズレ(ギャップ)があり、それが大きければ大きいほど、わたしたちは心理的に不安定で、不安が大きかったり傷つきやすい状態になる。

    ・こころから幸せになることはつまり、誰かに苦しみをわかってもらう望みも、苦しみの原因を作った(とわたしたちが信じている)人に償ってもらう望みも、他人に対してわたしたちの欲求を満たすよう要求することも、その欲求を満たしてくれない他人を責めることも、わたしたちを傷つけた誰かを攻撃することも、自分の正しさを認めさせることも、すべて手放すことを意味します。また、親から「お前はダメな子だ」というメッセージを受け取ったと感じている人にとって、「わたしは価値あるすばらしい人間だ」と信じることは、親から離れることのように感じられます。それは「親からいつか愛してもらえる」という希望を手放す、とてもつらくさびしいことかもしれません。 そしてそれらを手放すことができないとき、自分でも気づかないところで、幸せになることを拒んでしまうのです。

    ・わたしは以前は、自分の強い感情がカウンセリング関係に入ってくるのを許さなかった。その理由を、「セラピストは来談者の感情や欲求に反応するのであり、自分自身のそれに反応するものではない」「感情的に巻き込まれては客観性を失ってしまい援助できない」などのもっともらしい言葉に帰していた。
    しかし次第にわたしは、他人との関係で感じるわたし自身の感情と欲求を受け入れることができない自分に気づきはじめた。わたしが来談者といるときに強い感情を感じることを許さないのは「良いカウンセリングをするため」ではなく、わたし自身の感情への恐れのせいだ、ということに気づきはじめた。
    わたしは自分の人生において、他人が助けを必要とするときにはできるだけの援助をしてきた。でもそれは、わたしがいつか困ったときにその人からお返しが期待できるときだった。苦しんでいる来談者をわたしが助けても、わたしが困ったときに何かを返してくれることは期待できない。だから来談者といるときにはわたしの欲求を感じないほうが安全だった。
    もう一つの理由がある。もし来談者との関係のなかで傷つきやすい部分をさらけ出したりしたら、悪用されたり攻撃されたり、ひょっとしたら嘲笑されるのではないかと、わたしは恐れていたのだ。だからこそ、来談者との関係において強い感情を抑えていなければならなかった。
    来談者たちはもちろん、わたしがそのような理由から「プロフェッショナルに」振る舞っていることを意識レベルでは知る由もない。彼らから見れば、わたしはあくまで理解的で共感的にふるまうカウンセラーだったかもしれない。でも彼らの意識化においては、彼らはわたしから、「このカウンセリング関係のなかでは自由になってはいけない。自分を解放するな。このカウンセリングでは、自分のもっとも深い感情も欲求も表現してはいけない。危険すぎるから」とダイレクトに学んでいたのではないか。
    と言うのも、わたしが自分の気持ちをコントロールする必要性が減るにつれ、来談者たちはわたしがわたし自身から隔離していた繊細な領域にさっさと入っていき、感情も欲求も恐れることなく自由に感じ語るようになったからだ。 ―オリバー・ブラウン

    ・「息子のことなんですけど」。あるお母さんが話しはじめました。そのお母さんには中学生の息子さんがおられるのですが、ある真冬のころに、クラブの早朝練習だと言って毎朝とても早く家を出るようになりました。ところが、息子さんは本当は早朝練習に行っていたのではなく、パソコンを買うため親に内緒で新聞配達のアルバイトをしていたことが判明しました。お母さんはそれを知ってとても動揺しました。息子さんは雪の降る早朝も、まだ真っ暗なうちに家を出ていました。お母さんは、息子さんからそんな隠しごとをされるほどまでに信頼されていなかったことがショックでした。冬の真っ暗な早朝に雪や氷の車道を自転車で走るのは危険なことでもありました。
    ショックで動揺したお母さんは、ともかく学校のカウンセラーに相談に行きました。ところがカウンセラーは、「立派な息子さんですね」「お母さんはよくそんな立派な息子さんを育てましたね」と息子さんやお母さんを褒めるのだそうです。でもお母さんにとってはショックと動揺をわかってもらえないのでよけいに気持ちが重くなり、逆効果だったそうです。
    …この場合には、カウンセラーは純粋ではなく、カウンセラー自身のなかにギャップがあったのです。彼らは本当は批判的な気持ちや反発心を感じていたにもかかわらず、表面的には、前向きで支持的(サポーティブ)に振る舞っていたのでしょう。
    カウンセリングの見方からは、このお母さんの援助に必要だったのは、聞き手が自分の考えを押し付けたり、聞き手自身と同じ意見をもつようお母さんを導こうとしたりすることではなく、お母さんの気持ちを理解することです。それによって、お母さんは聞き手を徐々に信頼し、彼女自身の本当の気持ちやこころの葛藤に開かれてゆきます。そうしてそのお母さんは「息子が心配だ」「息子に信頼してもらえないのがショックだ」ということが語り尽くせると、やがて(そのお母さんが子離れできていない、という考えが正しいと仮定すると)なぜ自分は子離れできないのか、なぜ今回のことでそこまで気が動転せざるを得ないのか、ということが少しずつ自発的に語られはじめるでしょ う。そして、彼女が子離れできない原因であるこころの傷と葛藤を、情緒的な実感をもって感じ始めるでしょう。そうして癒しのプロセスが始まります。

    ・わたしが米国の病院でグループカウンセリングのアシスタントをしていたときのことです。グループの参加者たちは「わたしはわたし。あなたはあなた」と言葉にしてみてどう感じるか、内面の気持ちを観察する、という活動をしました。わたしも声に出して言ってみました。すると何か違和感があります。より自分の感じにぴったりくるよう言いなおしてみました。すると、「わたしはわたし。あなたは…ちょっとだけわたし」と言いたくなったのです。カウンセラーはそれを受けて、「じゃああなたは他人の人生の責任を引き受ける覚悟がありますか?」とわたしに尋ねました。そんなの、とんでもありません!
    他人と自分の区別がつかないまま他人の援助をしようとすれば、来談者が良くならないと苦しむことになります。そしてその気持ちの源はわたしのなかに根深く巣食っていた、「人を助けないとぼくは価値がない」という自己無価値観でした。
    スピリチュアルに生きる人の特徴の一つは、自分の人生に責任をもち、他人の人生の責任をもたないことだと思います。

    ・ある学生が、「『死にたい』と訴える人に対して、自分がカウンセラーだったらどうするか」について書いたレポートです。
    「ぼくなら、その人の楽しかった経験などを思い出させて生きる気力を与える。来談者に、本当はどれだけ幸せや楽しいことがあるかを気づかせる。さらに、来談者が死ねば親、兄弟、親戚、友達、同僚など、まわりの人がどう思うかを一緒に考える。『死にたい』という否定的な考えを肯定的に変えるのがカウンセラーの役目だ。」
    とても納得しやすい常識的な考えです。きっと多くの人たちがこの学生のように考えると思います。
    でも実際には、もし相談された人が、「死にたい」と本気で苦しむ来談者にこのレポートのような意図をもって接したら、きっと来談者はさらに孤立感を深めるでしょう。「わたしの絶望感の苦しみは誰にもわたってもらえない」。

    ・葬式に参列している人がかならずしも悲しい気持だとは限りません。悲しみを感じていない人や、ひょっとすると「あいつが死んでせいせいした」と感じている人もいるかもしれません。ですから、葬式に出たと聞いて「それは悲しかったね」と短絡的に受け取ったのでは、話し手のことを理解できません。

    ・ロジャースは、聴くこととはけっして「感情を正しく言い返すテクニックを使う」というようなことではなく、カウンセラーのことを「真っ暗闇の森を来談者とともに歩く仲間」とたとえています。カウンセラーが来談者に返す反応は、「わたしたちはいま一緒にいますか?」「あなたがあるいている方向はこちらですか?」と確かめるためのもので、それに対して来談者は「違います」と言うこともあれば、「そうです」と言うこともあるでしょう。

    ・わたしにも経験がありますが、来談者の理想化転移(その人の理想像をある人に投影すること)を受けると、援助者自身の「良いカウンセラーだと高く評価されたい」「信頼され頼られたい」といった個人的な欲求が刺激されます。そんな欲求は、援助者が来談者に向けた依存的な転移反応です。そのときには、来談者に向けてそのような転移反応を起こさざるを得ない援助者自身のこころの葛藤を十分に解決しておくことが必要になります。

    ・では、なぜアンはそもそも理想化転移を起こしやすかったのでしょう?それは親(養育者)を理想化する基本的な欲求が幼少期に満たされずに育ち、そのこころの痛みを癒すことができずに抱えていたことにあると思います。世界は自分をあたたかく愛してくれる場所だ」とは感じられないのです。そのことからくるどうしようもない孤独感、不安、心細さを減らそうとして、「この理想的な人から愛情と関心を注がれ守ってもらえるから安全だ」と思えるような人を彼女は必死で探し求めつづけていたのでしょう。

    ・グロリア9 「わたしには、ありのままのわたしを受けいれてくれるかどうかが心配なんです。わたしは優しい母親像を作っているだけに、自分の暗い面を恥ずかしく思うんです。」

    ロジャーズ10 「なるほど、もっと深刻なわけですね。もし娘さんが本当のあなたを知ったら、あなたを受けいれてくれるだろうか、くれないんではないか、それが心配なんですね」

    グロリア10 「それがよくわからないんです。娘がわたしから離れてほしくもないし、男の人を家に連れてきたりして、もし男の人と二人っきりになったらどうなのか、考えるんです。」

    →ロジャースはこの時点で、グロリアがずっと訴えていた「娘は本当のわたしを受けいれてくれないんじゃないか」という不安をやっと理解し、それを返しています。そのため、グロリアは「グロリア10」で彼女のより内面を語ることができました。カウンセリングの進展です。また、この対話からわかることは、わたしたちは自分で自分のことを受けいれていないとき、「周りの人がこんな自分を知ったら受けいれてくれない」と感じる、ということです。それは「投影」という防衛機制です。

    ・「わたしは嘘を言う人を軽蔑します…」とグロリアが語るように、わたしたちは自分のなかの受けいれていない部分を人に見るとき、その人を拒絶し内心で攻撃します。
    でもそういう裁きの意識は自分自身に返ります。自分自身を裁き、縛ります。そして、裁きの意識はその意識をもつ人自身のいのちの輝きをくもらせ、いのちの力を枯らします。
    裁きや攻撃の意識を変革する最長の方法の一つは、このグロリアのように、癒しの関係のなかで裁きや攻撃の気持ちを十分に語り感じきることだとわたしは思います。

    ・来談者 「自分を変えたい、と思ってこうしてカウンセリングに通っているけど、ぼくは変わったかな?」

    カウンセラー 「うーん…どうでしょうねえ…変わった点はあるとは思いますけど…」

    このカウンセラーの応答はあまり良いものではありません。わたしはスーパーヴァイジーに、「来談者はあなたの答えを聞きたくて質問しているんじゃないんですよ」と指摘しました。でも彼女にはピンときません。そこで、スーパーヴァイジーが来談者の気持ちを理解できるよう、即席の模擬カウンセリングをしました。彼女に来談者役をしてもらい、わたしがカウンセラー役になって質問に答えてみました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「ぼくは五月からずっとカウンセリングに通ってきて、自分じゃ変わったのかな、とも思うし、変わっていない感じもする…どうなのかな…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「変わりましたよ。」

    すると彼女は、「そんなことを言われても本当には信じられない」と言います。だったら、そいうことでわたしが別の答えを言ってみることにしました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(先程と同じセリフを言う)…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「いいえ、変わっていませんよ。」

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(素になって)ええっ、ショック!そんなことを言われたら落ち込みます!」

    スーパーヴァイジーは、来談者になりきって話してみて、来談者がカウンセラーの答えを求めて質問したのではないことを理解しました。この例からわかるように、カウンセラーが「変わりました」と答えても「変わっていません」と答えても、来談者は本当には納得できないし、カウンセリングも進みません。そこで、わたしが違うカウンセラー役をしてみることにしました。

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(先程と同じセリフを言う)…ぼくは変わったんでしょうかねえ?」

    カウンセラー役の古宮 「あなたとしては、『変わらないといけない』と思ってカウンセリングに通ってこられているけど、ご自分がちゃんと買われているのか、不安なんでしょうか?」

    来談者役のスーパーヴァイジー 「(しみじみと自分の気持ちを感じている様子で)…ええ、そうです。変われていないように思うんです。」

    スーパーヴァイジーは来談者役としてさらに話を続けたい様子でした。そのことは、わたしの介入が良いものであったサインだったと思います。

    ・ある大学院生は初めて実習カウンセラーとして働きはじめたころ、来談者から「先生は大学の先生ですか?」と尋ねられました。その大学院生は、その質問が何の表現であるかを考えることなく「いいえ、わたしはまだ学 生です」と答えました。その来談者はそれっきりカウンセリングに来ませんでした。その来談者の質問は、「あなたを信頼してよいかどうかわからない」という不安の表現だったでしょう。

  • カール・ロジャースの人間性中心療法とジグムント・フロイトの精神分析理論、そしてスピリチュアリティをベースにした心理カウンセリング講座。
    よいカウンセリングのためには、カウンセラー自身が来談者からの影響に支配されず、来談者の感情によりそって、ありありと感じながら共感的に受容することが大切なので、カウンセラー自身がカウンセリングを受けることの必要性が指摘される。
    また、精神分析理論に基づく、転移や抵抗による対話の変化は、それと理解して対応することが有効だと感じた。
    来談者の話が、最初は、誰かやいつか、どこかのことだが、カウンセリングの深まりによって、いま・ここの自分のことに移ってくるというのは、なるほどと思わされた。
    09-119

  • 傾聴ということをよく言われる。
    しかしそれはただ聴くのではなく、共感的に相手の感情を味わいながら聴くということだと、本書を読んでつくづく思い知った。
    カウンセリングに興味のある人、またはすでに関わっている人も、もう一度見つめ直すために読むといいのではないかと思う

  • 転移についてわかりやすく、丁寧に書かれていて、とても参考になった。

  • 22/7/23 70
    素人の悩み相談は問題を解決しようとする。カウンセリングは変化を助ける。

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著者プロフィール

著者について
大阪府立大学総合科学部卒業。米国・メリーランド州立 フロストバーグ大学大学院 カウンセリング心理学大学院修士課程首席卒業。米国・州立ミズーリ大学コロンビア校より心理学博士号(PhD. In Psychology)取得。米国にて、州立カウンセリング室子ども課で常勤心理士、病院精神科で心理士等として勤務する。また、州立ミズーリ大学コロンビア校心理学部にて教鞭を執る。日本に帰国し、大阪経済大学人間科学部(臨床心理士養成第一種指定校大学院・公認心理師大学院)教授、ニュージーランド国立オークランド工科大学心理療法学大学院客員教授、および心療内科医院でカウンセラー、(NPO)ストレスカウンセリング・センターで開業カウンセラーなどを経て、現在はカウンセリング・ルーム輝(かがやき)代表。
著書は『一生使える!プロカウンセラーの傾聴の基本』(総合法令出版)など約30冊。

「2022年 『プロカウンセラーがやさしく教える 人間関係に役立つ傾聴』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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