ダダ:前衛芸術の誕生 (知の再発見双書 138)

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  • Amazon.co.jp ・本 (142ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422211985

作品紹介・あらすじ

「ダダ」とは、1916年に抽象絵画および前衛詩の分野で起きた突発的事件である。それは、あらゆる「主義」の枠組みを超えた、すべての芸術的価値に対する反乱だった。この熱狂的で過激な反乱は、やがて登場するすべての「前衛芸術(アヴァンギャルド)」の模範となることになった。

感想・レビュー・書評

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  • 1916年、トリスタン・ツァラがチューリヒで始めた前衛芸術運動「ダダ」についての本。
    第一次大戦に参戦しなかったスイスでだからこそ実現した芸術的反乱だ。この頃、たとえばフランスでは、芸術家の肩身も狭かったようだ。

    小さな本だけれど、カラー図版が豊富で、世界各国での展開、シュルレアリスムとの関係などももれなく解説してくれていて濃い。

    本書を読むまでは、ダダとシュルレアリスムというのはいちおう別個の運動だと思っていたが、想像以上に、後者は前者の二番煎じ的な運動であったことがわかった。

    自動筆記についても、ツァラはそれほど無意識に重きを置いておらず、そこを拡大解釈したのがシュルレアリスムの父アンドレ・ブルトンだった。

    あるいはその点でも人によって意見が分かれるのかもしれないけれど、少なくとも本書の著者マルク・ダシーはそうした立場。彼の文章の端々からは、ブルトンに対する嫌悪がびんびん伝わってきて可笑しかった(し、共感もした)。

    ツァラとブルトンが決定的に袂をわかったのは、1921年春、アカデミー・フランセーズ会員・代議士・作家のモーリス・バレスを「精神の安全の侵害の罪」で模擬裁判にかけたとき。
    じつはこれはブルトンの発案で、「裁判」という発想をツァラは良く思っていなかった。

    ツァラは模擬裁判中、ブルトンを嘲弄しはじめた。
    「私は裁判というものを、まったく信用していません。たとえそれが、ダダによる裁判であってもです。裁判長殿、あなたも私と同じくお認めになるでしょう」

    筆者も書いているが、まさにこれ。ブルトンの本質を言い当てている。

    いずれにしても、こうした前衛運動に足を突っ込んでいた芸術家のなかでは、圧倒的にマルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアがわがアイドル(彼らはニューヨークにおけるシュルレアリスム運動を支えた)。

    ピカビアはわりと運動を引っ掻き回しにかかっているが、デュシャンはあくまで孤高。

    「ダダは、否定と抗議でした。私はそれに、あまり興味が持てませんでした。個人的な否定は、否定するものを、ただたんに従属させるだけです。一方、集団的な否定はなにも意味しません。ダダは死んだ形に反対していましたが、おそらくすでに死んでいたもののために、大騒ぎしすぎたのだと思います。私の『泉』は、否定ではありません。私はただ、誰もがなんであるかを知っていると思っているものについての新しい概念をつくりだそうとしただけなのです。すべてのものがまったく別のものでもありるということを、示したかったのです」

    既製品の男性用小便器をそのまま作品とした『泉』は、きわめてスマートな爆弾だと思う(しかも、美的にも意外と美しい)。

  • DADAはすげー好きだな。感性的にピッタリくる。
    見ていて気持ちが良くなる。
    脳がスッキリする。

  • 絵画も造形も音楽も詩も文章も、いろんなものがアートだし、繋がってるんだなと感じました。
    それぞれに強い個性を持つアーティストどうしがぶつかり合うさまなんかを読むと火花散るような刺激的なところがあって、知らなかった世界が開けた感じでとても楽しめました。プレゼントされて読んだのですが、本だけでなくて出会いをプレゼントされた気がします。

  • 20世紀のアヴァンギャルドの先駆けとなったダダのコンパクトな概説書。多数の図版が想像を刺激し、巻末の資料集(宣言、詩、インタヴュー etc.)も貴重だ。本書の特徴は、ダダ(ツァラ)の徹底的な否定性に注目することで、シュルレアリスム(ブルトン)との断絶をより強調している点だ。僕自身、ダダの必然的に自己否定にまで到らんとするほどの否定性に強く惹かれ、「精神の内奥」という何らかの固定的な本質・意味・価値・秩序・規定に足の踏み場を見出しているようなシュルレアリスムの不徹底には不満である。

    "人が書くのは・・・ひとつの逃避にすぎません。・・・。ほかにも解決法があるかもしれません。それは、あきらめることです。・・・。なにもしなければよいのです。しかし、それにはとてつもないエネルギーが必要なのです。"

    "いまも書きつづけているのは・・・弱さのためなのです。そしてとくに、外部の生活のなかにある詩に疲れはて、自分自身の中に詩を探し求めているからです。"

    "それ[ダダ]はひとつの抗議でしかなかったのです。"

    "[ダダは]むしろ、ほとんど仏教的な無関心の崇拝への回帰だといえます。・・・。・・・たえまなく増大していく『それがなにになるのだ』という悪魔的なしつこさによって、その反応が出しつくされ、消えうせると、あとに残るのは無関心だけなのです。"

    嗚呼トリスタン・ツァラ!

  • ツァラ
    新聞紙の単語を切り取って袋に入れ、振って、中から取り出して並べる

    これ絶対楽しいと思う!!

  •  

  • ダダの入門にはとても良いと思います!写真もたっぷり。
    ダダイスト…楽しそうだなぁw

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