- Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422230269
作品紹介・あらすじ
日本語の「もの」は単なる物ではない。「物」から「者」を経て「霊」に至る多次元的なグラデーションに様々な視点から鋭く迫る。
感想・レビュー・書評
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物質的宗教を知りたくて手に取った。
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モノと聞くと、物という漢字を思い浮かべて実体のある何かを想像するのですが、物の怪なんていうと、それは霊的存在ですし、者というと人を指します。
また、ものづくりというのは、ただ単に「物」の作り方を指しているわけではなく、プロセスや文化をも意味していたりします。
このような、「モノ」の多義性について様々な人がそれぞれの観点から論じている本です。
★★★
鎌田 東二は、「言葉と心と物と事とワザ」というまとめ方をしていてなるほどなと思いました。
ここだけ抜き出してもよく分からないのではないかとも思うのですが、
言葉は、モノとこころをつなぐモノであり、同時に、コトであり、ワザである。その、モノとこころをつなぐワザとしての言葉、また、コトとこころをつなぐもの・こととしての言葉に緻密なまなざしと考察をめぐらさなければならない。
と書いています。そして、
①霊─霊(魂) 霊性的位相 spiritual phase 儀礼技術としてのワザ
②者─心 人性的位相 personal phase 表現技術としてのワザ
③物─体 物性・身体的位相 physical phase 生産・生活技術としてのワザ
「ワザ」は「モノ」を通して「こころ」を自己外化し、型化するいとなみである。
と書き、「感覚価値形成のメカニズム」をまとめようと試みています。
★★★
こんな小難しい話だけでなく、宮崎アニメの考察なんていうのもあって、『となりのトトロ』を例にして、物を操り、(霊的な)モノの世界に観客を引きずり込むテクニックが分析されていたりします。
すると、どこからともなくドングリが降ってくる。姉妹がドングリを追いかけてボロ家の二階に上がると、そこでマックロクロスケという名のお化け(物の怪)と出会う。ドングリの導きによって、登場人物はモノの側へと引っ張られる。観客も登場人物に感情移入しながら一緒にモノの側に引き込まれてゆく。その後、妹のメイは庭に落ちているドングリを追いかけて、小トトロや中トトロを発見し最後には大楠の根のウロで眠っている大トトロ(トトロ)と出会うのである。
─略─
傘についても見てみよう。ドングリが姉妹と観客をファンタジーの世界に連れ出す小道具だったのと同じく、傘もまたものが働くシーンで重要な役割を担う小道具になっている。先ほど紹介した雨のバス停のシーンでは、傘はトトロとドングリを交換する媒介となっている。ドンドコ踊りのシーンでは神官が祭礼で使う幣(ぬさ)のように扱われる。さらに、夜の空中散歩では傘が空を飛ぶための道具にもなる。傘もモノの側へ近づく時の神秘的な役割を担わされているのである。
─略─
さて、そのドングリと傘だが、これらはなんとなく選ばれたわけではない。ドングリと傘の組み合わせには感覚的なレベルでの必然性がある。感覚というのは無秩序なものではなく、感覚のロジックとでも言うべき秩序が働いている。
─略─
<ドングリ>=硬い、小さい、生命力が詰まっている、やがて大きくなる=<サツキとメイ>
<傘>=大きい、丸い、弾力がある、たまにしか使わない、水と親和性がある=<トトロ>
ここでも、物とモノとの感覚のロジックが語られています。
★★★
このように、モノ学というのは、物と人とのインターフェース(感覚)を考えるうえで重要な手がかりを与えてくれます。
つまり、「モノ」という言葉を頼りに、物語(霊的)なモノと、人(者)の心と、実体としての物とを関係づけることで認識論、感覚論、身体論、存在論を総合的に取り扱おうという学問なわけです。
これって、実は、ソフトウェアテストにおいても重要なポイントを示しているなぁと思います。
分けて考えるのではなく、総合的にこの3つの位相の軸をとらえていくことが大切なのです。
ということで、とてもよいヒントをもらえた本でした。