- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480029140
作品紹介・あらすじ
年に1回、上野の美術館で開催されていた読売アンデパンダン展。それは、出品料さえ払えば誰でも出品できる無審査の展覧会で、1960年代には絵の具とガラクタと青年たちの肉体と頭脳とが灼熱した坩堝だった。当時、出品作家でもあった著者が、目撃者として、作品や読売アンデパンダンで培養されつつあった不確定性の芸術について描く。
感想・レビュー・書評
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1994年
制作をしている若者にとって
有名な作家の言葉は時に難解に聞こえてくる。
この人は本当に自分と同じ若者だった時代があったのだろうか
自分何てただ制作が好きなだけで、何の才能も無いのではないかと
凄いアーティスト達と遭遇するたびに不安に駆られる事も大いにある。
作品が理解不能な形をしていれば尚更で
その渦に巻き込まれた人にしかわからない言葉での会話は
分からない人にとっては苦痛でしかない時もある。
が
赤瀬川さんの文章は完全に当時「芸術を志す若者」の文章であって
自分も巻き込み、巻き込まれ参加していったけれど
結局何が自分をそこまで熱くさせたか、あの現象はなんだったのか と
確かにその時理由があったのはずなのに探っていく内容に
なんだかとってもほっとさせられてしまう。
そしてさりげなく赤瀬川さんの描くイラストがかわいい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アンデパンダンに関わる人の初期衝動に触れられた感じがして面白かった。 60年代は、身体を動かさずにはいられないようなそういう時代のエネルギーを感じる。意志と身体がシンクロしてる。 絵画が立体になりオブジェ化したのもまるで身体を獲得したかのよう。 歩き始めた赤ちゃんみたいに覚束ない身体は、どう転がるかわからないけどでもそれが面白いし、とりあえず動きたくて仕方ない。 今や大物の人たちも夢中でその勢いに身を任せてた様子が新鮮であり、若さの爽やかさがあり、個人的には熱量に感化される部分もあり、とても良かった!
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【資料ID: 1117000784】 706.9-A 32
http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN11749676 -
「パンの会」というのも、こんな雰囲気とエネルギーだったのでしょうかね。
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1950~60年代、無審査で出品できる読売アンデパンダン展に集った前衛芸術家たちの記録。類型化するヒマを与えず創造を繰り出す芸術家たち。自らの芸術理念が言語化=類型化されれば、その理念自体をも破壊してしまうほどのエネルギー。自由へ向けて突き抜けんとした果ての自己否定の物語。
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この世代をリアルに感じられて面白い。
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熱波が伝わってくるような素晴らしい本でした。
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この時代はいいなぁ。
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赤瀬川原平氏による「読売アンデパンダン」の検証。まさに検証という言葉が相応しい。文体は赤瀬川氏らしく平易なのだけど、その平易な語り口は、単なる「老人」による青春回顧ではない。この人は、読売アンデパンダンという混沌が、その熱が、なんであったかを丁寧に探っていく。15回を数えた読売アンデパンダンの「晩年」に活動した赤瀬川氏は、その立ち上がりの時期や中盤の時代がどうであったのか、当時を知る人に聞きに行く。団体展を否定しようとしていたアンデパンダンが、その最初期は団体展の作家によって構成されていたこと、新聞記者による読売社内の雰囲気、そしてもちろん同時期を平走した同世代の作家まで、一人一人尋ねていく。今も変わらず裸婦を丁寧に書き続ける老画家、大学教授としてすっかり権威になってしまった「アバンギャルド」の作家。今と当時の時代の経過を確かめるように、そして自分の若き日の記憶も掘り起こしながら、「あれ」がなんであったのか確認してゆく。残っていない作品の姿は自分でイラストを書き、巻末には主要な参加作家の一覧表も作る。
この本を貫くのは「正確さ」と「正直さ」への強いこだわりだ。わからないことは「わからない」と赤瀬川氏ははっきり書く。そして、わからないことは調べ、人に話しを聞く。で、やっぱりわからない事はわからない。その「わからなさ」への、にじみでる愛情に、ほんの少し感傷が混ざる。若き日の荒川が、篠原が、中西が、いかにその「わからなさ」のただなかで泳いでいたのか。ぜひ御一読を。