- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480056207
感想・レビュー・書評
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ある思想の値段は高く、ある思想の値段は安い。
さて思想の代金は何によって支払われるのか。勇気によって、と私は思っている。
・・・・・・『ウィトゲンシュタイン入門』四五頁より
ウィトゲンシュタインの思想を理解するには、
彼と同じ問題を抱えなくてはならない。
それは今まで誰も気づかなかった問題であり、
気にする必要すらなかった問題なのかもしれない。
哲学とは、世界の淵にある迷路に踏み入れる行為のように思える。
彼は、誰にも見つけられなかった壮大な迷路を見つけてしまったのだ。
いや、見つけたと初めて手を上げたのが、彼であったのかもしれないが。
「語りえないものについては、沈黙しなければならない。」
と語った彼は、その迷路を解くことができたのであろうか。
そもそも、この迷路に終着点など存在するのだろうか。
それもまた、「語りえないもの」なのかもしれない。
それでも彼は、
「みんなに、僕は素晴らしい一生<ワンダフルライフ>を送ったと、伝えて下さい。」
という言葉を残し、六二歳の生涯を閉じたという。
今の私には、彼の問題の真意を理解することはできなかった。
ただ、本書によって、この壮大な迷路の入り口に導かれることになった。
この門を潜るか否か、私は未だ迷っている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初期のウィトゲンシュタインは、言語は世界の「写像」だと考えたが、後期にはぼくたちはある規則を持った「言語ゲーム」の中に閉じこめられていると考えた。ずいぶん違うわけだ。その過程がわかる。(石原千秋『未来形の読書術』156頁)
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入門といいながら易しい内容ではありません。前提知識のいらないように書かれているようですが、実際のところは哲学上の語句や論理学上の知識が求められているように思います。
さらに、ウィトゲンシュタインが言うところの”語り得ぬもの”という問題について、かなり踏み込んだところまで解説しているので、かなり入念に読んで考えないとその意味することろが想像しにくいです。前述の知識の問題と相まって、読んでいてなかなかイメージのわかない印象があります。もしかしたら、著者が言うように、”語り得ぬもの”についての問題意識を共有できない人にしかそもそも理解の難しい問題なのかも知れません。
そんなわけで、哲学的な素地も問題意識の共有もできていない私にはちょっと厳しい内容でした。ただ、ウィトゲンシュタインの問題意識を共有することができるなら、これは単にウィトゲンシュタインの思想の紹介にとどまらないで、自ら本当に哲学するための入門書となりうる内容なんじゃないかなあと思います。常に自らの中の問いに向き合い問い続けていくという姿勢自体が哲学であって、応えを見つけることが哲学ではないという著者の主張には大変考えさせられるものがあります。 -
2010.9.3
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というフレーズにびびっときたので読んでみたけど、ほとんど分からなかった。
論理学の素養がある程度ないとダメなのかな。 -
[ 内容 ]
世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者ウィトゲンシュタイン。
ユダヤ系の鉄鋼財閥の裕福な家庭に育ちながら、その後たどった数奇な生涯と一風変わった人となりによって、彼の思想の全貌はいまも神秘的な色彩を帯びている。
彼が生涯を賭けて問いつづけた「語りえないもの」とは何か。
初期の写像理論から中期の文法理論、後期の言語ゲーム理論へと展開する独特のアイディアにみちた思想の核心にわけ入り、読者とともに考える、清新な魅力にあふれた入門書。
[ 目次 ]
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰
第1章 生い立ち
第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学
第3章 復帰
第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学
第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学
第6章 最期
終章 語りえぬもの―光と陰、再び
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
初期の「論考」から後期の「言語ゲーム」までを一通り。入門書。
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はじめに
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰
第1章 生い立ち
第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学
第3章 復帰
第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学
第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学
第6章 最期
終章 語りえぬもの―光と陰、再び
おわりに
文献案内
(目次より) -
レビューは後ほど。
じっくり考える時間が欲しい…
貧乏暇ナシ -
(2004.08.14読了)(2003.05.09購入)
「この本は、ウィトゲンシュタイン哲学の入門書である。第一に、この本は「哲学」の本であって、人物紹介の本ではない。第二に、この本は入門書であって、解説書や概説書ではない。」
「哲学にとって、その結論に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気付かなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。」「ある哲学者と問題を共有した時、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる。」「もしウィトゲンシュタインがあなたにかかわりを持つとすれば、それを知らずに人生を終えることは、無念なことではないか。」
永井均の疑問 「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」「なぜこの子が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」「無数にいる人間といわれる生き物の中に、自分という特別のあり方をしているやつが一人だけいて、こいつがそれである、ということが不思議でならなかった。」(このような疑問を持っている方は、ウィトゲンシュタインを読むといいということです)
ウィトゲンシュタインの独我論 「私だけが存在する」「もし私が存在しないとすれば、ある意味でそれは、何も存在しないのと同じである」「私に見えるものだけが真に見えるものである」「私の意識だけが唯一本当に存在するもので、他の一切は私の意識への現れである」
(これだけ読むと、自己中心主義、世界は自分を中心回っており、この世界では自分が主役であり、他は脇役でしかない。自分がいない世界など考えようがない。と言うことみたいに見えるような気がするけど、そういうことではないらしい。)
ウィトゲンシュタインの「論考」の主題 「言語の可能性の条件を明らかにすること」「ウィトゲンシュタインは、言語が世界について何事かを語りうるのはどういう条件の下でなのか、を問題にした」
「「論考」の最初のページを開くと、世界がどのようにできているか、ということに関する独自の見解が、何の説明もなしに、あたかもご託宣のように述べられている。」(これは、現代数学の影響を受けたものであろう。現代数学では、最初に公理を述べて、その公理を元にすると、どのような数学世界が可能かを導いてゆく、というスタイルで記述するようになっている。ウィトゲンシュタインもその記述スタイルを真似て、最初のご託宣に沿って論じると、どのような世界が構築可能かを論じたのかもしれない。) -
永井、ヴィトゲンシュタイン、両方とも魅力的であるが、この本を読む思考力が不足しており十分に味わい尽くしていない感がある。
論理学の理解は、自分には限界かな