世俗宗教としてのナチズム (ちくま新書 245)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 54
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058454

作品紹介・あらすじ

ナチズムの新しい帝国創造のヴィジョンと世界破壊の欲望は、今日の私たちの社会にも繰り返し甦って来る。ナチの黙示録的な鉤十字運動は、どのように人々の心を魅了したのだろうか。神話と象徴に彩られ、無意識の想像力を緻密に体系化した"血の結合"の幻想と実践の分析を通して、普通の人々をも狂気に駆り立てた政治的世俗宗教の実態を抉り出す。「祭司」ヒトラーと「伝道師」ゲッペルスが紡いだ破壊と終末の幻想を切開する現代史のプロファイリング!

感想・レビュー・書評

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  •  社会科学者、というより人文学者と思われる経歴の著者、小岸昭さんが、ナチズムを「政治思想」としてより「世俗宗教」としてとらえ、論考した著作。ヒトラーは初めからユダヤ人殲滅と世界破壊の劫火「ムスピリ」(9世紀ころのドイツの民間伝承で、北欧神話のいわゆる神々の黄昏、ラグナロックのような世界を焼き尽くす劫火の描写がある)を実行に移す幻想に取り憑かれており、実際それをほとんど貫徹したという、いわゆる「意図派」に近い考えからの、宗教としてのナチズム考察。「意図派」は今日では「構造派」に対して著しく劣勢なので(この本の刊行時点の2000年においても)その点でもなかなか貴重である。著者が根拠に上げ度々引用するのは1932年8月、すなわちまだ政権を獲得していない段階でのヒトラーと、ヘルマン・ラウシュニングとの対話である。
    「我々は決して降伏などしない。もしかしたら滅亡するかもしれない。だがその時は世界も道連れだ。ムスピリだ」という言葉である。ラウシュニングは以後ナチスから離れていく。確かに恐るべき予言とも言える言葉-より有名な、1939年1月30日の国会演説の中でわずかに触れただけだが、文面は誤解しようもない予言的性質を帯びた「もし今日、再びユダヤ国際金融資本が世界を大戦に引きずり込む事に成功したとしても、その結果はユダヤボルシェヴィキの勝利でも、ユダヤ人の完全勝利でもなく、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅に終わるであろう」というもの-と共に、これらの言葉はのちに明白なその通りの結果(特に母国ドイツや隣国ポーランドを主な舞台としたホロコーストやソ連領内での暴虐と破壊の限り-)をもたらしたように思え、それを祭政一致の世俗宗教たるナチズムとその創始者にして祭祀ヒトラーが導き最終的に、「ムスピリ」なり「神々の黄昏」なり「ラグナロック」、業火のもとに滅び去る情景を生み出したという解釈は、少なくとも邦人によるこのナチスや、ナチズム、ヒトラー、第三帝国、ナチス期、第二次世界大戦、ホロコースト等を扱った類書にはなく、政治思想史や民衆史分析、民主主義のもとにおける「同意の独裁」、農村部ではナチ地域幹部に以外に反対できていたことを持ってナチス期の民衆は以外に自由であったという拡大解釈(村瀬興雄著作「ナチズムと大衆社会」など)ばかり読んでいた身には新鮮であった。ナチズムとそれがもたらした、ほぼ人権と人命の全領域からの究極点にまで達した力学で加えられた罪は、人類がこの時代を消し去ることのない限り、今後も常に、非ドイツ人、非ユダヤ系、非ロマ系の人々や直接的な連続性のある土地の住民のみならず、人類が科学的に単一の種族である以上、全人類が自分たちの問題として考え続け、研究し続けていかねばならぬ課題だと本書を読んで、改めて、何十回目かはもはやわかりはしないが思わされた。

     著者はヒトラーのオカルト好きを本書のはじめに上げ、その影響力を最もヒトラーに与えた人物としてディートリヒ・エッカルトを上げ紙面を割くのであるが、ヒトラーの反ユダヤ主義に拍車をかけたもうひとりの人物、元イギリス人で後のイギリス首相、そしてあのミュンヘン会談で仮初めの平和を手に入れたネヴィル・チェンバレンの血縁者エドワード・チェンバレンを無視しているのは片手落ちか。ヒトラーは、リンツ時代からウィーン初期の彼の唯一の親友、アウグスト・クビツェクの回想録ではウィーン初期には既に反ユダヤ主義に毒され始めており、それはリンツ時代に聴きウィーンでも、ユダヤ人指揮者グスタフ・マーラーの指揮によるワーグナーに感嘆していたほどで、ワーグナーの変名、実名による反ユダヤ主義冊子もクビツェクの回想録によれば読んでいたようである。エドワード・チェンバレンはワーグナーの熱狂的な信奉者でもあり、ヒトラーを更なるワーグナー熱狂(バイロイトへの入場)と反ユダヤ主義の決定打にエッケルト並みかそれ以上に決定的な役割を果たした人物として、ヨアヒム・ケーラー著「ワーグナーのヒトラー 『ユダヤ』に取り憑かれた預言者と執行者」において極めて重要な扱いを受けている。ケーラーの著書も、ヒトラーの反ユダヤ主義の根源に迫るもので、本書と共に併読をおすすめしたい。私としては、ヒトラーの反ユダヤ主義の発生と最後の最後に至るまでの恐るべき確固たる信念ぶりは、ワーグナーの反ユダヤ主義に由来する、すなわち「愛するワーグナーが反ユダヤ主義者だったから、ヒトラーも反ユダヤ主義者になり生涯それを全うせねばならなかった」という結論が今の所、ナチス、ヒトラー、ナチズム、第三帝国、第二次世界大戦、ホロコースト、反ユダヤ主義、ナチスの各組織、ナチス期の民衆史等の書籍群を50冊以上程度派読了している現段階では一番しっくりくる結論なのだ。

  • ナチスのようなWW1後に生まれた弱小政党が時代の浪間に沈んでしまわずに、さらに発展をとげるためには異質な雑多な人々を統合する精神の故郷とも言うべきものをつくりあげることが重要だった。

    1933年焚書という野蛮極まりない反文学の嵐がドイツの中で起こった。
    焚書のあと、ナチスによる組織的なユダヤ人迫害が始まり、ゲッペルスによる反ユダヤ主義も次第にその過激さを増していく。

  • 市原中央図書館にてレンタル

    ナチズムについて私は漠然と、ファックな思想でファックなことをやらかして、それでも技術力などは非常に優秀だった。程度の認識しかありませんでした。
    また、私はナチが軍事力に物を言わせた面もあれど、原則的には選挙によって国民に選ばれて政権を取ったことを知っていたので、なぜドイツ国民がその1票をナチに投じたのか、不思議でなりませんでした。
    そしてこの本と出合いました。「世俗宗教としての―」私の疑問の答えがそこにあるような気がしました。

    実際内容は非常に興味深いものでした。

  • 視点は共感できるというか、著者とだいたい同じ認識をもっているのだが、文章にひっかかるところがある。
    ナチズムとかヒトラーというのはたしかに批判の対象ではあるのだが、本書の記述には感情的な表現やそれによる断定が少なからず見受けられるのが残念である。
    オカルト系や陰謀論系では本書と似て非なるものが少なからず出版されているが、真面目なものとしては案外類書は少ない。
    ナチズムやヒトラーに関心のある人だけではなく、宗教心理や新宗教などに関心のある人にもとりあえずお勧めできる。
    内容的には☆☆☆☆☆でも良いのだが、やはり記述法・表現については多少の違和感があり☆☆☆、オマケで☆☆☆☆評価にした。

    読む価値あり。

    目次
    序 目覚め
    第1章 聖なる山
    第2章 「第三帝国」の由来
    第3章 エッカルトからゲッベルスへ
    第4章 美しき化け物たち
    第5章 1938年11月9日の「ムスピリ」
    第6章 「高さ」への野望

  • 2005年6月22日

  • わりと冷静に書いているので面白かった。

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著者プロフィール

小岸 昭(こぎし・あきら)
1937年北海道生まれ。1963年京都大学文学部独文科修士課程修了。京都大学総合人間学部教授を経て、同大学名誉教授。1965年日本ゲーテ賞受賞。1995年「日本・ユダヤ文化研究会(現神戸・ユダヤ文化研究会)」創設。2001年「ブレーメン館」創設(札幌)。〓
著書・訳書にデッシャー『水晶の夜』(人文書院)、『スペインを追われたユダヤ人』(人文書院、ちくま学芸文庫)、『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』(人文書院)、『離散するユダヤ人』(岩波新書)、ウルフ『「アンネ・フランク」を超えて』(梅津真と共訳、岩波書店)、ハイマン著、シェプス編『死か洗礼か』(梅津真と共訳、行路社)ほか多数。

「2021年 『中国・開封のユダヤ人 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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