- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480058775
作品紹介・あらすじ
二〇世紀哲学における最大の巨人ハイデガー。半世紀以上にわたり、彼の思想があらゆる知の領域に及ぼしてきた圧倒的な影響はいうまでもない。大いなる成功と絶望的な無理解の断層に屹立する今世紀最も重要な哲学書『存在と時間』。その本当の狙いとは何か?本書は、難解といわれるハイデガーの思考の核心を読み解き、プラトン、アリストテレス以来西洋哲学が探究しつづけた「存在への問い」に迫るとともに、彼が哲学者としてナチズムのなかに見たものの深層に光をあてる。ハイデガー哲学の魅力の源泉を理解するための一冊。
感想・レビュー・書評
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よくわからないから、もう少し入っていくことにするよ。
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プラトン、アリストテレス、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、そして存在と時間。この辺りがハイデガーを理解するのに重要であることまではわかった。ただし他はかなり難解。
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自分が何を知らないか、何を読むべきかがわかった。本書の内容は5章以降からなんとなく理解できる部分が増えたものの、それ以前はやはりアリストテレスやプラトンを、彼らの言葉を知らないので致命的にわからなかった。
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ハイデガーをプラトン、アリストテレスと接続し、ギリシア哲学から存在論を位置づける。ナチズムのニーチェ利用との距離とプラトン哲人政治と詩・思惟・政治の三位一体の理想と失望。ハイデガー『存在と時間』を中心に歴史的位置づけと狙いをさらう入門書。
『存在と時間』の根本的な問いが存在の意味への問いであること、そしてその問いがアリストテレス存在論の核心であるプロス・ヘンの取り返しであり、さらにプラトンの善のイデアの取り返しであること。現存在の明るみを照らす光は時間性に求められる。このことを『存在と時間』は「脱自的時間性が現を根源的に明るくする」と表現している。認識が成立するために認識する者と認識されるものだけでなく、第三のもの(イデア、カテゴリー、形式、言葉、基準枠、パラダイムなど)が必要とされる。「現象は光のうちで視られうる」というテーゼがハイデガー現象学の核心をなしていること、光の問題がプラトン、アリストテレスにおいて重要であること、善のイデアの光、能動理性の光が語られていること、そしてこれらを関係づける可能性。前期ハイデガーはギリシアの光の視覚モデル、後期ハイデガーは言語の聴覚モデル。
古代ギリシアから西洋近代まで貫かれる、形而上学の二重性。ハイデガー存在論・メタ存在論、アリストテレス存在論・神学、プラトン イデア・善のイデア、カント一般・特殊形而上学、ウィトゲンシュタイン論理・倫理、ヘーゲル現象学・論理学。
プラトン『国家』の「哲学者=統治者」のテーゼに言及する。このプラトンのテーゼに対して、ハイデガーは「詩人―思惟者―国家構造者」の三位一体を構想した。ナチズムとの接続を見出すが、戦後決別する。
アリストテレス『デ・アニマ』「心はある意味で存在者である」が『存在と時間』「現存在は存在者をその存在に関して理解する」の根幹をなしている。
「私の思想の根本思想とはまさに次のことである。存在あるいは存在の露呈性は人間を必要とし、逆に人間は存在の露呈性のうちに立つかぎりでのみ人間である」。人間と存在とのこうした関わりの場をハイデガーは問うのであり、存在の「意味―真理―場所」への問いは、「存在が存在として露となり、非秘蔵的となる境域」を問う。
わかったつもりの浅薄な理解(単なる誤解)より、わからないと知るほうがいい。おとぎ話を信じないためには、実際に『存在と時間』を自分の目で読むことである。そしてわからない箇所をわからないとはっきり知ることである。あるとき、突然ハイデガーの核心が見えてくるだろう。そして今までに見たことのない光景が一挙に開けるだろう。それは、人まねでない自分独自の読みを獲得することである。 -
20世紀に活躍した哲学者ハイデガーの主著『存在と時間』を中心に、本入門書の著者の言葉通り、「ハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすることを目的にしている」本になっています。原語でハイデガーを読む人のための入門書という位置づけのため、本書では、中身の解釈にまでは立ちいっていません。「哲学」というもの自体、頭を使うもので、難しくて、なかなかとっつきにくいものだったりしますが、そんな「哲学」のなかでも、ハイデガー哲学はとりわけ難解な部類に位置付けられる「哲学」だそうです。なので、本書自体も難しいです。『存在と時間』にあたるための外堀を埋めていくにしても、古代ギリシャ哲学者である、プラトンやアリストテレスから始めなければわからない。『存在と時間』は、古代ギリシャからの存在論を甦らせるというか、より一歩進めたような哲学のようだと僕は思いましたが、『存在と時間』を読んでいないし、たぶん読まないので、そこはわからないですね。ただ、存在の意味への問いが、形而上学的(神学を含んでいる学問)にいえば、それが「神」が答えになるところで、ハイデガーは「時間」を答えだとしてました。さらに、ハイデガーは存在の意味においては、神がそこに立ち上ってくることを嫌い(?)、存在の真理を問うというかたちで回避していこうとしていくようなんですが、もうね、なかなか、読み終わってしばらくたつと、脳内から湯気のように蒸発していくような、頭に定着しずらい難解な抽象的思考で構築されていました。
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本書の目的は、「ハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすること」だとされる。そのため、ハイデガー哲学はいわゆる実存哲学ではなく、プラトン・アリストテレスによる存在への問いを改めて立てる西洋哲学の嫡子であることを導きの糸として、ハイデガーの思考がどのような問題に関わっているのかが詳細に論じられる。主たる分析対象は『存在と時間』であるが、その論点を逐一検討していくのではなく、ハイデガーがプラトン・アリストテレスの哲学をどのように解釈し、そこから何を得たのか、同時代のウィトゲンシュタインの哲学と実は形而上学の次元において交錯していることなどが主張される。「入門」と題され、しかもハイデガー哲学への導入の役目を果たせば「入門」は不要だと言い切る本書であるが、哲学史上の様々な問題群と関わるハイデガー哲学をいかなる視座のもと理解するべきかについて、極めて明快な解答を与えているように思われる。
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数学や物理学などは、ある一定の高みまで行かなければ、数学する、または物理学する喜びは得られない。本書は哲学に関して、ハイデガーを通し、哲学する喜びを味わう「入り口」まで引き上げてくれる良書だ。
ただし、ハイデガーという名前を聞いた程度、その主著『存在と時間』のあらましすら分からない、という読者向きではない。
ナチスのあたりは、なぜ?が拭えなかったが、西洋哲学史上繰り返し問われてきた内容についての指摘は、全般に驚きを持って読み進めた。 -
この本が入門書として良書かどうかはこの後実際に「存在と時間」を読む段になって明らかになると思う。なので今は星三つ。
不満な点を挙げるとすれば、一部の術語(「時熟」、「脱自的」など)が最後まで意味を説明されずに使われていることか。入門書の読者としては、国語辞典に載っていないような術語については一言説明が欲しかった。