- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480088161
感想・レビュー・書評
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理解したとはいい難いので、要再読。
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私は人間の知を再考するにあたって、次なる事実から始めることにする。すなわち、私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる(18)
すなわち、私たちは、自己表現するための適切な手段を与えれさえすれば、誰かの人相についての認識をいずれは伝えることができるということだ。しかし警察がこの方法を使っても次の事実は変わらない。すなわち、私たちが、その方法以前に、言葉にできるより多くのことを確かに知っていた、ということである。(19) -
とにかく小難しく書いてあるが今に通じる色々な側面がある。暗黙知という概念は、直接でなくとも現在の認知科学につながっている感がある。対象への棲み込みみたいな話は、暗黙知の直系子孫だ。複雑系なんかもコンセプトは近いような。
進化論についての直線的・進歩的な考え方は、まあ時代が時代なので仕方が無い。そのあたりはライバルであるマルクス主義と同じ次元にいるのだろう。 -
マイケル・ポランニーの同書の2つ目の訳本。訳者があとがきで述べているが、ポランニー(元はハンガリー人)の英語は、枝葉が多く、難解らしい。翻訳後も、どうしてもやや難解である。元の英語を示してくれているのはうれしい。
例)
掛かり合い=Commitment
統合=Integrating
閾下知覚=Subception
第三章は、いろんな事例を列挙しているのだが、読む必要はなかった。
目次
謝辞 7
序文 9
第一章 暗黙知 15
第二章 創発 55
第三章 探求者たちの社会 93
原注 153
訳注 160
関連文献 170
邦文関連文献 174
訳者解説 177
索引 194
第一章 暗黙知メモ
p18 私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。ある人の顔を知っているとき、百万人の中からでも顔を見分けることができる。しかし、通常、私たちは、どのようにして自分が知っている顔を見分けるのか分からない。認知の多くは言葉に置き換えられないのだ。
p20 私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかだ。
p21 ゲシュタルト心理学〜ある対象の外形を認識するとき、私たちは感知している個々の特徴を、それが何とは特定できないままに、統合しているのだ。
p24 技能(skill)とは、自分でもよく分からないさまざまな関係に照らしながら、何とも特定しようのない個々の筋肉運動を統合するもの。
p30 現象的構造(phenominal structure)ーA(=近位項目)からB(=遠位項)に向かって注意を移し、Bの様相(Appearance)の中にAを感知すること
p31 初めて目を閉じ杖を使う時、自分の指と掌にその衝撃を感じる(近位)。しかし、慣れるにつれて、手に対する衝撃の感覚は、杖の先の端が探りの対象に触れている感覚へと変化していく(遠位)。ほかの道具を使うときも同じである。
p32 暗黙知の3つの側面ー機能的・現象的・意味論的
p37 私たちの身体とは、身体から発して意識される世界を介して経験する、この世で唯一のものである。
p38 ある事物に近位項(A)の役割を与えるとき、私たちはそれを自らの身体に取り込む。私たちは事物に内在する(dwell in)ようになる。
ここで近位項=掌、遠位項=杖の先
p40 「意味」を私たちが理解するのは、その中に内在化(indwelling)するから、すなわち、事物を内面化(Interiorization)するから
p51 私たちが注意を向けておらず、特定することもかなわないであろう個々の諸要素を内面化すること。特定不能な個々の諸要素から、それらを定かならぬやり方で関係づける包括的全体へと、注意を移動させること。
第二章 創発メモ
p65 上位レベルは、下位レベルの諸要素をそれ自体として統括している規則に依拠して、機能する。しかし、こうした上位レベルの機能は、下位レベルの規則で説明することはできない。
p65 上位層と下位層のペアが系列化して階層を形作っていく。
p66 煉瓦焼きの技術の例:下位:原料〜煉瓦焼き職人〜建築家〜都市設計家:上位
p67 個々の諸要素を統括する規則によって、より高位層の組織原理を表すことはできない。
p69 無生物から知られる諸原理に加えて、生命体を研究することによって、いくらかの諸原理が最後には見出されるに違いない。
p73 上位レベル(機械)の作動は、下位レベル(物質)の境界上に人為的に形象化される。
p73 上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされる制御を「境界制御の原理(The Principle of Marginal Control)」と呼ぶ。
p85 暗黙知は、身体と事物の衝突から、その衝突の意味を包括=理解(Comprehend)することによって、周囲の世界を解釈する。
第三章 探求者たちの社会メモ
p98 科学の道徳的懐疑主義と、近代人の道徳的要求の対立との決定的な対立。
p101 1935年 ブハーリンは、社会主義下ではもはや科学的真理がそれ自身のために探求されることはないだろうと述べた。
p111 科学的重要性(科学的価値)は、次の3つから成る。「厳密性」「体系的重要性」「内在的興趣」
p112 「不意の確証(Surprising Confirmations)」が存在する。−コロンブスが地球は丸いと考えたこと、メンデルによる遺伝学の発見、プランクの量子論。
http://naokis.doorblog.jp/archives/tacit_dimension.html -
言語化することが困難な、場合によっては意識の閾下での出来事に影響される暗黙知。
暗黙知というものを解説しつつ、
暗黙知、創発によってこそ創造的独自性が発揮されるということを
なんとか言語化しようと試みているため、
文章が右往左往することが多く難解に感じる。
そもそも非言語的なものを言語化しようとしているのでそれは致し方ないのかもしれない。
しかし本書を読んでいると、ソビエト連邦の科学に対する姿勢というものに驚かされる。
そういった歴史的背景を知るという側面からも意義深い一冊。 -
迫さんから勧められて。
メルカリ売却 -
マイケルポランニー 「 暗黙知の次元 」 哲学、進化論、科学論、社会学 と 知 の関係を整理した本。何度読んでも 全体を通じたテーマが理解できない きつい読書だった
著者が伝えたいことは
*知の暗黙性
*知が創発に由来している点
*知の探求者による社会を維持できるか(高次の道徳的概念により)
暗黙知とは
*ビジネスの暗黙知とは 少し違う概念→暗黙知とは 知覚された対象を介して神経過程を感知するための方法
*二条件が必要→近位項(諸要素からなる)+遠位項(諸要素が包括された意味からなる)
「暗黙知→内在化→包括化」
身体と事物の衝突→その衝突の意味を包括(理解)→周囲の世界を解釈
包括的存在と個々の諸要素との関係
*二つの実在レベルの関係
*高位の実在レベルが 低位の実在レベルの境界条件を制御
*個々の諸要素は 包括的全体の中で見出される=諸要素は全体に従属している
探求者の社会
*他の人には見えない問題を 自分の責任において探求する
*探求者の社会では 人間は考えている
*相互に及ぼし合う権威によって制御されている
「高次の段階は 低次の段階に根を下ろしている」
道徳的発展(高次段階)が実現するのは 物質的利益を目的とする社会(低次段階)の範囲内にすぎない -
「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。」
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「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。」
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「私たちは、技能の遂行に注意を払うために一連の筋肉の動作を感知し、その感覚に依存している。私たちは、小さな個々の運動〝から〟それらの共同目的の達成〝に向かって〟注意を払うのであり、それゆえ、たいていは個々の筋肉運動それ自体をあきらかにすることはできないのだ。」
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「人が対象を見るときの見方は、その身内に生起する特定の努力、しかも当人にはそれ自体として感じることのできない努力を感知することによって決まる。私たちは、注目している対象の位置、形、運動を介して、そうした、自分の身内で進行している事態を感知する。言い換えるなら、そうした内部のプロセス〝から〟外部の対象が有する諸性質〝に向かって〟注意を移動させているのだ。この諸性質は、身体的プロセスが私たちに示す『意味』なのである。こうした、身体的経験が外部の対象の近くへと転移される事態は、意味が私たちから転位していく事例であり、すべての暗黙的認識において、ある程度は出現する事態なのである。」 -
大学を卒業してもああ、好きな分野だと思う。
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「科学とは何のために存在するのか・・・?」ということをしみじみと考える本である。本文はかなり難しいが、解説を参考にすると分かるように思える。
ポラニーは、科学は「懐疑主義」により事実上の無神論に陥っていたとみなしている。そこで一部の勢力はソビエト共産主義に奉仕するために科学は存在する、と考えていた。ただいずれにせよ、それは彼は「懐疑主義」に堕しても、かつソビエト共産主義に奉仕する科学の姿も、それはどちらも違うだろうと考えた。その科学の「問題そのもの」をただ認識できる力が暗黙知であり、それが原動力だ、とする。
ヴィトゲンシュタインが対比として解説で出されている。彼はいったん哲学を「総決算」したかのようにしており、一定の周期でそのような人は哲学史にとどろく。中世から近世にかけてはデカルトがあてはまるだろう。ポラニーはそれに反対するタイプの哲学者であろう。「哲学」という「何かをしみじみと考えること」ということが、ポラニーからは伝わってくる。