暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫 ホ 10-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480088161

感想・レビュー・書評

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  • 一言で言うと、難しい本。
    自分の理解力が至らないのか、半分以上何を言っているのかわからない。ただそもそも、言葉にし難い暗黙知について語るのだからそうなるのもやむを得ない、とも言える。

    印象に残っているところを2点書き残す。
    ・創発。機械工学は、物理学では規定しない境界条件を埋めることで、それを機械たらしめている。その埋められた境界条件こそ、暗黙知(?)。
    ・暗黙知の存在が、その未開の潜在的可能性を探求する動機になること。


    また、「言葉とは何か」と読み比べてみるのもおもしろいと思う。
    http://booklog.jp/users/yasu2kei/archives/1/4480091459

  • 80年代に日本でもちょっと流行った本。
    要するに、言語的な思考=意識/認知以前に活動し、モノを知覚している前意識的/無意識的/器質的領域を「暗黙知」と呼んでいるようだ。
    「意識」なるものは、実は主体が対象を知覚し行動を決断するよりも0.5秒だけ、常に遅れてやってくる、という実験結果がある。
    私も「意識」とか、近代西洋が必死に称揚した「精神」なるものは、「後付け」のものであって、真の主体からみれば氷山の一角みたいなものだと考えている。
    だから「意識」だけに捕らわれたハイデッガーには惹かれない。
    ポランニーの思想はそういう私の考えとちょっと接点があるが、この短い本だけでは、どこまで思想が突き進んでゆくのか、ちょっとわからない気がした。

  • 共産主義と実存主義への対抗。ミームの進化論。アーキテクチャの生態系。低次から高次の動的生成。ダニエル・デネット流の進化論的自由論(機械的決定論批判)。身体。アフォーダンス。二次的理解。基礎情報学。

    私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。言葉が意味するものを伝える時のギャップは学ぶ側の努力によって乗り越えられる。暗黙の総合。

    私たちは暗黙的認識において、遠位にある条件の様相を見て、その中に近位の条件を感知する。つまり近位項から遠位項に向かって注意を移し、遠位項の様相の中に近位項を感知する。

    意味は私たち自身から遠ざかっていく傾向がある。

    機能的
    現象的
    意味論的
    存在論的

    事物が統合されて生起する「意味」を私たちが理解するのは、当の事物を見るからではなく、その中に内在化するから、すなわち事物を内面化するからなのだ。

    暗黙的思考が知全体にとって不可欠ならば、私的・個人的なものを排するという近代科学の前提を問い直さなければならない。

    実証主義的科学哲学への批判。科学的探求は個人的なコミットメント。

    暗黙知は身体と事物の衝突から、その衝突の意味を包括=理解(コンプリヘンド)することによって、周囲の世界を解釈する。
    →すごくギブソンっぽい。

    進化を駆動してきた「太古の自己保存の仕組み」に対抗せよ。しかし、利己主義への反抗も進化で説明できる。
    →ドーキンス的?

    批判精神+道徳的欲求=怒りに満ちた絶対的個人主義

    啓蒙主義から生まれた壮大な哲学運動は人間の絶対的な知的自己実現を高らかに謳い上げたが、その根拠となったものを否定する。なぜなら、暗黙的思考があらゆる認識に不可欠の要素であり、なおかつすべての明示的認識に意味を与える究極の知能だとするなら、それは、現世代は言わずもがな、後続の世代が自分の受けた教えを批判的に検証する可能性を否定することになるからだ。

    教育、無意味に思える、権威の受容、信じることで理解できる

    科学的伝統が自己革新するための力の源泉は、隠れた実在(リアリティ)が存在するという確信である。
    →探求者の社会

    進化論的革新の過程
    人間の思考と革新、問題の場、努力、想像上の衝迫
    高次の安定的な意味への到達可能性によって触発される
    →こうした得意なタイプの不確実性が存在するには「意識」が発生していなければならないはずだ

    倫理:思考によって形成される究極の暗黙知
    暗黙知が社会的なものであるなら、それが倫理的であってもなんの不思議もない。
    完全なる社会と、完全なる道徳。この二つを克服しなければならない。
    →暗黙知の階層性と社会性が極端な完全主義を乗り越える処方箋
    ※西垣通っぽい

    →より高次の知へと自らを更新し続けるということは、現行の知は常に不完全である。

    科学者としてのポランニーは変化や進化の方法を科学的に基礎付けようとした。哲学者としてのポランニーは暗黙知によって人間と宇宙を貫く倫理を夢想していた。(訳者)

    ポランニーの英文は諦めが悪い。まるで思想を反映しているように。ある「予期」をもって書き始めるが、様々な要素が付加されて、段々に全体的な意味が達成されていく。

    「書かなければ何も解らぬ」小林秀雄

  • 人は言葉にできない事柄を知っている。
    明示できないから、証明できないから存在しない、などと言う科学的明晰さが損なう、知の構造を審らかにしている。

    内在化は既に理解した時点で生じる知の最終更新状態にすぎない事に気付くと、そのあやふやさと、自身の思想とは一体何なのか、内在化の要素から生じるより高次的な概念なのかどうか、不安になった。

  • 著者のマイケル・ポランニーさんは「私たちは言葉にできることより多くのことを知ることができる。」この一見当たり前の前提から出発して、人間の知の全貌、ひいては宇宙を貫く一大原則を導き出してしまいます。そしてその先には、人間が倫理的でいられる可能性を示唆してくれます。
    道徳的憤怒が蔓延して、窒息しそうになっている善良な知の探求者のための救済の書です。
    きっと、感動します。

  • 「暗黙知」を語る上で避けては通れない書物ということで購入(特に語りはしませんが・・・)。

    「すなわち、「ゲシュタルト」は、認識を求める過程で、能動的に経験を形成しようとする結果として、生起するものである。」

    「近代の哲学者たちは、近くは投射(projection)を含まないと主張してきた。・・・しかし私たちはすでに、まさにこの種の投射が、暗黙的認識のさまざまなケースで存在していることを、立証してきたはずである。」

    「知識移転」・「学習」の理論はこういった認知の議論から再出発すべきなんですね。この辺りは認知科学の基本的な姿勢にも通ずるところがあって、個人的には馴染みがあります。

    上記に則れば、暗黙知に限らず、形式知であっても移転は不可能であって、学習とは眼前の情報を認知し、自分の知としていくプロセスに他ならない。学習者にとって効率的な学習とは、情報提供者(師)の提供された情報から、いかに情報提供者と類似した知を自分の中に作り出すかということになる。そこでは師弟間のコンテキストの高さが知の再現性に重要になってくる。と考えると、徒弟制度に見られるように住み込みで仕事以外の時間も共にするというのはコンテキストを高めるための仕組みとして非常に理にかなったものだと認識できる。

  • 一年前研究室に配属してすぐのころに、暗黙知(tacit knowledge)と形式知(codified knowledge)の概念を知らなかったため、購入。当時は、一章の「暗黙知」の章だけ読んで、二章、三章は読んでいなかった。

    最近、また目についたので、読んでいなかった二章「創発」、三章「探究者の社会」も読んでみた。
    集中して読んだわけでもなく、隙間時間を使って読んだので、正直理解は甘い。というか三章はほとんど何を言っているのかよくわからなかった汗

    実は一年前に一章を読んだ時も、自分の日本語読解力が低いせいなのか、訳が悪いせいなのか、あまりすっと入ってこず、結局原書を買って読んだ、という経緯がある。原書はすごくわかりやすく、すっと読めた。ので、英語がそれなりに読める人は訳本よりも原書をお勧めする。こういう文章は日本語には向かないのか?近いうちに手元にある原書で二章、三章も読もうと思う。

    暗黙知の概念はPolanyi氏が提唱して、野中氏が「知識創造企業」で企業経営に持ち込んだ、ということなんだと思うんだけれど(こちらはまだ積読)、ナレッジマネジメントで扱われる暗黙知とPolanyi氏の言う暗黙知はかなり違うように感じた。まあ、こういう異分野から概念を移植してくることは最近とても大事だとよく感じる。

    創発の概念もPolanyi氏が最初に提唱したんだろうか?自分の所属している専攻でも、創発(emergence)はマルチ・エージェント・システムの文脈で勉強したので、このつながりは新鮮だった。

  • マイケル・ポランニーの暗黙知の次元。ずっと読みたくて買ったが、途中で読みかけていたのを読了。

    なかなか日本語が難しく読みにくかった。もっと読解力をあげないとなぁ‥

    書評は偉大なる正剛さんと橋本さんのブログに譲る。

    千夜千冊
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html

    情報考学
    http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/11/post-1112.html

    まあ、これで得られたものとしては、暗黙知とはゲシュタルト的なものであり、創発によって知り得ることであるということだ。
    なんのこっちゃとは思うかもしれないが、それは本書なり上の書評なりを読んでいただければわかることと思う。

    思えば、仕事や技術に関する知(ナレッジ)も結局は体系化して管理ができていても、あくまでそれは在ることを知るという観点であって、決して暗黙知を共有することにはならない。
    過程において発見するものなのだから。

    そういう意味で特殊な仕事や技術においてはギルド性が重んじられるものだろう。

    うーん。師匠見つけねばな。。

    星は4つで!

  • 難しかったあまり理解できなかった・・・3章構成ですが、2章3章は力尽きた。でも、再読するとなんとなくわかるような気も。いずれもう一度チャレンジするかな。

    「暗黙知」「形式知」を最初に表現し始めた本のようです。

    暗黙知とは仕事やスポーツにおけるこつのようなもの、つまりHowのこと、そして自分自身が「これが自分の暗黙知なんだ」と思っていても、その周辺にある自分が認識出来ていないことも暗黙知だということ、くらいは理解できました。背後に隠れていて自分にもよくわからないもの。「技」に近いのかも。

    MBAとか中小企業診断士なんかのテキストでは「暗黙知」から「形式知」へなんてあっさり書いてあるけど、ふつーに難しいですね。変換ができるレベルのものはこの本では「暗黙知」としてとらえていないのでしょう。(逆に高精度で変換できればかなりすごいと思う)持っている暗黙知のレベルが高いほど、能や武道の「守・破・離」のように時間と手間をかけて伝えていくしかないのかも。マニュアルのような形式知ばっかり追いかけていても多分だめなんですなぁ。

  • この手の本にしては、薄い方ですが、読中、読後のインパクトは、今年のベスト5に入る好著です。

    暗黙知とは何かの対立概念ではなく、人間の思考、論究、生活の基盤を確立させる中核概念。

    科学をめぐる記述をベースに、心理学、哲学、政治学など既存の学際を飛び越えて、考える存在としての人間の可能性に希望をもたらしてくれます。

    もしかしたら、今の私に一番欠けている視点が暗黙知の意識化かもしれません。さまよう自分の生き方に、目の前のものに飛びつきがちな、ザッピングを主とする自分に檄を喰らったような感じがします。

    以下、備忘録。
    ・ディルタイとリップスの論を引きながら、暗黙知と内在化の関係性の深さ。
    ・あけすけな明瞭性は、複雑な事物の認識を台無しにしかねない。
    ・問題を考察するとは、隠れた何かを考察すること。という事実が深い。
    ・聖アウグスティヌス「信じることがなければ、理解することもないだろう」
    ・ある論文の重要性をもたらす3要素。「厳密性」「体系的重要性」「内在的興趣」
    ・「探求者の社会」…他の人びとには見えない問題を見て、自分自身の責任においてそれを探求するという能力を持つものとして。探求者としての人間は、潜在的発見のど真ん中に身を置く。
    ・社会に絶対的な道徳性を強要しようとする企ては、所詮は制御不能な暴力を生みだしてしまう空想にかまけることなのだ。
    ・宗教的信念が不条理な世界観の圧迫から解放されたなら、この問題の宗教的解決は今よりも現実味を帯びてくるだろう。そして不条理な世界に代わって、宗教へと共鳴していく可能性を持つ有意味な世界が出現するだろう。

    (訳者後書き)
    ・生きることが常に新しい可能性に満ちているように、言葉は常に新しい意味のポテンシャルに満ちているのだ。

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