- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480088161
感想・レビュー・書評
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「木の中に仏様がいて自分はそれを取り出すだけなんだ」
我々はすべてを知っているから無知なのであり、次元を超えて進化しなければならない
理解をするという目の前の段階から、生命の定義、人類がどこに向かうのかまでが、この短い一冊のたった一つの理論の中に詰まっていると思うと人の知能のすごさと優美さを感じます詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
正直難しすぎて何言ってるかわかりませんが、頑張って読み切りました。
暗黙知とは、言葉にすることのできない認識のことである。
暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のものにむかって注意を払うために、あるものから注意を向ける。
人の特徴として感覚をもっている。
一つの世代から後続の世代への知識の伝達は、主として、暗黙知的なものである。このことから、大人の振る舞いのうちに隠された意味を子供は推測する。 -
暗黙知とは、構成要素の統合であり、それが要素ごとにみられることと、全体として見られることを繰り返して形成されていくもの。
と、、、読み取ったけど、難しかった。。。
きっと私たちが、なんとなく行なっている動作であったり、知覚というのは、要素としてみることももちろんなんだけれども、それよりも全体として捉えていることのほうが多いのかもしれない。
特に、流れや経験というものは、その結果に焦点を当てていて、ここの過程や原因などにあまり目を向けていないのかもしれないな。。。
もう少し、暗黙知について読んでみないとわからないと感じた今日この頃。。 -
音、映像などと表現方法が広がるについて、「語れる」「伝えられる」範囲は広がったのか、それともそれを知覚することは相手に委ねられているから変わらないのだろうか、などと読みながら考えた。十分理解したとは言い難いので、何度か読み返すと解釈が変わってくるんだろうな。
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身体知を学ぶ人はやはり一度は読むべきであろうが、感銘を受けるかと言われれば、ちと違う気がする。あくまでも私見。
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NDC: 116.5
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訳:高橋勇夫、原書名:The tacit dimension(Polanyi,Michael)
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いわゆるSECIモデルなどででてくる「暗黙知」について、原典を確認するため読んでみた。
安富歩さんが、「暗黙知」は、"tacit knowing"であって、"tacit knowledge"ではないといっていたのを念頭に置きながら読むと、なるほど、理解が進む。暗黙的な知ることのプロセスなしには形式的な知識がそもそもありえない、つまり、一体のものであることがわかる。
だが、この本の議論は、「暗黙知」でおわらない。それは単なる入り口である。その後、創発のはなしがでてきて、自然の階層的秩序形成、そして、生物の発生や進化、人間の心の発生などの創発に進む。
そして、そうした「創発」について、なぜそうなるか、ということを説明することはできない、とポラニーはいう。
で、最終的には、「科学」に関する認識論(ちょっと、「パラダイム」の議論に似ている)や科学をイデオロギーに従属させようとする社会主義への批判、ある種の宗教的な世界観が肯定される。
これが、いわゆる「科学哲学者」ではなくて、自然科学を自身でしっかりやっている人からでてきたのは驚き。
科学的な議論をしっかりと積み上げなら、自己組織化的な世界観にいたり、「科学主義」や社会主義への批判に展開していくハイエクの議論に似ている感じもあるかな?
で、SECIモデルとの関係では、たしかにそれは「暗黙の知識」と「形式的な知識」が別々に存在するかのようなステップ論、サイクル論になってはいるが、SECIモデルでもスパイラルアップな知識創造、自己組織化みたいな概念もあるわけで、そこまでポラニーの言っていることの誤解というわけでもなさそう。
とはいえ、ポラニーのこの本を読んじゃうと、なんかSECIモデルが薄いものに見えてしまうのも事実。。。。 -
世の中の科学者コミュニティ(アカデミア)への信頼感というものがどこから生まれてくるのかという点について、昔から色々思うところがありましたが、本書を通して科学者たちのリスクを伴う決断を通して科学の発展が続いていくのだという発想に触れて、再び多くの疑問が湧き上がってきました。
一読して理解しきれる本ではないので時間を置いて再読してみたいです。