自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480423726

感想・レビュー・書評

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  • 真摯

  • 著名な歴史学の先生(故人)による自伝的エッセイ。

    確か『リーディング・ハックス』で薦められていたので購入したもの。

    もともとは、学生向けに書かれたらしく、とてもわかりやすく、そして、キレイな文章。

    なぜ自分が歴史学を研究したのか、研究するとはどういうことか、といった自伝的なことや、小宇宙と大宇宙という関係から、中世ヨーロッパにおけるキリスト教の影響など、その研究内容に関することが述べられている。

    が、解説にもあるように、この方の考え方を真似するのは困難か。
    ただ、その真摯な姿勢は参考にしないといけない。

    [more]
    (目次)
    第1章 私にとってのヨーロッパ
    第2章 はじめてふれた西欧文化
    第3章 未来への旅と過去への旅
    第4章 うれしさと絶望感の中で
    第5章 笛吹き男との出会い
    第6章 二つの宇宙
    第7章 ヨーロッパ社会の転換点
    第8章 人はなぜ人を差別するのか
    第9章 二つの昔話の世界
    第10章 交響曲の源にある音の世界

  • 「学ぶ」とはどういうことか、見つめ直すことができる本。

  • 阿部謹也先生の書を読んだ。
    あとがきを読んで驚いたが、本書は中学生向けに書かれたものだという。阿部先生の半生の紹介から始まり、ヨーロッパと日本の違いというところまで話が展開されていくのだが、平易な文章をにしていることは読みながら感じていた。
    しかし、扱っている内容と阿部先生の言わんとしていることは、高度で深い。
    学問をするとは、主体的に、自覚的に生きることである。
    そのためには、自分の内奥を掘り、それを歴史の中に位置付ける必要がある。過去の学者の積み重ねの上に、先端を切り拓く使命があるからだ。
    しかし、それは学者でなくても同様だ。過去を学び、歴史を学び、今を規定していく。それは同時にどこを目指すのかという未来にも規定されている。
    そして、阿部先生の内奥の格闘は、歴史家として一つの読み解きを可能にした。それは、大宇宙と小宇宙という二つの宇宙観の着想である。
    古代中世のヨーロッパではこの二つは別物であり、小宇宙たる人間は、大宇宙を畏怖しながら対峙してきた。そこでは、人間同士の関係性が最重要であった。
    しかし、キリスト教は人間同士の関係に割り込み、神との契約が大事であるという。すなわち、人間と教会の関係が重んじられるようになった。契約社会への移行である。
    それは、人間関係の変化であり、その変化は様々な歪みをもたらした。賎民がそれであり、ポリフォニーもその中で生み出された。
    阿部先生の着想は、ヨーロッパに対して感じた違和感が種となっている。その種を元に、自分の人生を歴史の中に刻みつけようとする戦いであった。

  • 今更ながらに阿部謹也先生すごいぜ。
    数十年ぶりにハーメルン再読します。

  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本

  • ○引用
    どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探す

    解るということはそれによって自分が変わるということ

    ただ体験したということだけではそれを積極的に生かすことはできません。体験を対象化してとらえる意識と、幼いころの感受性を大切にする気持ちがなければならない

  • カー氏の「歴史とは」と比べると、とても読みやすく、テーマを理解しやすかった

  • 著者の阿部謹也は、一橋大学長も務めたヨーロッパ中世史を専門とする歴史学者。
    歴史の中でも庶民の考え方や生き方に焦点を当てた社会史という分野を切り開いた点において、日本中世史の網野善彦と並び称される。
    本書は1988年に単行本で発刊されたものを、2007年にちくま文庫から復刊したものである。
    本書では、著者の半生における様々な経験と、歴史を研究するということの意味が、縦糸と横糸のように絡み合って描かれている。
    前者の側面からは、中学時代にカトリック修道院で生活したことからヨーロッパ中世史研究を志し、その後、一橋大学でドイツ中世史の高名な学者と出会い、小樽商科大学での勤務を経て、ドイツのボン、ゲッティンゲンに留学して、優れた研究成果を上げたことが語られている。
    そして、後者の側面については、以下のようなことが語られている。
    ◆一人の人間がある時代に生きているということは、過去に規定され、かつ未来への意志によって規定されながら、現在を生きているということである。
    ◆現在が過去に規定されるというのは、日本の正月やお盆等の年中行事、神社の祭礼などは、過去の出来事を現在の中に組み込もうとする試み、即ち過去を現在にする行事であることから説明される。ヨーロッパにおけるキリスト教のミサも同じである。
    ◆現在が未来への意志によって規定されるというのは、我々は将来の計画に影響されながら現在の生活を営んでいることから説明される。
    ◆現在を生きているということを自覚的に行うためには、自分の中を深く掘っていく作業、即ち、過去の体験を現在から振り返って整理することと、それを“大いなる時間”の中に位置付けていくことの二つが必要である。そして、それが即ち、歴史を研究するということである。
    本書はもともと中高生向けに書かれたものと言うが、歴史研究の意味という側面においては著者は決して妥協を許さず、深い内容となっている。
    (2010年5月了)

  • 「わかるとはどういうことか」
    すぐに答えを見つけようとしてしまう現代人にとって、とても耳が痛い一言ではないだろうか。

    かく言う自分自身が一番身にしみる言葉だと感じながら、読み進めた。
    この問いかけに著者自身の明確な答えを示しながら、その説明を非常に易しく、かつスリリングに書き記す表現力に感服した。

    これまで漠然と感じていたキリスト教の持つ独特の雰囲気の一端を垣間見ることがで、その自然観に対する理解を深める助けになった。

    読み返すことで、新たな発見や深い理解を得られそうな、とても良い本だと思う。

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著者プロフィール

1935年生まれ。共立女子大学学長。専攻は西洋中世史。著書に『阿部謹也著作集』(筑摩書房)、『学問と「世間」』『ヨーロッパを見る視角』(ともに岩波書店)、『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(講談社)。

「2002年 『世間学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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