人生を〈半分〉降りる: 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫 な 27-4)
- 筑摩書房 (2008年1月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480424129
感想・レビュー・書評
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マイノリティの視点。生きるという自由選択。
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生きにくい人(自分ですが...)が何とか生きていくための知識が詰まった本でした。図書館で借りましたが、購入して手元に置いておきたいと思います。
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意識していないと人生の大半を占めることになる、つまらない義理を果たすためだけの時間、あるいは社会における与えられた役割を演じるためだけの時間を減らし、残りわずかな生存時間をできるだけ自分自身のために使いましょう、という趣旨の本。エッセイ風にまとめられた本であるが、著者は哲学者ということで、内容はすこぶる哲学的。また、著者本人を含めた日本の哲学者批判の鋭い舌鋒が、本書のいたる所で冴えわたっている。(どうでもいいけど、他人によるスキャンダラスな身内批判は、それが他人事である限り、読んでいてウキウキするね)
さて、上記の目的を達成するための極端な方法として、「出家」や「出奔」、あるいは「自殺」などが考えられるが、本書ではそれらの方法を潔しとしない。もっと普通の人が普通に実行できる方法として、本書では「半隠遁」を薦めている。ここで「半隠遁」とは、皆と同じようにしがらみに囚われた社会生活を送っているフリをしつつ、実際には片足だけ社会性を踏み外して、自分の好きなように生きることである。そして、「半隠遁」を実現したい読者に向けて、「繊細な精神」「批判精神」「懐疑精神」を持つことや、「自己中心主義」「世間と妥協しないこと」「不幸を自覚すること」の重要性を説明する。
もっとも、「半隠遁」を必要としている日本人は、著者の見立てでは人口の0.1%(すなわち10万人強)しかいないそうである。私がその中に入っているのかどうか気になるところであるが、それはさておき、「半隠遁」という言葉が含むメッセージはとても強力で魅力的だと感じる。誰だって「隠遁」できるものなら「隠遁」したいだろうけど、そんな勇気はないし、リスクも取れたものではない。だけど「半隠遁」なら今の生活を捨てずに済む。著者は哲学者なので難しく考えて説明しているけど、実際はもっと単純で簡単なことなのかも知れない。 -
●あなたはまもなく死んでしまう
●生きることをやめる土壇場になって
生きることをはじめるのでは、時すでに遅しではないか
ー 日常生活から目を離してはならない. @追憶のハべル(作家)とケイト(原子力反対) -
中島義道先生の本は「哲学の教科書」に続いて2冊目。
というか学生時代に哲学の教科書と同時に買ってたままこちらだけ読んでなくて、
最近やっと引っ張り出してきて読みました。
~あなたはまもなく死んでしまう~
こう題されたプロローグから始まる本書。
やがて訪れる確実な死、というのは哲学における(いや本当はすべての人にとっての)主題な訳ですが、
この言葉に特に意味を感じない人が読んでも全く面白くない本だと思います。
というか著者本人が本書の中で言っているとおり、
大半の人にとっては何の価値もないことが書かれてております。
自分は昔から「世間」や「社会」に対する原因不明の違和感を感じる方で、
その原因の部分との向き合い方にとても苦労している(と自分では思っている)こともあり、
この本で先生が言っている生き方に魅力を感じる部分もあります。
ただ、まぁ人生を「半分も」降りてしまうというのはけっこう大変なことだとも思います。
まだまだ社会と向き合いつつ人生過ごしたい欲というか、
そういう悪あがきをするつもりもまだまだあります。
だから、まだ、いいや。
この本は自分の中では大切な1冊になっていくと思う。
10年後にでももう1回読んでみよう。
その時には4分の1ぐらいは降りてみるのも悪くない、
とかそんなことも考えてるかも知れないよね。
とかね、考えながらビールを飲みつつ書いていることの楽しさ、ね。 -
最高。
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・生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか
その適当な年令とは、人生にひと通りの勝負がつき、自分の天職(のなさ)と能力(のなさ)を悟った時、すなわち昔でしたら老人式である「四十の賀」を迎えるころ、現今では50歳前後ではないでしょうか
・自分個人の「死」の重みがそれほどでもない人がこの世の中にはいるらしいのです。
・ぜひ残りの人生を半分だけ降りて、自分の人生の形を作ることにいそしんでもらいたいのです。つまり半分は社会的に生きてごまかしを続ける。しかし、残りの半分は、決して妥協せずに自分の内部の声を聞き分ける。自分は一体何をしたいのか、自分にとって何が最も重要な問題なのか、追求し続ける。