春画のからくり (ちくま文庫 た 58-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425898

作品紹介・あらすじ

春画では、女性の裸体だけが描かれることはなく、男女の絡みが描かれる。男性のための女性ヌードではなく、男女が共にそそられ、時に笑いながら楽しむものだったと考えられる。また、性交場面を際立たせるために、顔と性器以外は、衣装で隠された。「隠す・見せる」「覗き」等の視点から、江戸のエロティシズムの仕掛けが明らかになる。図版豊富。

感想・レビュー・書評

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  • 江戸時代のことなら田中優子に聞けと、いつも吹聴していますが、これは、たとえばキリスト教・聖書のことなら田川建三に、国家論のことなら滝村隆一に、右翼思想とりわけ北一輝のことなら松本健一に、美人のことなら井上章一に、マンホールのふたのことなら林丈二に、SMのことなら団鬼六に、などと似たような、あることに関して様々な見解を知るよりも、他の誰よりも信頼のおける一人の当代随一の研究者の目を通した偏った見方で認識し通してみたいと願望する、私の偏向した趣向にすぎませんが、これが案外なかなか面白くてやめられません。

    つまり、彼や彼女の全著作を読むことによって、その視点を我がものとして反対意見や全体もみえてくるというものです。

    それはさておき、そうです、今回はまさか(?)の春画ですが、要は浮世絵師の巨匠たち、私は浮世絵そのものをあの元アレン短期大学浮世絵専任講師=小説家の高橋克彦から薫陶を受けた者ですが(ただ著作を読んだだけ!)、喜多川歌麿や菱川師宣や葛飾北斎も皆、たとえば『富獄三十六景』の名声だけではとても食べてはいけず、生活のため春画を描いていて、しかもそれは1枚や2枚でなくシリーズものや画集となっているほど量的にも多いといいます。

    そして、あの時代の紊乱たる性風俗のこと、きっとエログロナンセンスきわまりないえげつないものばかりだと想像していましたが、そうではなかったので拍子抜けしてしまいました。

    まず、春画は、現代のように女性だけが裸で描かれることはなく、男女の絡みが描かれること。

    それは、男性のための女性ヌードではなく、男女が一緒にそそられ、時には笑いながら楽しむものだった。

    なんと江戸時代は、今よりもっと男女ともが大らかに性を謳歌していた時代だったとは。

    そして、性交場面を際立たせるために顔と性器以外は衣装で隠したこと。

    なるほど、見る絵・見る絵がすべて顔のクローズアップと女性性器と男性性器ばかり。ここらあたりは、性指南書としての役割もあったことをうなずけるものがあります。

    ともかく、しのごの私が言ってもどうにもなりません。隠す・見せる・覗きのテクニックから江戸時代のエロティシズムの全貌を開陳してみせてくれる優子センセの講義を、あなたも聞いてみてはいかがですか。



    この感想へのコメント
    1.mackinchan (2010/02/19)
     買いたくても買えない本があって、同じ田中優子のとんぼの本だったかの春画の本も買えませんでした。売り場が嫌なのと、家族にどうするか、ということと、読んだ後どうする、というのが大問題だったのです。純情だったら買える物を、スケベ心がスケベ心を抑圧するのでした。

    2.薔薇★魑魅魍魎 (2010/02/21)
    何を弱気な、頑張れスケベ心!
    堂々と胸を張って、春画や篠山紀信は芸術だと言い放って納得させてみせて下さい。方法としては、れっきとした美人画の横に枕絵を、仏像の土門拳の横にヘアヌードの篠山紀信を配置するしかないですね。おずおずと恥ずかしがるやましい素振りは、かえって内心を見抜かれるので禁物です。
    もっとも、コソコソ密かにということに意味があり醍醐味があるともいいますが、ご苦労お察し致します。

  • 春画がなぜ単なる猥雑画ではなく、海外にまでコレクターのいる芸術となり得たのか。そこには日本特有の、こうしたものにすら粋や笑いを求める気質がある。だから春画には女だけでなく必ず男女が描かれる。

  • 日本で本格的に春画研究が始まった90年代後半〜2001年にかけて書かれた春画論。

    本論に入る前の「江戸はトランス・ジェンダー」という若衆論が、日本の男性アイドル観のようで面白かった。「男にとっても女にとっても、若衆は自分と同じ性をもっていて、しかも非現実的な存在だった。男にとっては女の生々しさがなく、女にとっては男のむさくるしさがない。この世の者ではないかのような浮遊した存在なのである」。肝心の春画紹介では若衆は一、二枚しか出てこず残念。
    日本のポルノである春画は(というか浮世絵全体だと思うが)、服飾芸術と強く結びついてハイコンテクストな世界を作っていた。それは文学においても同じで、のちの鏡花まで続いていく。黎明期からたくさんの絵師が紹介されるのだが、やっぱり歌麿だけ笑ってしまうくらいクオリティが高い。北斎は「関係を描くことや、絵を見る側の内面を想像することのできない絵師だったのかもしれない」という指摘が面白かった。

  • 近世の見立て絵を理解するための読書。春画であっても時代の美意識を理解していないと読み解けない。それもやはり、源氏から脈々と続く伝統の上に成り立っている。「隠すー見せる」の関係性や着物の生地や柄に対するこだわりなどなど。深い世界だなぁ。

  • 春画については、こちらの本がより詳しい。前回読んだ杉浦日向子の本と同じく、春画に対していやらしいという感覚はない。
    「春画は性交の絵であり、性交は男女がらいて成り立つ。(中略)春画は、着物やついたてや襖などで、からたをできるだけ隠し、交接部分を強調する。そして多くの、春画は、男女ほぼ同じ露出度である。と具体的に作品に当たりながら丁寧に解説してもらえる。鈴木春信の<まなゑもん>についても詳しい。
     浮世絵の最高傑作た言われる春画。交接部分を消したり、塗ったりして見せられていた偏狭な感覚から脱却して、江戸の真髄を味わいたいと思う。俗な風評に曇った目を拭ってくれる。

  • 日曜朝のTV番組「サンデーモーニング」に準レギュラーとして登場している田中優子先生、の著作。

    田中先生は法政大学の教授で、「江戸学」の権威。この4月からは、なんと総長になられるらしい。

    めっぽう、和服がお似合いになる。
    江戸学の人だものそりゃあね、と言ってしまえばそれまでだが、そもそも和服が似合う体型(超なで肩)だからこそ江戸を目指したのかも、なんてTVで拝見するたびに下世話な想像をしてしまう。

    で、この本。春画考である。
    あの方がこのような本を…と思うと下世話がさらに下ぶれしそうな雲行きになるが、いたって真面目な本である。

    大英博物館で春画のワークショップが開催されたところから話は始まる。訳のわからない検閲があるために、肝心の日本國内ではさっぱり研究が進んでいない分野であるという。

    この本の核心は、やはり服装なりテキスタイルにある。粋と野暮、高貴と卑賤、さらには不倫だったり行きずりだったりの事情が、ただ服の柄なり着合わせなどを観察するだけで見えてくる。さらには、目的がエロだけなら素っ裸でやってりゃいいものを、春画はおしなべてそうなってはいない、と話は進んでいく。

    春画と言えば、リアルかつ細密に描かれた巨大な男根とかが世界的に有名だが(ウタマーロ、である)、問題は、そのものズバリではなくむしろ服なり布なりでいかにうまく隠すか、にあったらしい。その技巧の頂点に歌麿がいる。

    呉服商がスポンサーで、要するに生地なり服なりのカタログであったり、いまで言えばモード雑誌でもあったのよ、という面もあったようだが、第一義的には、つまりチラリズムにこそ日本人のメンタリティがあったというのである。すっかり即物的になった現代日本のエロシーンは、そういう機微を忘れてしまったということなんでしょうな。

    モノクロだけど「検閲」の入っていない図版も豊富で、ちょっと下世話に目を寄せて見ちゃったりもしつつ、へえ、これにはそういうからくりだったのかと大いに納得のいく、大変面白い本であった。

  • こんなに大真面目に
    論じられたのでは
    粛々 ふむふむ
    と 読み進めるしかないですね

    田中優子センセイ
    の 男女の交合い大講義
    とても 楽しく興味深く
    読ませてもらいました

    本文中に出てくる
    そのモノの描写だけではなく
    男と女の人間の関係性を描いている
    という論評には
    なるほどと深く感じ入りました

    いつの時代でも
    どの国でも
    男と女が存在する
    この地球では
    普遍的な事象なのでしょう

  • 一昨年から昨年にかけて大英博物館で開催された春画展。日本ではこれまでほぼ禁忌事項の如く扱われ日の目を見ることは無かったが、あまりの反響の大きさに、ついに今年開催。現在12月までの日程で開催中。僕もこの間見てきたけれど、美しさや面白さに目を奪われると同時に、江戸以前の倫理観が如何に現代と違うのかについて衝撃を受けた。今我々が盲目的にフォローしている倫理観は、実は明治以降に新政府によって植え付けられたものだったと言えるのでは無いか、とその時感じたのだが、この本を読んで益々その思いを新たにした。
    というか観に行く前に読んどけばよかった…。現法政大学総長で、江戸文化研究の第一人者である田中優子教授の春画に関する過去5本の論文を再構成して判りやすく文庫化したこの本は、春画を通じて平安以降の日本の性愛観や置かれていた状況を、ひとつひとつ図版を使って丁寧に解説されている。文庫で白黒、尚かつ図版が小さいが、ここで取り上げられている多くの作品は大英博物館の所蔵作品で、つまり今回の春画展で公開されているものが多い。だからそういう意味でも、読んでから行くべきだったと大公開。
    個人的に一番興味深かったのは、源氏物語、平家物語からスタートする「テクスタイルとしての布」と「隠すことによって強調する」という手法に関する教授独特の観点。これ、実物の絵を見てこの本を読むと良くわかるんだけど、特に江戸中期以降の春画については、露出がどんどん少なくなり(基本的にピーク時の春画は結合している性器のみが露出されている)、その分着衣を効果的に用いて隠すことで、結合行為から野暮ったさを排除したり、逆にそれを強調して笑いにするなどの高度な手法が用いられていることを初めて認識した。どうしてこんなに露出が無いのにエロスなのかと思っていたのだが…。また、着衣も色んな描き方をされることで、周りの文化や題材の人々の階級、行為といったものが本当によく見えてくる。そして何より、春画はポルノとは違う。ポルノは基本的に男が女を観賞して楽しむというウエメセナ側面が捨てきれないと思う(違うのもあるんだろうが)。春画は男女一緒に楽しむ、と言うのが根本的に違うところ。
    江戸期においては呉服屋と春画画家は持ちつ持たれつであり、呉服屋は春画画家の大発注主で、春画は呉服屋にとっては宣材でもあったと言うのも面白い。また、個人的には江戸時代において覗きという行為が笑いの対象で趣味にはならないというのも新鮮であった。考えてみれば江戸の町家に現代のような閉鎖的な空間は殆ど存在しなかったのだから、他人の性行為を簡単に目撃するのが当たり前というのは判らないでもないけど、想像したことは無かったな…。
    春画展は年末12月23日まで開催中。今月いっぱいで前半が終了して、展示作品ががらっと入れ替わるので(会場である永青文庫が小さいので、展示作品数に限界が有ることが理由)、改めてもう一度後期観に行こう。しかし問題は、これ、おっさんひとりとかふたりで観に行くにはやはり抵抗のある展覧会なのだ。この前行ったときはこういうのを気楽に頼め、趣味の系統が同じほぼ唯一の友が一緒に行ってくれたけど、さてさて、まずはそこからか…?

  • 春画のからくりというタイトル通り、春画の見所、解説、解釈、変遷が見事にまとまっています。
    なるほど、そういう解釈をして楽しむ(エッチな気分になる、という意味ではなく、単純に笑う)ものなのかと、春画の奥深さを感じます。
    春画は笑いの種として親しまれていたようですが、いや多人数で見るのも恥ずかしいし、しかもそれを笑いに変えるとなると、僕にはなかなか理解できません。それだけ性に奔放だったのでしょう。
    死が日常であった時代だからこそ、生=性も日常的なものとしてあったのかもしれません。

    大学時代の卒業旅行で秘宝館に行きまして(笑)そこにはもちろん春画があったのですが、本書のような解釈が添えてあったら、もっと違った視点から見れたのに……と残念でなりません。絵師の意図を汲み取る鑑賞者の教養を求められます。表現者と鑑賞者、送り手と受け手のルールが存在し、故に門外漢などが見るとその魅力が半減し、大衆受けの不毛な作品に成り下がってしまいます。これは春画に限らないことですが、送り手と受け手のギャップによって、本来評価されるべき作品も評価されなかったり、また逆のことも言えます。それで言えば、春画は評価されて(単なるポルノ作品として扱われなくて)良かったです。
    ふと思ったのですが、じゃあ現代のポルノ作品で、後世にまで受け継がれそうな『芸術性の高い』ポルノ作品はあるのでしょうか?

    『見える・見えない』や『隠す・隠さない』によるエロティシズムとは鑑賞者に想像力を働かせる余地を残しているため、そこに更なるエロスを感じることができる。確かにそうですね。『脱げばいいってもんじゃない もっと色気出して』と言われたら、隠す表現がどうしても重要になってきます。
    なかなかに面白かったのですが、挿絵がカラーだったらもっと良かったのに……と思わずにはいられません。
    僕の評価はAにします。

  • 絵の解読という面でとても面白いですね。
    時代毎に、流行りの描かれ方があったりするってのが意外というか。
    マンガとかの技術の流行り廃りとかに近いものがある感じですね。

    実際の春画の解読に入る前の何章かの内容が興味深かったです。
    ここだけでも立ち読みすると、日本の有害図書とかそこら辺のおかしさ加減に気付くかも。

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著者プロフィール

1952 年神奈川県横浜市生まれ。江戸文化研究者、エッセイスト、法政大学第19 代総長、同大名誉教授。2005 年紫綬褒章受章。『江戸の想像力』( 筑摩書房) で芸術選奨文部大臣新人賞受賞、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』( 筑摩書房) で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞を受賞。近著に『遊郭と日本人』(講談社)、
『江戸問答』( 岩波書店・松岡正剛との対談) など

「2022年 『手塚マンガで学ぶ 憲法・環境・共生 全3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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