母は死ねない (単行本)

著者 :
  • 筑摩書房
3.50
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感想 : 31
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480815705

感想・レビュー・書評

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  • 中絶,障害児,難聴の子育て,ママ友,殺された子などへの母としてのアプローチや自分が子供だった時の母への思いなど母と子の関係も簡単ではない.17人の母へのインタビューでその本音を聞き取っている.このインタビューに登場する母は,しっかりと現実に根ざして生きているところがすごいと思った.

  • 私にはこの著書が合わないのだろう。読んでいてもピントはずれな感があり、常にイライラしながら読んでいた。単に生理的なものなんだろうけど。おそらくこの人の著書はもう読まないだろうな。

  • 最初の2編だけ読んでいまいち響かず、あやうくスルーするとこだった。
    これはすべてノンフィクションであの池田小学校の事件で犠牲になった優希ちゃんのお母様の本郷由美子氏、そして記憶に新しい山梨でキャンプ中に行方不明になった美咲ちゃんのママ、とも子さんの苦しい胸の内を、そして現在の心境と活動が丁寧に綴られていて生半可な気持ちでは(全編をとおして)
    読めない本だった。
    母は死ねない。読んだあとにこのタイトルを思うと改めて
    そういうことなんだと思った。

  • 「朝の希望」、「生まれるかなしみ」、「花を踏みにじらないために」

    他者の花畑を踏みにじらないように、自分の花畑を荒らされないように、荒らされたとしてもまだ花は咲いている。
    決して忘れてはいけない。



  • ★自分が母となり、自分の命よりも大切な存在ができることは、喜びも大きいが、苦しみも深いということを初めて知った。

    ★当時の私は子供を寝かしつけると、「自分はだめな母親だ」という気持ちに押し潰されそうになり、子供に謝りたくなった。なのに、子が起きている間には、反省も忘れて何もできないでいる。仕事と日々の生活で余裕がなかった。
    →◎わかる。痛いくらい、目をそむけたくなるくらいこの気持ちがわかる気がする。仕事、両立、忙しい、それを言い訳にする自分が嫌になる。ダメな母親だ、そう思うくらいなら、仕事やめればいいのに。そう思いながらも、どちらも手放したくなくて、必死になってる自分がいる。必死になれるのは、なんだかんだ言ってやめないのは、支えてくれる周りがいるから。ありがとう

    ★大人として一個人として相手に対するのではなく、どこか男性へ精神的に依存していたところがあったように思えるというのだ。一体感が欲しくて、相手の価値観の中にあえて取り込まれていた。(中略)それは周りの人に尽くすような行為に思えるけれど、実は思考停止することで、自分が楽になりたかったのかもしれないと思い至った。
    →◎夫であってもそうでなくても、男性であろうと女性であろうと、相手を頼ったり信頼するのと依存するのは違う。相手の価値観は認めるけど、自分がどう考えるか、の線引きをしっかりしておく。なんでもかんでも相手に合わせない。頭を使う。

    ★子のために生きる。それは美しい言葉のように思えて、母をがんじがらめにする呪いにもなりえる。

    ★守ってもらっているのは母親の方かもしれない。(中略)そんな自分でもありのままに受け入れてくれる、子供の存在に救われているのではないか。

    ★子のためにしばらく一緒にいようとも、あるいは別々の人生を歩もうとも、人が人と出会って一緒にいる時間は銀河の流れからすればほんの一瞬だ。だからこそ、全てを否定したくはない。今までのように目をそむけるのではなく、現実を直視してもなお、この時間は悲しいことやつらいことばかりではなかったのかもしれないと思うようになっていた。
    →◎はーとこれから先どうなるかはわからない。夫婦関係だけでなく、自分たちの意思で終わりをつけるもの、そのすべてにおいてこう思えたらいいなと思う。すべてを否定しないこと。きっとそれまでの時間の中で、「よかった」って思える瞬間が必ずあって、そこに目を向けられる強さを持ちたい。もちろん、自分たちの手で「終わる」決断をしないことが一番なんだけど。

    ★「お互いに働いて助け合って、心を持った人と一緒にいることが一番幸せなんだよ」
    →◎理解できないことも、言い方ほかにないのって悲しくなることもたくさんある。でも、私ははーと結婚出来て良かった。ありがとう。

    ★「住する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)
    →そこにとどまり続けることなく、常に変化し続けることが芸の本質。変化の中で新しさを作っていけ。

    ★時には誰かに甘えたい思いもあるけれど、私が皆を支えないといけない。そして、私も皆に支えられている。息子や娘に支えてもらって、夫や両親がいるから、生きていられるのだと。

    ★「私のおかげじゃなく、周りの人たちが助けてくれたおかげだよ。そして私もあなたたちのおかげで生きてこられた」人間は人の助けの中でいきてこられた。

    ★耳の聞こえないわが子に対して「ごめんね」とは思わなかった。母から耳が聞こえない子に産んでごめんねとかいわれていたら、障害をネガティブに受け取っていたかもしれない。自分にとってはそれが当たり前のこととして受け入れてきた。
    →◎癌になった時、ママもパパも「ごめんね」とは言わなかった。もちろん二人のせいでないことなんてわかってるし、言われたいとも思ってなかったけど。でも「言わないでいてくれてありがとう」と思う。いわれてたらもっと被害者意識が植え付けられていたかもしれない。
    志帆にも思う時もある、「こんなママでごめんね」と。でもきっと志帆にとっては今のこの我が家での生活が普通で、当たり前でスタンダードになってるから、それを謝られたらネガティブに受け取るだろう。謝りたいなら変えろ、と自分に思う。

    ★「いざとなったら私が育てるから大丈夫」最後の砦。(×あなたを選んで生まれてきた)
    →◎こないだキム兄が言ってた最後の砦の話。極端でしょ、と思わないこともないけど、これが実は意外と安定剤になったりする。応援すること、頑張らせることがいつも正しいわけじゃない。努力だけでどうにもならないこともある。そんなときは応援するだけじゃなくて、そばでそっと支えたい。

    ★障害は変えられない。社会と自分の心持は変えられる。

    ★かなしみという字は「悲しみ」「哀しみ」だけではなく「愛しみ」とも書く。
    →◎この本の中で一番響いた言葉かも。愛してるから、かなしみを感じることもある。ママとパパもそう思ってくれていたのかな。

    ★「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです」(ドストエフスキー・悪霊)

    ★どこにでもいる親が抱える、平凡でそして平和な悩み。「淡々と、毎日をただ淡々と、生活していく。その時間を大切にしたい」

    ★「子供は本当のことを言えないものだよ」
    ただの一人の不完全な人間でしかないことを認められないから、私は苦しかったのだろう。そのことを認めてしまえば、別の向き合い方ができるのかもしれない。
    私自身は、きっとこれからも間違い続け、不完全な母であり続けるだろう。また知らず知らずに、子供を傷つけてしまうに違いない。それでも、「あなたのために」という言葉だけは言わないようにしたいと誓った。
    そして知ったのは、本心を話すためには親子の会話があれば安心なわけではないということだった。問題を話し合うだけではない、何気ない日々の穏やかな会話、時間の積み重ねが足りなかったのかもしれない。何気ない風景や気持ちの動きをゆっくりと向き合って共有する時間。それは幼いころに私が母に話したかったことだと気づいた。

    ★見せたいのは、立派な母の姿ではなく、困ったら誰かしらが助けてくれるという信頼。人と人が親密になるのは、そんなときではないか。不得意なことや苦手なこと、弱みも開示していくしなやかさを伝えたい。

    ★家族だからこそ深く分かり合える半面、家族だからこそわかってほしいとぶつかり合う。
    子の痛みがわかると言い切ることは、親の子どもへの支配であると思っている。だから、冷たいようだけれど、その痛みは自分で解決するしかない。隣にいて見守る。失敗したら、いつでも戻ってきてほしい。

    ★一人の人間として苦労を取り戻すことは、人生の主体性や自分らしい生き方を取り戻していく過程でもある。
    家族はそっぽを向いていても、ただそこにいるだけでいい。痛みを見つめ合って話し合わなくてもいい。同じ山を見て、同じ歌を口ずさむことができればいいのだ。「安心して絶望できる人生」安心して絶望できる。それが家族。

    ★他人の痛みには鈍感で、自分の痛みには細心の注意を払う。

    ★出産も、子育ても、自分の思い通りにいかない日々を積み重ねて、それで人生も人も思い通りにいかないんだなというのを学んだし、それらの苦労があったからこそ、なんとかやってこれたと思う。そして改めて、人の温かさを知る。

    ★私たちは、不完全な母であり、不完全な娘であり、不完全な女であり、不完全な人間だ。母だからかくあるべきというところから自由になった方が母も子も幸せに違いない。

    ★子供は母と一体化した相手ではなく、自分の思い通りにならない他者である。もどかしく、時に喜ばしく思いながら、そのことを心から知ることで、互いの人生を認め合う関係が築けるのだろう。

    ◎読んでいて納得できるところも、んーってなるところも、励まされるところも、胸が苦しくなるところも、たくさん詰まってた1冊。
    自分がいかに幸せか。平凡な家庭のようで、でもその「平凡」が当たり前でなくて、これが「平和」なんだと改めて感じられる。人生思い通りになんて行かなくて、それは子育てにも自分個人の人生にも言えることで、でもだからこそ、人はみんな弱くて、自信がない。それに気づけたとき、他人に手を差し伸べられると思ったし、素直に「助けて」って言えるのかもしれない。美咲ちゃんのお母さんの手記がすごく響いたし、強く生きなきゃと思った。
    私は不完全な中でも不器用でどうしようもない人間だと思う。でもそんな面も志帆に見せながら、全力でひたむきに愛していきたいし、周りに頼り、感謝する姿勢も背中で見せていきたい。
    癌になった時、あれやこれや詮索することもなく、ただ静かに見守ってくれていた親には感謝しかないし、その強さを見習っていきたい。

  • 正直、読みにくかった。
    それぞれの章ごとに、私‥と称される人は
    誰なのか、筆者なのか?
    話を聞いたそれぞれの母なのか、
    混乱しながら読んだ。

    取材をもとにしているのだから、
    当たり前なのだろうけど、
    時折、挟まれる筆者自身の体験や事実に
    小説慣れしている私は戸惑った。
    それでも心に響く言葉は強い。

    私は「普通なんて意味がない」と思った。だが、中年を過ぎた人間が自分の記憶に蓋をしているだけだった。忘れることは救いにもなるけれど、暴力にもなりうる。

    ママ友の世界は、学校と同じだった。嫌いなものは嫌いだと言うことはできない。そして、いつも比較され、評価され、ヒエラルキーの中に位置づけられていた。
    同調も反論もすることなく、とにかく息を潜め、耳を通り抜ける音が鳴りやむことだけを待っていた。

    子どもの病気ぐわかった時、主治医は私に言った。「お母さんが大変な治療だと捉えているとお子さんがかわいそうでしょう。治療することはもっと普通の、当たり前のことだと構えてください」
    おおびっらに悲しむ自由も、泣く自由も、死にたいと嘆く自由もない。
    母が子を案じる思いは病気の重さではない。

    多くの母から語られる話は重く、自分立場に置き換えれば、どこかしらリンクする。
    そのなかでも「何度でも新しい朝を」の小倉とも子さんの話には、胸が痛んだ。気丈な姿で、テレビの前に立つ彼女の姿を知っていたからこそ、ここで知った話が1番、胸に残った。

    母は死ねない。
    ともすれば、年と共に老いに任せ、子どもに頼るところも出てくるだろうけど、やはり母である限り、死ねない…私もまだそう思っている。

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著者プロフィール

河合 香織(かわい・かおり):1974年生まれ。ノンフィクション作家。2004年、障害者の性と愛の問題を取り上げた『セックスボランティア』が話題を呼ぶ。09年、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞、19年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一賞および新潮ドキュメント賞をW受賞。ほか著書に『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』(『誘拐逃避行――少女沖縄「連れ去り」事件』改題)、『絶望に効くブックカフェ』がある。

「2023年 『母は死ねない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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