死を忘れるな

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560042700

感想・レビュー・書評

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  • ほとんどの登場人物が七十歳をこえている。こういう用語があるかどうかは知らないが、いうならば「老人」小説。わが国にも川端康成の『眠れる美女』や谷崎の『瘋癲老人日記』といった立派な老人小説が存在するが、ミュリエル・スパークのそれは、特異な性癖を持つ老人の行動や心理を描くというのではなく、イギリスのアッパー・ミドルに属する男女が、老いてからも続ける社交生活のなかで出合う結婚、恋愛につきものの嫉妬、裏切り、秘密といったあれこれを、お得意の底意地の悪いシニカルな視線であぶりだしてみせたもの。それに加えて、老齢からくる物忘れや神経衰弱、身体の不調、介護施設の扱い、遺産相続の揉め事、信仰心がからむ。英国小説であるから当然のことに階級の差からくる心的葛藤もモチーフの一つとなる。

    誰が主人公とはっきりいえないくらい多くの人物が主要な役割を務めているが、中心に君臨するのは作家のチャーミアン。誰もが魅了される女性である。その夫がゴドフリー。妻が注目を集めるたびにプライドが傷つき、妻に意趣返しをしないではいられない俗物である。その妹がディム・レティー。事の起こりは、レティーのところに、不審な電話がかかってくることだ。その男は「死を忘れるな」と、告げる。いったい誰が何の目的でそんな電話をかけてくるのか。妹は兄の家を訪れ不安を漏らす。

    一方、チャーミアンの古くからの話し相手兼メイドであったジーン・テイラーは今では老人施設に入所している。そこには昔の恋人で、身分違いゆえに結婚をあきらめたアレックがよく訪ねてくる。彼は「老年」について研究している素人社会学者。友人、知人を訪ねたり、人を雇って探らせた情報をカードに記入し、インデックスを作っている。テイラーは友人のチャーミアンの影響を受けてカトリックに入信した信仰心の厚い女性。レティーもよく彼女を訪ねては相談を持ちかけている。

    脅迫めいた電話は、その後複数の関係者に次々とかかってくる。犯人は誰か、という興味で引っぱってゆき、次々と死者の数が増えるのだから、これは連続死を扱ったミステリ小説と見ることもできる。もっとも、何人もの死が続くのは単に登場人物が老人ばかりのせいで、殺されるのはその中のたった一人。しかも、その犯人は電話とは無関係ときている。登場人物の中で、知性もあり、周囲をよく観察しているテイラーとアレックがホームズとワトソン役だろう。テイラーの考えでは電話は神の声であり、アレック説は集団ヒステリーだ。いくらミステリのパロディとしても、この見解はふざけている。

    社会階層で上の方に属する人々がもっぱら恋愛遊戯にうつつをぬかし、年老いた今になっても過去の出来事を気にして相手を憾んだり憎んだりしているのに比べ、階層の低い方はもっと露骨に金銭目的で犯罪をたくらむ。死んだライザ・ブルックの家政婦だったミセス・ベティグルーは、レティーに頼まれてチャーミアンの世話をすることになり、屋敷に入り込む。この女は名家の秘密を探り、それをネタに強請りをかけ、自分が相続人になるために遺書の書き換えを強要する悪党だ。

    その意図を知ったテイラーは、リウマチで自らは動けない。好奇心の強いアレックを使って、チャーミアンの財産を守ろうとするが、それは親友の過去の罪を明らかにすることとなり、嫉妬による裏切りと見られる行為であった。世俗的には裏切り行為であっても、神の目から見れば友を救う慈悲による自己放棄の行為である。「死を忘れるな」の言葉通り、テイラーはそう遠くない死を前にして最善の行為をなす。しかし、どこまでも皮肉なミュリエル・スパークは、この世に善が行なわれることが、即人々を幸せになどしない、というあくまでも辛口な結末を用意している。

    その意地の悪さに辟易しながらも、絶妙のタイミングで繰りだされるヒューモアについにんまりとさせられるのが、この作者ならでは。一つだけ挙げればチャーミアンのかつての恋人で批評家のガイと詩人のパーシーのアーネスト・ダウスンの評価をめぐるやりとりはなんとも微笑ましい。抗議をしにきた相手に抗議文を書く紙をわたしながら、「泊まっていけよ」と誘うところなんぞ「碁敵は憎さも憎し、懐かしし」という古川柳を思い出した。その後、『チャイルド・ハロルド』について話し合うために三週間滞在し続け、果ては『死を忘れるな』と題したシェイクスピア風のソネット一篇をものにした、というオチのつけ方など拍手喝采ものだ。

    原題は『メメント・モリ」。いうまでもなくラテン語の警句で「死を忘れるな」の意。芸術作品のモチーフとしてよく使われる。昔の絵には、よく書斎の机の上に頭骸骨が置かれているが、あれがそうだ。もともとは、どうせ死ぬ身なのだから今を楽しめ、という意味で使われていたらしいが、キリスト教によって、生の空しさ、ひいては来世の希求、を表すようになった。アレックやテイラーにとっては後者の意味で、ミセス・ベティグルーにとっては前者の意味で使われているように見える。このダブル・ミーニングもまた、いかにもミュリエル・スパークらしい。

  • 老人達の群像劇で老齢の人々のしみじみ心温まるような話ではないのだが。ある老人の所に「死を忘れるな」という電話が何度かかかってくる。最初は最期の日に備え悔いのないような人生を送って欲しいというメッセージなのかと思ったが、死ぬ前に遺産をちゃんと明確にしとけよ、ということなの?ミュリエル・スパークは突き抜けすぎて後ろを振り返ったりしないのかな。あとがきにイギリスでカソリックを宗教として選ぶことの難しさみたいな解説がある。きっと読み取れないメッセージが沢山あるんだろう、きっと。

  • 恐れられている人が恐れてる
    ミュリエル・スパーク、「死を忘れるな」。
    この小説、登場人物がほぼ70歳より上という高齢者小説(若くても50歳代(笑))。P50くらいにはこの小説の主な舞台の一つである老人病棟の新任婦長を巡って、みんながこの婦長を恐れていると見舞いに来たレティに対して説明するテーラーが、「実は婦長がここの年寄りを恐れている」と付け加えている。これを作品タイトルに絡めて読むと、死をみんなが恐れているけど、死(神?)の方も人間を恐れている、とこうなる(のかなあ)。
    スパークの文体の特徴として、簡潔で文章の繰り返しが多いということを解説では述べている。それは今のところ自分にはリズム感のよい小説というより、堂々巡りでどこが終わりで始まりだかわからない巻物みたいな小説といった感がある。日常生活自体は圧倒的に後者なのだから、これこそリアリズム?
    (2015 08/30)

    自分以外に自分の存在はあると思うか
    …というような言葉が、「死を忘れるな」の副主人公格というか狂言回しというか…から発せられます。どうなんでしょう。このセリフはどうやらこの男の愛情表現らしいのですが…この場面は老人病棟での回想にまたその中での回想というおおよそ20年刻みの3時点の事柄が、刻み込まれて並べられている。
    この人物は老人心理学?の研究の為として、人物録みたいなのを実に細かくつけているらしい。
    …130ページにして、やっと20代の人物が出てきた…

    犯人は死神?
    「死を忘れるな」も中盤にさしかかり、いろんな方向に話は進んでいくけど、なんだか一番肝心なところをつかみ損ねているような気もだんだんしてくる…
    そんな中、小説中を貫くミステリーである「死を忘れるな」電話の被害者?が知り合いの元刑事の家に集まって話をする、という場面が出てくる。といってもレティなどはこの刑事こそ犯人なのでは、と思っているみたいだけど…
    その元刑事モーティマーはこんなことを言い出す。
    死を忘れない訓練をするわけですよ。これくらい人生を充実させてくれる訓練はない。…(中略)…たえず死を感じていなければ人生は味気ないよ。卵の白味を食べて生きているようなものだ。
    (p206)
    (白味というのは訳者永川氏の狙った当て字か?)
    こういう意味のことが解説にも出てくる。そして何より哲学は死の練習とかなんとか言ってませんでしたっけ。ソクラテス?
    だったら、この忠告?に耳を傾けるかどうかで登場人物のこれからが決まるのか。
    ということでモーティマーはこの電話犯人を死神ではないか、と言ってはいるが…そんな彼のところにも電話は来る。それも彼のところだけは女声で…
    そして、この会合では、今まで出てこなかった、出てきている人々にも面識のない人々が被害者?として集まっている、というのも気になるところ。最初の小説構想からはみ出して一人歩きし出したのか。どこまで膨らむのか。気になるところ。
    (2015 09/01)

    近代の鋭さ、古代の笑い
    「死を忘れるな」を今さっき読み終えた。
    はじめてひとを欺こうとするとき
    なんと縺れた蜘蛛の巣を織ってしまうことか!
    小説という芸術は、ひとをだますこととそっくりでしょう
    (p257)
    元?小説家であるチャーミアンの言葉。まあ、だいたいの小説家(スパークも?)が上手くできた作品は登場人物が作者の意図を越えて勝手に動く、と言うけれど、その原因というか結果というか、作品はかなり複雑になってしまう。
    解説には、古代エジプトの宴会でのドクロや古代ローマの皇帝の背後の奴隷始めとした「メメントモリ」の系譜に触れている。シェークスピアなどにある道化もその系譜に位置付けられる。そして解説では同じカトリック改宗者作家のグリーンと比較して、グリーンには現代的なきびしさが、スパークには古代的なおおらかさがある、と書いてある。
    おおらかな、笑い。例えばこんなところはどうだろうか。ガイとパーシーの喧嘩?の場面から。
    彼は頭をさげ、目をくるくるまわして、突進する雄牛のように、薄茶色の眉毛の下からふたりをにらんだ。ただ、彼はあまり雄牛には似ているほうではない。
    (p263)
    スパークっていう作家は、ひょっとしたら最初に名言や細かな場面を作って、後でジグソーパズルかモザイク画みたいにはめ込んで作っているんではないかな、なんて思えてしまう。いろいろな憐れみを繋ぎ目として。
    (2015 09/02)

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著者プロフィール

1918年、エディンバラ生まれ。長篇に『ブロディ先生の青春』、ブッカー賞候補の本書など。英国文学賞ほか受賞。大英帝国勲章を受章。2006年、逝去。タイムズ紙の「戦後、偉大な英国人作家50人」に選出。

「2016年 『あなたの自伝、お書きします』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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