- Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560047040
作品紹介・あらすじ
カフカの作品の中でも、ひときわ異彩を放つ『変身』をはじめ、生前発表の全作品を収録。
感想・レビュー・書評
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原田義人訳で「断食芸人」読んだので池内紀訳で再読。池内訳は色々言われてるようですが、文章の軽快さというか軽薄で「理科室でピンセットで作ったよ!」みたいな感じが好きです。
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借り物
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2012年1月7日読了
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『下の通りを小さな娘が歩きながら振り返ると、その顔にいまや夕陽が射しかけていて、そこへ急ぎ足でやってきた男の影がかかる。でも、男はもう通りすぎていて、娘の顔は明るい』-『ぼんやりと外をながめる』
「カフカは、」と言いかけて、その言葉に続く様々な思いが一気に出てこようとしていることに気づく。余りにたくさんの言葉が生まれてこようとするので、たった一つしかない出口に順序よく並ばせて吐き出させてやらなければならないという思いに駆られる。
それなのに、そうやって順序立てて外へ出してやろうとすると、生まれかかっていた言葉たちはどれもこれも途端に引っ込み思案になって、一向に出てこようとしない。そもそも「カフカは、」などと簡単に言ってしまうことなど無理なことなのだけれど、と思い直しつつも、相変わらず何かをその後に続けてみたいという気持ちの高揚感だけはある。それで何とか引っ張り出そうとしてみると、それは恐ろしくトンチンカンな言葉であることを発見して、二度驚く。
例えば、カフカは二次元的だ。何故かそう思う。一つの場面から立ち上がってゆく奥行や高さというようなものがない(訳ではないのだけれども)。場面の転換が、まるで紙芝居の絵が繰られるように、さらりと何の未練もなく変わる。次にあらわれるのは全く見覚えのない場所に思える。主人公だけは連続した存在としてますます色濃くなる。その不連続と連続の違和感が解消されることはなく、さらりさらりと先へすすむ。全体としては立体になっている筈なのだが残る印象は二次元的なのだ。それは主人公の視点を借りたカフカの身体的俊敏さに、読み手である自分が付いていくことができない、ということの裏返し。だから、こんな告白は実はとても恥ずかしいことなのだけれど。
例えば、カフカは自動筆記的だ。一見脈絡もなく言葉が連なって流れてくる。ちょっとレリスを思い出す。しかし実際は自分の周辺でせわしなく起こる小さな変化を何一つ見逃すまいとする視線の動きのめまぐるしさを、少々ぶっきらぼうに(但し正直に)言葉になおしているということなのかも知れない。その言葉を追いかけているだけで、ドキドキとしてくる。何かがそこにあるという予感が恐ろしくする。何かが比喩されているのではないか、と常に考えずにはいられなくなる。でもそうやって読んでいるとカフカは苦しくなる。脳を寝かしつけて読んだ方がカフカは面白い。そういえばカフカを比喩的に読んではいけない、と保坂和志が言っていた。
『いったい全体、音楽がどんなかかわりにあるのか、何度も考えたものである。われわれはからきし音楽がだめときている。とすると、どうしてヨゼフィーネの歌がわかったりするのか』-『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』
カフカは解るようなものではないのだけれど、どこかで解るのだ。そこが不思議。とても刺激的だと思う。言葉の解らない外国語の歌を聞いている時のような、時代も文化的背景も遠く隔たった古典音楽を聴いている時のような、そんな感覚に似ていなくもない。
『わたしがそう言ったとき、彼はとても幸せそうだった。服の着こなしがいい、首のリボンが気に入ったと言った。さらに、わたしの肌がきれいだと言い、告白は取り消されるとき、もっともはっきりすると言った』-『祈る人との対話』
ああ、それはいったいどういう意味? と頭の方は訴える。でも身体の芯の方は、そうだそうだ、と言ってくる。ほら、あの初恋の思いのような、と。ああ、解ったような解らないような。 -
カフカ。
ところで毒虫ってどんなだろう。
害虫のイメージでいいのかしらん。
「掟の門」「流刑地にて」が大好き。
この本に載ってたかな? -
昔読んだのを思い出した!いくら奇妙な出来事が起こっても、その後何事も無かった様に日常に戻っていく様が何とも言えず奇妙だと思ったのを覚えています。時々、何気なくその奇妙さを思い出す。
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胸が痛くなる。
ラストの妹の姿がたまらない。
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