- Amazon.co.jp ・本 (162ページ)
- / ISBN・EAN: 9784577026366
作品紹介・あらすじ
もうずいぶん昔のことです。あるところに"たそがれ屋敷"とよばれている一軒の家があり、奥さまと、ふたりの娘と、ふたりのお手伝いさんが暮らしていました。ふたりの少女の家にやってきた、あたらしいお手伝いのルチアさん。ふたりの目にだけ、その姿がぼうっと光りかがやいてうつるそのわけは-謎が時間を超えて継がれていく風変わりなものがたり。
感想・レビュー・書評
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たださんのレビューから読みたくて。この前読んだ『黄色い夏の日』とは違うどこか異国の物語。でもお屋敷や植物などノスタルジー感じる所は同じ。愛しくて魅力的な人達の会話。ルチアさんはもちろん姉妹やボビーらの人生に思いを馳せながら読んだ。
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久しぶりの高楼方子さん。
ブク友さんのレビュー「意外な発見と喜びに満ちた宝箱」に惹かれて読みました。
ありがとうございます!
歳を重ねていくと、自分の好きなところ嫌いなところ、ひっくるめて全部、幼い頃の体験が基になっているなぁと感じます。その時の泣きたいような気持ち、うれしかったこと、大切に思っていたこと…それらは普段は全く忘れているんだけど何かの拍子にふっと去来して「あっこの感じ」と思い出す。その一瞬をただ過ぎてしまうのではなく、少し立ち止まって味わってみようとこの本を読んで思いました。-
たださん
初めまして。こちらこそいつも有難うございます♪そして、そう、この本はたださんのレビューを読んで感動して手にとったんですよ!改めて...たださん
初めまして。こちらこそいつも有難うございます♪そして、そう、この本はたださんのレビューを読んで感動して手にとったんですよ!改めてありがとうございます。
後半にある「ここ」と「どこか」について詳しく書かれていましたよね。自分の中ではまだ上手く消化しきれていないんですが、まさにここが核心ですね。たださんの感想がすごく深くて、あぁ!と思ってしまいました。私はほんとに語彙が少なくて表現が乏しいんですけど、皆さんのレビューにいつも感心しきりです。
高楼方子さん、楽しい話やシュールな話を何冊か読んでいましたが、この『ルチアさん』はまた違ったテイスト。読んで良かったです。
たださんは色んなジャンルの本を読まれているので、いつも本棚を楽しみにさせて頂いてます。これからもどうぞよろしく♪2022/07/24 -
koalajさん
お返事をありがとうございます♪
私は私で、koalajさんの読まれる本は、多彩だなと感じておりまして、国も時代も飛び越...koalajさん
お返事をありがとうございます♪
私は私で、koalajさんの読まれる本は、多彩だなと感じておりまして、国も時代も飛び越える感覚に、時折、読みたくなる本に出会えたりと、いつも楽しみにしております。
改めて、今後ともよろしくお願いいたします(^_^)2022/07/24 -
たださん
こちらこそ〜。
わたしの「読みたいリスト」には、まだ数冊たださんお薦めの本が入っていますよ〜♪リストは溜まる一方でなかなか読めな...たださん
こちらこそ〜。
わたしの「読みたいリスト」には、まだ数冊たださんお薦めの本が入っていますよ〜♪リストは溜まる一方でなかなか読めないのが悩ましい(涙)2022/07/24
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表紙の絵柄が完全に私好みで、しかも高楼方子さんなので、迷わず図書館で借りたのですが、これがまた、意外な発見と喜びに満ちた宝箱で、私の中で確かに響くものがあり、購入しようと思いました。
正直、13章までは、ちょっと不思議な謎解きのような物語だと思っていたのですが、最後の2章で、突然、物語の主題が現れた時に、「ああ、これは見たまんまの形を問いかけてるのではないんだな」ということに気づきました。
大人になってから、何かのきっかけで、子供の頃の純粋で真っ直ぐでひたむきな─それが他人には全く興味の無いことだとしても─想像や喜びを、ふと思い出すことができたら、どう感じるのでしょう?
物語中のとある人物は、大人になってからのどうしようもない忙しさで、豊かな暮らしを得ることはできたが、時折、悲しくもなく楽しくもない、ひどく味気ない心でいることに気づきました。
そんな時に思い出したら、どう感じるのでしょう?
また、私の中で未だに消化しきれず、考え続けている、「ここ」と「どこか」の概念について、この物語では、とても興味深い捉え方をしています。
「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる。
そんなことって、ありうるのだろうか?
おそらく、「ここ」というのが、わたしのいるところ、あるいは、現在のわたし自身だとすると、「どこか」というのは、ここではないどこか、あるいは、過去の純粋できらきらしていた、まっすぐにひたむきなわたし、なのかもしれない。
別に、大人になっても純粋な部分はあるはずなのに、なぜか、あの頃は純粋だったなと思うのはなぜでしょう。それとも私だけ?
きっと、形とか言葉ではっきり説明することはできないのだけれど、それでも確かにあったのですよ。分からないのに実感できる、見えないけど、かけがえのない大切なものを思い出させてくれた。
そして、もう一度、それを「どこか」として、私の体の中に取り込みながら、毎日を生きていけば・・・何としあわせな思いになることでしょう。
「どこか」というのが、遠い思い出でも、未だに探し続けていることでも、それは何でもよくて、それが現在の自分と過去の自分を引き合わせることになるかもしれないし、単に夢中になることがあることを、客観的な視点で見られる心の有り様を自覚することでもいいのです。
それは、自分が幸せだということを、自分自身で再確認することなのかもしれない。
そんなことを気づかせてくれただけで、私にはこの本が大切な宝物になりました。
それから、巻末に書かれた、「exlibris」は、「蔵書票」の意味があり、そこに名前を書いておくことで、永遠に私の本となり、それはスゥとルゥルゥの心が満たされた、水色の宝石と同じような、きらきらしたものに変わるように思われて、私の心もまた満たされるような嬉しさを覚えるのです。-
たださんおはようございます。
akikobbさんもおはようございます。
お二人のレビューを読んでたださんの書いてた「蔵書票」をもう一度見て...たださんおはようございます。
akikobbさんもおはようございます。
お二人のレビューを読んでたださんの書いてた「蔵書票」をもう一度見てみたくなりました。図書館本なのが本当に残念。
そしてこの本はもちろん『緑の模様画』や『黄色い夏の日』でも、高楼さんは装画が魅力的で私には装画素敵率No.1ですね。2023/06/04 -
たださん、お返事ありがとうございます。
そうですか、高楼さんの本、入手はそれほど簡単ではないのですね。いつかどこかで思いがけず出会ったら買...たださん、お返事ありがとうございます。
そうですか、高楼さんの本、入手はそれほど簡単ではないのですね。いつかどこかで思いがけず出会ったら買ってしまいそうです。
111108さん、こんにちは。
装画素敵率No.1、大納得です。『黄色い夏の日』も読んでみようかな。緑、水色ときて黄色!いろどり豊かです。2023/06/04 -
111108さん、akikobbさん、こんばんは。
確かに!
装画素敵率、いい言葉ですね。
高楼さんは絵描きさんのチョイスも素晴らしいこと...111108さん、akikobbさん、こんばんは。
確かに!
装画素敵率、いい言葉ですね。
高楼さんは絵描きさんのチョイスも素晴らしいことの現れですし、『黄色い夏の日』は、ある思いの強さが色々な意味で凄いです。2023/06/04
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気の毒な身の上の人だという触れ込みで“たそがれ屋敷”の召使いの仕事にやってきたルチアさんは、その前評判とは裏腹に、いつも輝くように朗らかな、まあるいふくよかな体がトレードマークのおばさんだった。話を聞くと、確かに色々と災難に遭い貧しく暮らしているようなのだが、当人は至って明るく健やかで、屋敷の人々が当初ひそかに期待したような“気の毒オーラ”は一切感じられないのだった。それどころか、人はルチアさんと一緒にいるとつい心に秘めた打ち明け話をしたくなり、そして話した後はなぜかすっきり明るい気持ちになってしまうのだ。
そんなルチアさんの秘密は物語の終盤で明かされる。ルチアさんはとある方法で、《「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる》、そんな生き方ができている人だったのだ。「ここ」と「どこか」、それは目の前の現実世界と、想像力や空想でたどり着くような物語世界、無理やり言葉にすればそのようなものだと私はとらえた。そんなルチアさんのような生き方が、ある種の理想、人間の究極のしあわせであるようにひとまずは描かれている。
しかし、そんな素敵なルチアさんのようになりたいね、で終わらないところがこの本の私のいちばん好きなところだ。作中には、「ここ」で夢中に/必死になりすぎるあまり「どこか」を忘れてしまった人もいる。「どこか」を求めすぎて「ここ」からふわふわと離れていってしまった人もいる。「どこか」ってなんなのか、わかりたくてもついぞわからずいつも物憂げだった人もいれば、「どこか」の魅力と同時にその危うさ、奇妙さに気づきその違和感を見逃さず、敢えて距離を保ちつつ、しあわせとはなにかという答えの出ない問いを考え続けた人もいる。
さあそれで、ルチアさん以外はみんなみんなしあわせではなかったなんて言えるだろうか?決してそんなことはない。つねに満たされていることだけがしあわせなのではない、みんな人それぞれの「欠け」を抱きながら、自分なりの喜びも手にしていく、そのありのままの全てが愛おしいんだと、そう言ってくれているのではないかなと、私は思った。
美しいものを描写する言葉の豊かさ、ちょっとした謎で読者を飽きさせずに引っ張っていく推進力、ちょっと奇妙で不気味さすらあるイラスト(出久根育さん)、適度な短さ、巻末の「exlibris」(蔵書票という意味で、持ち主の名前を書く欄なのだそうです。ブク友のたださんがレビューで教えて下さっています。)、どこをとっても素敵すぎる本でした。-
akikobbさん、こちらにもお邪魔します。
111108さんも、またまたこんばんは。
私の感じた視点とは、また異なる、『ここ』と『どこか...akikobbさん、こちらにもお邪魔します。
111108さんも、またまたこんばんは。
私の感じた視点とは、また異なる、『ここ』と『どこか』を人々はそれぞれの形で思いを描いているような、そんな印象を抱きまして、まさに、読んだ人それぞれが違った思いを抱くことができる、そんな素敵な物語だったのだなと改めて実感させていただきました。
素晴らしいレビューを、ありがとうございます。
それから、巻末の「exlibris」ですが、他の高楼さんの作品でも見た記憶があり、実は「ルチアさん」に限ったことでは無いのですが、そこには高楼さんの、本に対する思いの深さが窺えるようで、また印象的でした。2023/06/04 -
たださん、コメントありがとうございます。
「ここ」と「どこか」、捉え方は様々ですし言葉にしようとすると難しいですよね。私が書いたのも、とて...たださん、コメントありがとうございます。
「ここ」と「どこか」、捉え方は様々ですし言葉にしようとすると難しいですよね。私が書いたのも、とても単純化して書き表した一例という感じで、私が感じたことの全てではないようにも思います。
そんな上手く言えないなにかを、小説は形にしてくれるところが素晴らしいですよね。
exlibris、他の作品でもあるのですね。レビューやコメントのやりとりで何度も書いたおかげで、初めはアルファベット一文字ずつ確認しながら打ってましたが、今はそらで打てるようになりました笑。井上ひさしさんがエッセイで、子どもの頃「井上蔵書第○号」の判子を作ってご自分の本に押していたと書かれていたのを思い出しました。憧れますよね。2023/06/05 -
akikobbさん、お返事ありがとうございます。
そうなんですよ。何の作品かは忘れてしまったのですが、全く同じデザインなので、見つけたら、...akikobbさん、お返事ありがとうございます。
そうなんですよ。何の作品かは忘れてしまったのですが、全く同じデザインなので、見つけたら、すぐ分かると思います。
言葉に出来ないものを感じられる、小説の不思議で素晴らしいところですよね(^^)2023/06/05
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読んでから2週間経つが感想を書くのが難しい。テーマは子供向けにしては難解で哲学的な要素が大きいと思った。
”たそがれ屋敷”に住むスゥとルゥルゥ姉妹には、新しく雇われたお手伝いさんのルチアさんが、水色に光って見える。それは、船乗りのお父様が異国から持ち帰った水色の玉にそっくりだった。光って見えるのは二人にだけで他の人には見えない。謎を突き止めたくて二人はルチアさんの家まで彼女を尾行することにした。そこでボビーというルチアさんの娘に出会ったが、ボビーにもルチアさんは光って見えないと言う。ある日、ボビーとスゥ、ルゥルゥの3人は、夜中にルチアさんが水色に光る不思議な実を漬け込んだ飲み物を飲むを見たのだった。
物語は何年も何年も過ぎた秋の日に跳ぶ。白いものが混じった髪を一つに束ねたボビーが”たそがれ屋敷”を訪ねて来る。たそがれ屋敷には教頭先生になったスゥが住んでいて、妹のルゥルゥは旅に出たままだった。ボビーは分厚い手紙を残して帰っていった。
手紙にはルチアさんが最近亡くなったと書かれてあり、彼女の人となりが詳しく書かれてあった。『母の性格や人柄はたぶんに生まれついてのものだったろうと思います。珍しい人だったに違いない。母がため息をついたり、愚痴をこぼしたり、人を批判するのを一度も聞いたことがないのですから。そのかわり何かに執着したり、なにかを特別に愛することもなく、どんなことも受け入れ淡々としているふうでした。どんな時にも満たされているように見えた』それは、あの水色の実を漬け込んだ飲み物のせいにちがいないと思えてきて、ボビーはルチアに訊ねる。「あれを飲むと、ここじゃないどこか遠くの味がするの。ごくごく飲むとまるでどこかのきらきらとしたところがそのままお腹の中に入ってくるようなの」と答えが返ってきた。琥珀色の梅酒でなく青色の梅を浸した果実酒が想像されて、高楼さんらしいと感じた。”どこか遠くのきらきらしたところ”が、ルチアさんの心を満たしていったのだ。体の中に、その場所が溶け込んでいたからこそ、ルチアさんは常に静かな喜びと共にいられたのだ。”ここ”に根を下ろし、毎日淡々と働きながら、行ったことも見たこともない”どこか”を内に抱えていられた。”ここ”にいながら同時に”どこか”にも居れたから、”どこか”に恋焦がれる必要などあるはずがなかったのだ。
読んでいて”諦観”という言葉も過ったが、一概にそれだけではないようにも感じられた。
”どこか遠くのきらきらしたところ”への想いを胸に抱きながら生きた人は、物語の中では人生を旅に捧げてしまった父親やルゥルゥやピピン叔父。”どこか遠くのきらきらしたところ”を夢見ない人もいるが、ルチアさんは確かに憧れていた。でも、”ここ”に居ながら”どこか”へ行く術を持っていた。単に心の持ちようとか想像の翼を拡げていただけではないだろう・・・。おそらく、そんな方法は誰かに教えられたものではなく、天分のようなものなのだろう。
ああ、ルチアさんが限りなく羨ましくなった。 -
子供にはちょっと内容が難しく、大人には(少なくともルチアさんの存在が)それほど魅力的ではない、という感じの中途半端なお話と感じた。きらきら水色の玉、水色の卵のようなルチアさん、世間から隔絶されたお屋敷の不思議な双子のような女の子たち、と、魅力的な世界はひらけているのだけど……。
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2013.4.22市立図書館
双子の少女たちにだけはきらきら光って見えるふしぎなルチアさん。
そばにいると、心にしまったなにかしら輝くような思いを表に出したくなるような不思議な存在。その秘密をさぐるべく、箱入り娘の双子が動き、そこにルチアさんの娘もまきこまれ・・・
「どこか」へのあこがれを「ここ」にあわせもっている静かな喜び、「どこか遠くのきらきらしたところ」で満たさているしあわせ。はたしてそれがだれにとってもほんとうのしあわせかということも含めて、登場人物たちと同じく考え考え読んだ。
今のわたし自身「ここ」にかかりきりで、「心ここにあらず」なあこがれの気持ちを失ってないかな、そればかりではふわふわと心もとないけれど、まるでないのはやはり味気ない「どこかへのあこがれ」。 -
恥ずかしながら初高楼方子。雰囲気のある語りで、でも雰囲気だけでとどめずに、幸福ってなんだろう、深く思いを致すこととはどういうことなんだろう、ということを、少しの苦みを交えながら描いてゆくのがすごいと思った。べつの作品も読みます。
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「どこか遠くのきらきらしたところ」を探す夢追い人も、「ここ」でしっかり生きていく人も、どちらを向いているかの差はあれど、幸せになりうる。
でも、その「どこか」が「ここ」だったら、いつも幸せでいられるのかもしれない。
といいつつ、幸せの形は人それぞれで、「どこか」を「ここ」にできる才能をもって幸せになる人だけが正しいのではなく、「どこか」はどこなんだろうかと「ここ」で考えつづける幸せもあったりする。
という寛容さが良いです。
詳しい感想⇒http://melancholidea.seesaa.net/article/14819741.html -
スゥとルゥルゥ、ふたりの少女の目にだけ光を発しているように見えるふしぎなお手伝いさんのルチアさん。まるでふたりの宝物の水色の宝石みたいに。どこか遠くのきらきらしたところを求める人、ここで生きていく人。求めるどこかはここなのかもしれない。
まさに、記憶の奥底にしまわれたままだった、思い出を掘り起こしてくれたような感覚ですね。
...
まさに、記憶の奥底にしまわれたままだった、思い出を掘り起こしてくれたような感覚ですね。
私も順番に巡っていきます(^_^)
とはいっても、高楼方子さんですから期待しています。
コメントありがとうございます!
「よまないとたべちゃうぞぉ〜」には笑ってしまいました。出久根さんの絵はたしかにち...
コメントありがとうございます!
「よまないとたべちゃうぞぉ〜」には笑ってしまいました。出久根さんの絵はたしかにちょっと不気味な雰囲気もありますけど、「ルチアさん」では本当にお話とぴったり合っていて、この絵でなければ完成しない絵本だと思います。
しずくさんのレビュー楽しみにしてますね♪