自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768312

感想・レビュー・書評

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  • 女性が小説を書くためには、「年収500ポンドと自分ひとりの部屋」を持たねばならない、という主張をどう受け止めたらよいか、終始迷いながら読み終えました。
    訳者の解説によれば、年収500ポンドはおよそ年収500万円と読みかえて差し支えないらしい。

    年収500万円相当の労働とは、どんな仕事であれかなりの時間を必要とするだろうし、時間を必要としないなら、何かしらの運の良さか才能に恵まれていなくてはならないのでは、と2023年の日本にいる私は、1929年のイギリスにいるウルフに言いたくなってしまう。(ちなみに、この作品の架空の語り手であるメアリーは、年収500ポンドを親戚の遺産から得ている設定になっている。)
    が、頭のどこかで、ウルフは1つのわかりやすい提案として、これらの条件を挙げたのではないかな、とも思う。

    それは、ウルフは何度も本書の中で
    作品はそれのみで、孤独のなかで誕生するわけではなく、年月をかけて人々が一体となって考えた結果として登場する、とも述べているから。
    そしてウルフは、様々な制約のなかで自由に生きられない女性たちが、不幸な境遇や怒りにとらわれず、精神を白熱させることを重視し、たとえ1つの時代の1人の作家がそれを完璧に成し遂げられなかったとしても、詩人の魂は不滅で、一人ひとりの女性のなかで蘇るときを待っているのだ、とも、繰り返し述べています。

    つまり、これらの条件がそろわなければ女性は小説を書けない、ということではなく、社会の様々な制約を炙り出しながら、いかに作品のために精神を白熱させられるか、過去から渡されてきたバトンを受け取り未来へたくしていくかが大切なのである、というメッセージなのではないかな。
    そして、広い意味では、小説の書き手だけではなく、一人ひとりの女性がそのバトンの受け手となるのだと思います。

    古典を読んでいるとき、だいたいは望遠鏡を一生懸命のぞいて遠くのほうで燃えさかる星を美しいなあ、と眺めているような気分なのですが、本書はその惑星からヒュッとバトンを渡されたような衝撃を受けた一冊でした。

  • 1928年にケンブリッジ大学の女子カレッジで行なわれた講演をベースにした、フェミニズム批評の古典的作品。「意識の流れ」による叙述のため、読み取りにくい部分もあるが、訳注と解説が充実していてとても助かる。

    「自分ひとりの部屋」というタイトルは、女性が小説を書こうと思うなら、生活にゆとりのあるだけのお金(年収500ポンド、訳者によると500万円程度のイメージ)と一人になれる部屋を確保しなければならない、というウルフの主張に依る。そして、女性の経済的基盤のなさが、いかにその作家としての自立を困難にしてきたのかが、具体的に語られる。

    とはいえ読み進めると、お金と部屋だけですべてを語ってはいないことにも気づく。たとえば19世紀の女性作家による作品のうち、ウルフはジェイン・オースティンの『高慢と偏見』を奇跡的とまで高く評価する。女性の置かれた困難な状況のせいで作品に傷がついた痕跡が、まったく見られないから。これに対してシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』には、彼女の置かれた困難への憤怒が、作品にもぎこちなさを与えてしまっていると述べる。また、男性作家についても、女性的価値観を兼ね備えている点で、トルストイよりもプルーストを評価する。

    これらの作品評価には、当然いろんな意見が寄せられそうだ。だけど、経済的基盤だけには還元されない「個人」の可能性にもウルフが目を向けていたことは確かだし、ひいては個人が社会を変えていく可能性に期待していたともいえるだろう。

  • 著者、ヴァージニア・ウルフ、どのような方かというと、
    ウィキペディアには次のように書かれています。

    ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、イギリスの小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学の主要な作家の一人。

    モダニズム文学とは、何かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    モダニズム文学(モダニズムぶんがく)は、20世紀文学の一潮流で、1920年前後に起こった前衛運動をさす。都市生活を背景にし、既成の手法を否定した前衛的な文学運動。ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本、ラテンアメリカなど各国でその動向が見られる。

    少々調べてみましたが、良くわかりませんね。


    で、本作はの内容は、次のとおり。(コピペです)

    女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分一人の部屋を持たねばならない――〈女性と小説〉の歴史を熱く静かに紡いだ名随想の新訳。

  • なんか気難しそうで(失礼)敬遠していたウルフだけど、ユーモア精神のある素晴らしい講演だと思う。小説の「誠実さ」についてということが心に残った。しかし私はシャーロット・ブロンテのことは少し擁護したくなった。「私が私であること」のなかには、憤懣も、責任感もあって、それがシャーロット自身であったのなら、それはそれで受け入れられる。(これは読む側の私自身にはめられた枷もあるのだろうか?)
    押し付けられた価値観や役割を取り除いて、あるがままの私、でものを書くということ。あるがままの自分ってなんだろうな。

  • 女子大生向けの講演をベースに書かれた「フェミニズム批評の古典」。ウルフの個人的な随筆を期待して手に取った者としては少々構えてしまったが、肩ひじを張った雰囲気ではなく、「女性が書く(自分にとって良いことをする)ためにはどうしたらいいか」についてのウルフの考えを、20世紀前半の女性の立場、文学史に登場した女性たちとその作品に対するウルフの論に沿って知ることができた。

    「なんとしてでもお金を手に入れてほしいと思っています」と結論で彼女は述べているが、それは本当に必要なことで、経済的自立なしにありたい自分のまま生きることはできない。また、文学にしろ女性解放運動にしろ、何かが起きるにはその前段階を用意してくれた世代がいるのだという視点になにか元気づけられた。前の世代に感謝しながら次の世代のためにも道を拓く努力をすべきだということ。男女を問わず、性別が理由で方向付けや強制をされない世界を望み続けたい。

    現時点で最も新しい訳の本書は訳注が非常に丁寧につけられている。英文学の知識がなくても読み進められるようになっているので、進路を考え始める高校生が読んでくれたらなあと思う。

  • 面白かった。
    過去の女性たちがいかに創作の世界から、貧困と社会の圧を理由に排除されてきたかのかの話。
    自分ひとりで金を稼げないと家からは抜け出せないし、そうしないと自分の執筆や思索に集中するための邪魔されない部屋も持てないから、お金は大事なのだろう。
    成功している男性作家が基本裕福で学びに触れる機会がある。でもその一部の人しか創作の機会にありつけないのは、国や世界にとって大きな損失だ。という主張だった。
    この本を読んで、J・K・ローリングが生活保護を受けてそのお金で生活しながら物語を執筆していたという話を思い出した。それを許す環境があったからこそハリポタが生まれたのであって、だから、福祉というのは長期的には投資なのだなと思ったし、それが出来るのが豊かさだと感じた。

  • 「女性が小説を書くだって」
    「ナンセンス、書けるわけがない」
    という会話が普通だった時代がある。そんな時代の中でも先人を切る方々がいたおかげで、徐々に女性が創作活動にも携われることが可能になってきた。
    本書が出版されたのが1929年、著者であるヴァージニア・ウルフさんがケンブリッジ大学で行った2回の講演をもとにした作品。当時、男女平等の参政権が認められて、しばらくたったころ。現代社会から見つめると、男女の収入格差が明確にあり、社会的地位も男女で差がある時代といえる。
    女性が小説や詩を書くことが、まだ常識とは言えない時代に創作された古典的作品があるということを認識できたこと。そして、それらの作品を読むときには、その時代背景も考察することも大事なことだと感じた。
    本書は、ユニークな語りで、子育てや家事で時間をとられ、もちろん個室があるわけでもなく、経済的な自由もない時代に、書物を創作してきた女性たちの心境を浮き彫りにしていく。脈々とつないできたバトンを聴衆である女学生たちに託すかのごとく、先人たちの力を引き継ぐことが可能であり、未来は開けていくという願いもあったのでしょう。
    読んでよかった一冊。

  • 現代を生きる私たちにとっても無関係ではない問題、今なお社会に残る問題が論じられている。

  • この先の人生で何度も読み返すことになると思う

    「文学の中で男性が女性の恋人としてしか表象されず、他の男性の友人ということもなければ、兵士でも、思想家や夢想家でもないとしたらどうでしょう?……文学は甚大な損害を受けることになります」
    こんな簡単な理屈でさえ信じ続けることは難しい、部屋でひとり、自分は誰かの席を奪ったのではなく奪われていた席を取り返したのだと初めて思えた

  • すごい本だった。
    ウルフ本人がテーマとする「個室とお金」を圧倒的に超えたことが書かれている。経済格差とか差別的言辞といった目に見える厳しさの向こうの、目に見えないもの。私たち女性さえもが無意識に自らを閉じ込めている価値観。そこから翔び立って、性別を超え、他者との偏向的な関わりも超え、自由に「自分」であれ、とウルフは言っているように、私には思えた。しかもウルフは、そのようにあるためには現実を見据えて生きよ、とも喝破する。「私」が「生きる」ということを、深く考えさせられる本。

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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