ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

著者 :
  • ポプラ社
4.10
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591161005

作品紹介・あらすじ

「34歳のときに治らないがんの告知を受けた。
後悔はない。それは、すべてを自分で選んできたからだ。

生きにくさを感じている人に、
生きやすさを感じてもらえることを願って――。」

家族、友人、仕事、お金、自分の居たい場所、そして生と死。
命を見つめ続けてきた写真家が、大切にしてきた「選ぶ」ということ。

自らが取材したがん患者や、患者の関係者たちとの対話を通して見えてきたもの。
最後に選択するという安楽死について。
生きにくさを超えるために、自ら「選びとる」ことの意味を、強くやさしいことばで綴る。

感想・レビュー・書評

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  • この作品で一番共感し、教えてもらったことは、

    「命とは株式会社のようなもの」

    という考え方。

    自分の命に対して、どう扱うかは自分の自由、

    極端な言い方をすれば、そのような権利は全体の50%。

    あとの50%は自分のことを大切に、かけがえのないものと感じてくれている人たちの権利。

    そのような価値観を自分の根底に据えれば、どんなに落ち込んだときも、自分のことをダメ人間だと感じたときも、

    周りの人の視点から自分を眺めたときの、自分という人間の存在価値に、冷静になって思いを馳せられるのではないか。

    岸田奈美さんのエッセイで知った幡野広志さんの素晴らしいエッセイでした。

    オススメ!

  • 「死とはなにか?」を突き詰めると「生きるとはどういうことか?」にたどり着いた作者。写真家、幡野広志さんのエッセイと軽い気持ちで読みだした本。中身は「死」。多発性骨髄腫の診断を受け余命三年と宣告された「死」について考える。

    「死」を考えることの先にあったのは、「生」を考えることだった。

    たとえば安楽死という選択について「死を選ぶこと」だと考えている人は多いと思う。でも、これは「生き方を選ぶこと」なのだ。自分がどのように生きたか、どのような気持ちでどのように最後を迎えたか、そういう「生き方」の問題と。

    何の答えも出してはおられないが、この「死」と「生」を考える問題提議は十分、答えとすれば、すべて自分で選ぶ、自分で決めるということだけですか。

    まだまだ動けるこの時に、このような本に出会えるとは、なんと幸せなことでしょう・・・。

  • この本は、一万円選書の著者のお勧め本になっていたので読んでみました。
    34歳でガン告知された著者の人生観、死生観を描いたものです。
    正直、とても重い内容でしたが、多角的に考える参考になりました。
    ぜひぜひ読んでみてください。

  • 同情を誘うわけでもなく、病気にかかったことへの後悔を訥々と語るわけでもなく、「死ぬこと」から「生きること」を考えた筆者がとても素敵だった。

    本の内容から、癌の話、余命宣告を受けた人の話、まあそうではあるんだけど、この本に書かれていることは、どんな人にも届く部分があると思う。

    人知れずつらい思いをしている人、とくに家族の問題に思い悩む人にはとても励みになる内容だった。

    いま、新しい局面に立たされていることもあって、「生きる」こと「選びなおす」ということが、私にとっても胸に響く内容だった。

    感覚的にドライなところも感じる筆者が、心ではなく頭で自分自身の残りの人生と、残された家族がその後の人生をどう歩むかを考える姿は新鮮だった。

    つらいこと、しんどいこと、重いことに向き合うとき、ほとんどの人は頭よりも感情が先に動く。
    「家族のためにも頑張らなきゃ」という一言が患者たちの心を冷やしていく。

    けれども、その軽い言葉そのものが相手を深く傷つける。
    「これ以上どうがんばれっていうんだ」と。


    この本の中には、癌患者だけではなく、虐待にあった人、自殺を考えている人などの話も出てくる。
    私自身も「がんばって」「負けないで」と励ましの言葉を安易に掛けることがある。
    不幸な目にあった人に向き合うのが怖くて、安易な励ましの言葉を放ってしまう、そういうところが自分にもあるのかもしれない。

    辛辣な言葉が綴られることもあるが、とても冷静な目で周囲の人たちの言動を考えていて、自分にとっても相手と向き合うことについて考えさせられた。
    言葉をかけるとき、相手を思いやっているようでも自分本位な言葉がけをしているのかもしれない。

    本の題にあるように「選べなかったことを選びなおす」というのが、この本のテーマというか、最終的にたどり着く「生きる」ということの答えになっている。

    「選ぶ」ということのなかで「家族」が上がっているのがとても胸に響いた。
    とくに日本は親を大切にするという風習が根強くのこっていると思う。
    「親御さんを安心させてあげなさい」とか「親孝行しなさい」とか、何気ない会話でもあるけれど、この一言が重たく感じる人も多いと思う。
    どんな親でも「親だから」すばらしいわけではない。
    親であっても「選ぶ」ことができる、家族は「選ぶ」ことができるそういったメッセージ性はとても励みになった。
    私自身、親ではないが、いろんなことに対して「○○だから」という理由で選べなかったことがあるが、それを「選びなおす」ことができるようになるのではないかと。

    筆者の幡野さんは、おそらくとても誠実な人なのだろうと思う。
    自分の人生や、家族の人生に対して、一人一人の言葉がけに対する分析的な部分も含めて、物事の受け止め方に誠意を感じた。

  • 人間関係は選べるし家族も選べるという考えかたは深く頷けます。
    直系家族は自分の配偶者と子供と子供の配偶者迄というNASAの判断がとても面白いです。親から見たら子供は直系だけれども、子供から見た親は拡大家族という事です。
    愕然とする感じ有りますが、なんとなく心の奥にくすぶっているものを取り出されたような感じがします。
    がんで余命宣告されてからこうして執筆していますが、自分と家族の時間を大事にしていらっしゃるようで安心します。家族との時間は誰にも奪われたくないものですよね。

  • 著者は30代半ばのカメラマン。妻とまだ幼い息子がいる。
    働き盛りの彼は、突然、がんの宣告を受ける。多発性骨髄腫。5年生存率は3割程度、生存中央値は3年、難治性のがんである。
    激しい痛みと睡眠不足の中、著者はその宣告と向き合う。
    一時は自殺も考えるが、それを思いとどまらせたのは妻子の存在だったのだろう。もし、あと3年しか生きられないとしたら、妻と子に何が遺せるか。そんな思いがこの本の執筆動機の根元にある。
    著者は自身の病気について、1本のブログを書く。身構えるではない、気負うでもない。淡々と病気に対峙する姿勢に、多くのメッセージが寄せられる。励ましや応援もある一方、哀れみや非難もある。そして中には、「感謝」のメッセージもあるのだ。
    著者は治療が一段落すると、その人たちに会いにいくことにする。

    前半は著者の闘病記。
    後半は著者にメッセージを寄せた人々を取材したもの。
    メッセージを寄せた人たちは病気に苦しんでいるだけではない。多くは家族関係に問題を抱えている。というよりは、著者が心惹かれたのが、そうした問題を抱えている人たちであったということだろう。著者自身も両親との関係は必ずしもよかったわけではない。家族の一員の重病は往々にして家族の問題もあぶりだす。人生に大きな困難が発生した時に、いったい何を選んで何を捨てるのか。重病はそのきっかけになりうる。
    そうなったときに、個々人が納得のいく選択ができればよいのだが。

    著者は基本、「闘う」人なのだと思う。そしてその奥にどこか「怒り」が混じっているように感じられる。
    家族であれ、環境であれ、何かに抑圧されていると感じている人には、その「闘う」姿勢が歯切れよく感じられるのかもしれない。が、弱っている人にはどうなのかなと個人的には若干気になる。

  • 死から生を見つめていくこと。

    安楽死とセデーション、幡野さんの意見を知ることができてよかったです。私は安楽死に対して否定的な考えを持っていましたが、この本を読んで、本人が選べることも大切だと考えるようになりました。

    家族は選ぶことができる。

    本当に、そうですよね。
    選びたいことを選べるように。
    自分が大切にされる選択肢を選べるように。

    幡野さんの他の未読本も読みたくなりました。

  • 30代のカメラマンで、妻と幼い息子がいる筆者は、難治性のガンになり、余命3年と言われる。

    残された人生をどう生きるか?

    後悔しないで死ぬということは、自分で選択して生きることと考えた筆者は、人間関係を整理し、死に方も苦しんで死なないでいいように安楽死を選ぶことにする。そして、残された人生で、できるだけ多くの生きた記録を残すことに決める。ブログを書いたり、人生相談に乗ったり、写真を撮ったり。
    息子が大きくなったときに、亡き父はどういう人だったか知ることができるために。

    自分がもし、同じような宣告を受けたら、どうするだろうかを考えさせられた。私もきっと同じように自ら選択して生きるだろうなと思った。満員電車に揺られて通勤することをやめ、自分の好きなことにしか時間を使いたくないだろう。
    今はどうだろうか?自分で選択して人生を生きているだろうか?
    病気じゃなくても、いつどうなるかわからない。後悔しないように生きたい。

  •  34歳で「治らないがん」(多発性骨髄腫)になり「社会(医療費の控除制度等)に対する恩返し」をしたい、という著者の想いは叶うだろうなと思ったし、なるほどと感じる内容もあった。
     トラウマの克服は原因(虐待した親、いじめっ子、弱かった自分等)を「赦す」ことから始める。でも常に近くにいる親を赦すことは難しい。難しいなら切ればいい。家族は、選ぶことができる。
    「妬み」とは誰かを憎む感情ではなく、自分への苛立ち。「妬み」の感情を抱いて他者を攻撃している人たちも、家族を選ぶことはできる。
     ぼくはあの世に行ったあとも、決して息子を見守ったりせず、自分の好きなことをやっているだろうと、いまのうちに断っておく。だからきみも、自分の好きなことをやりなさい(そんなことしたらお父さんが悲しむぞ、といったアドバイスは無視しなさい)と。

  • うつ病になって、より強く「生きること」「死ぬこと」について考えるようになりました。
    生死について書かれた本も、たくさん読みました。

    その中で、いちばん私に「しっくりきた」本がこの本でした。

    私も弱い人間です。
    仕事も家事も育児も年々きつくなる中で、私ががんばれば何とかなる!と、やってきました。
    職場では「できる自分」でありたかったから、見栄もはりました。
    助けもあまり求めず、後輩のミスも全力でかばいました。

    我慢して耐えていける人が強い人なんだ、と思い込んでいました。
    それが自立だと思っていました。
    親からちゃんと自立したかったのです。

    「それは強さでもなんでもなく、身近な誰かを信じることができず、自分のことさえ信じることができていない人間の態度だ。」

    この一文が、いちばん心に残りました。
    うつ病になったからこそ、よりその言葉が本当なんだと実感しています。

    父親からは「妹みたいに楽観的に考えられないからなあ、お前は」と言われました。
    いまでもつらくなる、言葉です。

    母親からはせめて「あんたはがんばってるよ」と言ってもらいたくて送ったメールも、返信は「みんなそれぞれに頑張ってるんだから、あんたも頑張らないと」でした。
    もう頑張れないと思いました。

    それ以後、父母とはあたりさわりのない距離をとっています。
    自宅と実家が実際に離れていてよかったと思いました。

    著者の出した「生きるとは、」のこたえが、どんな本よりも心にささります。

    私はわたしとして生きていいし、
    やりたいことをやっていい。
    誰かと比べる必要はまったくない。

    やりたいくないことは断っていいし、
    一緒にいたい人と一緒にいていい。

    いま、欲しかった言葉を、この本からもらえました。
    ありがとうございました。

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著者プロフィール

1983年 東京生まれ。写真家。元狩猟家、血液がん患者。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年広告写真家高崎勉氏に師事。2011年独立、結婚。2012年狩猟免許取得。2016年息子誕生。2017年多発性骨髄腫を発病。著書に『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)、『写真集』(ほぼ日)、『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP)、『なんで僕に聞くんだろう。』『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』(ともに幻冬舎)がある。

「2022年 『ラブレター』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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