日本人が知らない満洲国の真実 封印された歴史と日本の貢献 (扶桑社新書)
- 扶桑社 (2017年12月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594078409
作品紹介・あらすじ
気鋭の歴史学者が世界史の視点で
日本人の国家観、民族観、アジア観を問い直したロングセラー、
待望の新書化!!
日清戦争が始まった1894年(明治27年)から、1956年の最後の引き揚げ船舞鶴入港までを取り上げ、日本と大陸の歴史を再検証。とりわけ、監修者である歴史学者・岡田英弘氏が常に示してきたとおり、「歴史とは個人や国家の行動が道徳的に正義だったか、罪悪だったかを判断する場ではなく、因果関係を明らかにすること」との立場から、本書では世界史の視点で日本人の国家観、民族観、アジア観を問い直します。
従来の満洲研究では東京と現地の関係、軍人と政治家の関係、満洲で活躍した人が戦後、日本に帰りどれほど影響を与えたか……など、ひたすら日本中心で満洲国をみてきました。しかし実際の満洲は朝鮮やモンゴルはもちろん、三国干渉のロシア、フランス、ドイツ、アヘン戦争を仕掛けたイギリス、門戸開放を迫ったアメリカ……と国際関係のなかで捉え、世界史のなかで読み解くべき、と著者は説きます。
※本書はビジネス社刊『真実の満洲史』を新書化にあたり改題、加筆修正したものです。
感想・レビュー・書評
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前書きと序章だけけで、十分価値があるくらい。
ファクトに基づく、素直な筆致。
過去の日本の歴史を振り返る中で、満洲国というのはぜったに避けて通れない。
ほんま、マジで、少なくとも、大日本帝国とは何だったのか、何が間違ってたのか、少なくとも其の末裔たる我々だけは、価値観に基づかない歴史のファクトを冷徹に継承していく責務があると考える。
大日本帝国が存続していけた世界であれば、少なくとも、今の世の中より数倍マシに生きていけた気はする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白いけれども、出典をちゃんと書いてほしい。ただしタイトルにも表れているように満州事変だけでなく満洲国を書くということで、緒方貞子氏の「満州事変」や臼井勝美氏の「満州事変」などは事変後すぐのところで著述が終わってるのに対し、その後の満洲国消滅まではともかく、大陸で抑留されていた日本人の帰還のころまで書いているのは本書の良い点。
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満洲について日本による建国から、その終わりまでや、その時代の日本の立場、世論について知る機会はなかなか無いですよね。
「書けない」「語れない」という戦後の環境もあったのだと思います。
読みやすく、著者の分析も理解をサポートしてくれ、100年前、私の祖父たち世代のことが感じられました。 -
満州と言う国の成り立ちから、そこに居を構えた人々にまつわる話がとても簡潔にまとめられています。文明は川を中心にしますが、戦争や社会情勢気候が満州を作って行きました。満州は日本人が奪った地域と思っていましたが、ある意味では沢山の人の夢が作り上げた国ではないかと思いました。夢の続きがあったら良かったですね。
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歴史というのは因果関係を明らかにすることなのです
現在ある国家や今いる人間にとって良いか悪いかを決めることができるとは言いませんが、は法定ではないのですそれが私は岡田英弘が考える歴史学です
満州旗人だけが南京,西安,成都,荊州など各拠点の町に家族と一緒に赴任します。北京では満州人は内城に住んでいますが地方赴任の駐在ではもともとあった街の中に住まわせずに、外側に満州人だけ済む満城という駐屯地を作りました。清朝の末期まで満城はあり全国を少数の支配階級で把握していました
日本の外務省でも石井菊次郎の目の黒いうちは孫文を相手にしなかったのですが,
民間が彼を支持しました。
反革命のロシア人のほとんどは治安の悪いヨーロッパではなくシベリアアジア経由で日本やアメリカなどへ渡りました。1918年に日本に亡命し日本の外事警察の記録によると7251人となっています。野球のスタルヒン、大相撲の大鵬(ウクライナ人と日本人の母)、高級チョコレートで有名なモロゾフなど日本に逃げてきてそのまま安全な日本に住んだ人も多いです
日雇い労働者のことを苦力とよぶ。元々はイギリスが持ち込んだ言葉。インドのタミール語で賃金をクーリーkuliというのが英語のcoolieとなった。苦力は当て字
満州における日本と中国の関係は1919年を境に完全に変わった。
ワシントン会議で重要なのは、日米交渉でも日本vs英米交渉でもなく、英米交渉。英米日の主力艦比率が10:10:6になったということは、イギリスからすれば、かつては植民地だったアメリカに対等に並ばれたという屈辱を意味します。19世紀の大英帝国は世界第2位と第3位を海軍国の戦艦をあわせた数を上回る英国海軍を維持することを国策としたいた。その上、借金のカタに日英同盟を取り上げられ、日本人の恨みをかいました。
沿海州ではアメリカと日本は革命に追われた人を助ける援助合戦を繰り広げましたアメリカはキリスト協会が全世界に訴えて援助を行い日本の医薬品を携え対象を送り込みました日本の歴史家は誰も取り上げませんが日本がシベリアに出兵した4年3ヶ月の間シベリアに怪我が生じなかったのはシベリア出兵唯一の貢献です
孫文 始めは日本の援助で中国を近代化するといったので、真面目な日本人が一所懸命後押ししたのに、あまりにもやり方が下手だわ、大言壮語だわ、自分たちの革命同志からも嫌われる、自前の軍隊もない、ホラばっかり吹いていて、結局何もできないじゃないか、となって日本人の援助がなくなった途端にソ連の援助に飛びついた
日下公人 日本という国家はイデオロギーではできていない。最初からみんなが仲良く暮らしていて、憲法などなくても平気なのです。わたしは憲法廃止論者です。憲法などない方が、よほど縛りがなくて自由ないい国ができると思っています。他所の国からきたイデオロギーは日本人には合わないと思います
中国人と喧嘩を知ろうということではないのです。見方や感覚が全く違うので、合わせようと思うことをやめればいいのです
日本人は昔から起こったことを因果関係を解きほぐしてしっかりと検証していきますが、中国人はすべて現在からの類推で過去に実際に何があろうとも問答無用です
国際連盟には軍もなければ、仲裁もできません。実際にヨーロッパの揉め事をまとめていたのは日本で、常任理事国のイギリスフランスイタリアと敗戦国のドイツの間の紛争をまとめられるのは当事者でない日本だけだったので す
世界の1/3の国が満洲国を承認していた
オランダはインドネシアに対して何をしたのか、イギリスはインドに対して何をしたか、本当に現地の文化文明を壊滅させて、収奪していった。そういったことを覆い隠すために、欧米は戦後、日本人がやってもいない収奪や虐殺をしていたと書きたてているのです
江戸時代は指導者を育てる教育をしていたのが、明治になって官僚を育てる大学しか作らず、政策を考える帝王教育、君主教育が日本からなくなった
ソ連は張鼓峰とノモンハンで日本に喧嘩を売ってみた所、日本の軍隊がめっぽう強くて劣勢だったのですが、それでも情報統制でカムフラージュして負けていないことにして、外交で挽回しました
中国人は勝ち残った人たちが言いたい放題で歴史をつくる習慣
蒋介石は欧米の援助を受けて金をばらまくことでトップに見えていた。蒋介石は全然実力者でなく、いつ後ろから刺されてもおかしくないような立場だった
百年経たないと本当の歴史にならないとよく言いますが、それは関係者が、みんな亡くなると、少しは公平なことがかけるようになるからです
日本人が一生懸命したことに対して中国や韓国がひたすら非難するのは、前政権を否定しなければ自分たちの正当性が証明できないからという向こうの理由であって、日本人がそれをそのままに止める必要は全くありません