- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622083542
作品紹介・あらすじ
ノーベル賞物理学者が原子力を中心に科学の「原罪」を説き、進むべき道を模索する。
感想・レビュー・書評
-
朝永振一郎著作集から原子力関係のエッセイを江沢洋氏が編集したもの。
まさに、原子力研究開発の黎明期の話である。
科学者の社会責任というか、科学の本質論(ファスト的なものを含んでいる)というか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
非常に読み易かった。
前に、スタンダードブックスシリーズで、朝永振一郎のエッセイが出て、その末尾に収録されていた原子力についての言葉が非常に印象的だった。
その全体が読みたくて、購入。
フクシマの後に発行されたとあり、解説まで読ませる部分があって非常に面白かった。
内容は1950年代に行われた原子力についての会議や、朝永振一郎のエッセイの収録。
科学者は原子力を生み出した責任を取るべきか、といった重いテーマに包まれている。
確かに、それをどう運用するかというのは、生み出した側の預かり知る所ではないかもしれない。
だが。筆者は、生み出したものの危険が遥かに大きい時は、生み出したものにどう対処するかという所まで考えねばならないのでは、と述べる。
以降、筆者は常に科学という魔力と人の弱さを秤にかけながら憂いている側面が見える。
原子力委員会の座談会でも、膨大に与えられた予算を前に、ある意味倫理的に、物事を誠実に進めていこう。そこに妥協や焦りを持ち込まないでいこう、という姿勢が伺える。
なぜ、たった50年ほど先に、そうした科学者達の意気込みは生きなかったんだろう。
パグウォッシュ会議も然り。
科学者達が生み出したものの行方を我が事のように考え、動き、一定の成果を上げても尚、現実は彼らが思い描いた未来には至っていない。
「そこで私どもがこの歴史から学びますことは、ある科学が驚くべき成果をもたらして、そしてある点では、それがわれわれ人類にとって非常な幸福をもたらしたにしても、まったくなんの疑いももたずに、科学なるかな、科学なるかなといって、科学者もびっくりするような、妙なほうにその利益を期待してしまうと、非常にひずんだ考え方が出てくるのではなかろうかということです。」
「競争というのは、先ほど申しました核兵器の競争、それから産業上の競争、それからだんだん小規模になってまいりますと、教育ママというのもこのカテゴリーに入る。」
「必要な問題なら考えて早くやったほうがよいが、なんとなく必要じゃないかと考えている人たちの後ろに、エネルギーが十年も経つと日本では非常に苦しくなってくるという考えがあるわけです。その点はコストの問題と睨み合わせて考えるべきだという有沢先生のお話だったが、日本だけ遅れるのはまずいという気持が一種の脅迫観念として働いているのじゃないかと思うのです。」
私が小学生の頃、『トビウオのぼうやはびょうきです』という絵本を読み、衝撃を受けた記憶がある。
第五福竜丸という言葉からはいつも、トビウオのぼうやの真っ白な眼を思い浮かべる。 -
科学の目的は、自然法則を知るためだけのものではなくなっています。
科学はこれまで発展を続け、文明という形で自然を変えることによって、これまでにない豊かな生活をもたらすものになっています。
それでは、科学はただ単に良いものとして考えていいのでしょうか。
本書は、人類が原子力という科学に手を出したことに対する苦悩を描いたものです。
「原子力発電所が造られる初期段階にて、科学者たちはどういった未来をみていたのか」など、3.11を知る日本人であれば読む意義のある内容となっています。
さらに、本書では原子力を原罪と喩え、科学のあるべき姿についても言及しています。
本書の著者、朝永振一郎氏は、筑波大学の前身校である東京教育大学の学長を務めており、その後1965年にはノーベル物理学賞を受賞しています。
このような経歴から、筑波大生には読んでいただきたい一冊です。
(ラーニング・アドバイザー/物理学 KOCHI)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?bibid=1457243 -
福島原発事故の記憶が新しいときに出た本ではあるが、単純な反原発を説くような構成ではなく、その時、科学者は何を考えていたのかといった内容である。何かハッキリした結論を引き出したいという人にとっては消化不良と思える内容かもしれない。なお著名な科学者のエッセーがメインになっているが難解な理論等には触れておらず、誰でも読める本であると思う。
-
日本の原子力開発が、科学と政治の狭間で歪められていった経緯が見えてくる。