同じ時のなかで

  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757141988

作品紹介・あらすじ

あの頃、ソンタグがいた-真摯であること、注意を傾けること、真実を語ること。しなやかな感性とクリティカルな知性、スーザン・ソンタグのラスト・メッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • 「確かに私たちはみずからの生を整え、意味を見いだそうとしてはいるが、他人の代わりにその人の小説を書くつもりはない。自分の生に意味を見いだし、選択を行い、自身のために基準を提起し、それを受け入れる助けとなる源泉は何か。そのひとつは、自分自身のものではなく、むしろ他者の特異的な確固たる声だ。それらを聴いたことがあるという経験だ。そうした作品の集成が心や感情をはぐくみ、世界に生きる教育を与えてくれ、言語の輝きを具現し、防衛し(つまり、意識の根本的な道具を拡張し)てくれる。つまり、文学だ」

    「集団的懲罰の根拠としての集団責任という原則は、軍事的にも倫理的にも、けっして正当化しえないと私は信じている。……私は以下のことも信じている。自治区でのイスラエル人の居住地区建設が停止され、次いで―なるべく早期に―すでに作られた居住区の撤去と、それらを防衛すべく集中配備されている軍隊の撤退が行われるまで、この地には平和は実現しない、と。これら2つの意見は、この会場にいる多くの人びとの意見でもあろうと確信している。……文学の叡智は、意見をもつこととはまさに正反対の位置にある。「何に関しても、最終的な言葉など、私にはない」とヘンリー・ジェイムズは言っている。要請されれば必ず意見を披瀝する。たとえその意見が正しくとも、そんなことを続けているとどうなるか。小説家や詩人がもっとも得意とすること、すなわち省察力の深化と複合性の探求が背景にあったとしても、軽薄にしか聞こえなくなってしまう……ニューマン枢機卿がいみじくも語っている。「高いところの世界ではそうではないが、この下界では、生きることは変化することであり、完全な生とは変わり続けてきた生のことである」。私は「完全」という言葉にどんな意味を託しているか。説明抜きで言うだけにするが、完全は私の笑いを誘う。付け加えれば、シニカルな笑いではない。歓びの笑いである。……エルサレム賞を受け、感謝している。文学という事業に献身するすべての人びとへの栄誉として、これを受ける」

    「今日、英語でセルジュを読む者は、時代をさかのぼって考えなければならない。自分の人生は心理ではなく歴史によって、私的危機ではなく公的な危機によって決定される、とたいていの人が受け入れていた時代に身を置いてみる必要がある」

  • 遅まきながらソンタグのエッセイを読んだのだけれど、予期していた理知的で高飛車な人というイメージを裏切る実にホットなエッセイ/批評が並んでいると思った。大量に情報を詰め込むことで対象を微細に分析し、浮かんだアイデアをつぶさに書き留めて煩雑になることを恐れない。そして、そのアイデアの羅列はいまに至るもその強度を失っていないことにも戦慄さえ感じる。ここまで見渡せていたのはソンタグがアメリカの中だけで閉じられていた視野の持ち主だったからではなく、世界を見渡して高いところから語れる人だったからだ。この見識、侮れない

  •  さて、難儀な本である。難解というのとも違う、ジェイムス・ジョイスやプルーストやドストエフスキーとも違う。911が起きて数日後にソンタグが書いた文章が「ザ・ニューヨーカー」に載って、彼女は全米から大変なバッシングにさらされ、殺害予告まで受けた。支配的な空気に当然口を開けないアメリカ知識人のうちでもっとも気骨のあったひとり。本書にも掲載されているその時の短い文章にはまっとうなことしか書かれていない。けれども日常会話だけではこうはいかない。書くことが思考をたすけ言葉を鍛える。そうして練られた言葉は難儀なものとなろう。
    「まず、リスク、危険のことからお話ししましょう。罰を受けるリスク。孤立するリスク。傷つけられたり殺されたりするリスク。嘲笑されるリスク。
      私たちはみな、何らかの意味で、徴集されているのです。忠誠心について考えを異にする多数派に背き、彼らの不興をかう、非難を受ける、そして暴力を招く。そういったかたちで隊列を乱すのは、誰にとっても容易なことではありません。正義、平和、和解を旗印に私たちは寄り添い合っています。これらの言葉によってつながっている共同体があります。多数派に較べればたぶんずっと小規模で微力な、同じような考えをもった人たちの新しい共同体が。そうした共同体に突き動かされて、市民的不服従の公然たる表明として、私たちはデモや抗議を行います。練兵場や戦場へ駆り出される代わりに。
     自分の同類(トライブ)と歩調を合わせない。彼らよりも先へ行って、思考としてはより広がりがあるけれど、数のうえではより小さな世界へ踏み込む。疎外や離反に慣れていない、あるいはそうした姿勢を取ることに不安を感じる人にとっては、複雑で困難な道筋です。」(「勇気と抵抗についてーオスカル・ロメロ賞基調講演」より)
     通勤通学のかばんに常にソンタグを入れ携行し、電車でスマホにさわらないでソンタグを読む。半年あるいは一年、一冊を毎日。たとえばそうやって読んでみない? ぼくはこの本をある女性にあげた。(もうひとりあげた気もするがいま思い出せない。)彼女のあたらしい人生を応援する気持ちで。たぶんそのひとはあげたソンタグを読んでいないだろう。実際のところ、手元にあれば本は読まずとも良い。模範にするならイメージだけでも有効だから。ただぼくはそのひとの、ソンタグにあるような資質をとても好ましく思っていたのでこの本をあげたのだった。つまりぼくはその若い友人に模範を見ていた。
    「作家がすべきことは何かあるか、としばしば質問される。最近のインタビューではこう答えた。「いくつかあります。言葉を愛すること、文章について苦闘すること。そして、世界に注目すること」。
     言うまでもなく、これらの意気のよい語句が口をついて出たとたん、ほかにももっと作家の美質として意識にのぼることがあった。
     たとえばーー「真摯であること」。それはこういう意味だった。ーー「けっして冷笑的(シニカル)にならないこと」。このなかには、愉快(ファニー)であることもあらかじめ含み入れて発言した。」(「同じ時の中でーー小説家と倫理研究」(第一回ナディン・ゴーディマー記念講演)より)
     そういえばちょっと前にむかしの芥川賞の選評を読んでいたら、村上龍がこう書いていた。
     「本来文学は、切実な問いを抱えてサバイバルしようとしている人に向けて、公正な社会と精神の自由の可能性を示し、「その問いと、サバイバルするための努力は間違っていない」というメッセージを物語に織り込んで届けるものだった。ダメな文学は、「切実な問いを抱える必要はない」という「体制的な」メッセージを結果的に送りつけてしまい、テレビのバラエティのような悲惨な媒体に堕してしまう。」(第142回芥川龍之介賞選評より。この回、受賞者なし)

  • 文学
    これを読む

  • 2018/12/26

  • ソンタグ「同じ時のなかで」 nttpub.co.jp/search/books/d… この人の本をもっと早く読めばよかったな。ハードル高かったんだよなー

    スーザンソンタグ「同じ時のなかで」読んだ。初ソンタグ。超よかった。こんなに読みやすいだなんて、気後れしていた数年が惜しいぜ。この読みやすさは文章自体の強さなのか翻訳の質なのか。時事絡みの内容もいいけど創作への言及が特に好きだ(つづく


    ただ、時事関連の発言や批判を読むとそれが誰のでも、内容に同意したり触発されたりしながらも、大国の行政と国際権力の傘の下にいるどこまでも知識層の余裕の副産物じゃないか、といつもどうしても思ってしまう。人文分野やエッセイのほうが好きだな、個人の「思索」の出力として読めるから(おわり

  • 2004年に亡くなったスーザン・ソンタグの最後の評論集。

    日本においては、「この時代に思う テロへの眼差し」「良心の領域」という独自編纂のエッセイ集があり、そこに収録されているのとかなり重複している。しかし、文学に関するテクストは初出のものが多いし、ソンタグ自身が、書評や雑誌記事、スピーチなど、採録作品を選択し、校正、順番などもおおむね自身が行ったものなので、他で読んだエッセイも新たな感動を呼び覚ます。

    以前に、「土星の徴の下で」という80年にでたエッセイ集の内省的なトーンと66年の処女エッセイ集「反解釈」のキラビやかで、挑発的なスタイルとの差に驚いた事がある。で、「同じ時のなかで」を読むにあたっての準備として、この以前に感じたギャップを埋めるべく、69年の「ラディカルな意志のスタイル」を読んでみた。

    今読むと、「ラジカルな意志のスタイル」は、ちょっと古さを感じるところもあるが、初期のソンタグの美やスタイルへの関心が、倫理的なところに転換していくプロセスがなんとなく分かったような気もする。

    で、「同じ時のなかで」を読んで、感銘を受けるのは、何よりその率直さ、分かりやすさである。「ラジカルな意志のスタイル」のなんだか当たり前とも言えるようなことをわざわざ難しげに書いているような面倒臭さは全くない。

    テーマとしては、外国文学(特にロシア文学、ドイツ文学への言及が多い)と翻訳、テロと戦争、個人の倫理、言語、作家の役割みたいなものが多い。

    私としては、9.11に関しての3つのエッセイには、大きな刺激を受けており、その辺の政治的な発言の部分への関心が高かったのだが、こうして読むと、当たり前の事ではあるが、文学に関するエッセイやスピーチのレベルの高さに改めて、感銘を受ける。

    いくつかのエッセイは以前に読んだ事があるのだが、今回、読んで気がついたのは、日本の現代の作家の発言との近さである。

    例えば、村上春樹が受賞したエルサレム文学賞を、ソンタグも2000年に受けているのだが、その受賞スピーチ「言葉たちの良心」は、村上春樹のスピーチと表現は全く違うが、内容的には、かなり共通するものがあると思った。

    また、2002年の聖ヒロニムス記念講演「インドさながらの世界」では、インターネット時代における英語の世界支配と他の言語の抑圧、翻訳の問題、文学の問題などを語っており、これは、水村美苗の「日本語が亡びるとき」(2008)の主題とほぼ重なる。

    そして、本書において、愛を持って語られる外国文学への思いは、ほとんど水村美苗の「琹をそえて」などを思い起こさせる。

    デリダとか、小難しい、というか大難しい本を読んだあとで、ソンタグ読むと、なんだか平易なんで、すっとすると同時に、少し有り難みが少ないような気もするのだが、うーん、やっぱり、ソンタグって、偉かったんだなー。

    そういえば、「この時代に思う」に収録されていた大江健三郎との対話は、もちろん本書には収録されていないが、その対話での大江氏のなんともお気軽な知識人ぶりを、ソンタグが柔らかくたしなめていたところが、印象的だった。

  • ソンタグ「同じ時のなかで」 nttpub.co.jp/search/books/d… この人の本をもっと早く読めばよかったな。ハードル高かったんだよなー

    スーザンソンタグ「同じ時のなかで」読んだ。初ソンタグ。超よかった。こんなに読みやすいだなんて、気後れしていた数年が惜しいぜ。この読みやすさは文章自体の強さなのか翻訳の質なのか。時事絡みの内容もいいけど創作への言及が特に好きだ(つづく


    ただ、時事関連の発言や批判を読むとそれが誰のでも、内容に同意したり触発されたりしながらも、大国の行政と国際権力の傘の下にいるどこまでも知識層の余裕の副産物じゃないか、といつもどうしても思ってしまう。人文分野やエッセイのほうが好きだな、個人の「思索」の出力として読めるから(おわり

  • これだけ厳しく、信頼に足る知の巨人がアメリカに在ったことにまず大きな安堵感を覚える。アメリカ人として、9.11の当初に母国の政府をこれだけ痛烈に批判するなど、非愛国者の誹りをすべて引き受けて言うべき事を臆せず言う──特にあのような非常時に於いて慣習律としての同調圧力がひときわ強く現れるように見受けられる彼の国で、それはなまなかな覚悟ではできないはずだ。言論人としてのその責任感に深く尊敬の念を抱くと共に、彼女がもうこの世にいないというその損失の計り知れない大きさに途方に暮れる。せめてその真摯の爪の垢でも煎じたいと願う後続の末席で、黙々と彼女が残したものを拾い集めていきたいと思う。

  • すこしずつ読んでいきます。

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著者プロフィール

1933年生まれ。20世紀アメリカを代表する批評家・小説家。著書に『私は生まれなおしている』、『反解釈』、『写真論』、『火山に恋して』、『良心の領界』など。2004年没。

「2018年 『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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