- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784766002218
作品紹介・あらすじ
NHK教育テレビ「ピタゴラスイッチ」や「0655」などを生み出し、
東京藝術大学映像研究科で教鞭をとる筆者が書き綴った、
『暮しの手帖』の大人気連載をまとめました。
ある夜、公園で背の高いベンチを見た。
妙だと思って、よく見てみたら、
そのベンチには大きな足がついていた――。
日常には、数え切れないくらいの「妙」があり
そのつど学ぶ理と、それでもこぼれる不可解さがある。
現代の考える人、佐藤雅彦による面白くて鋭い考察集。好評を博した『考えの整頓』、待望の第2集です。
今まで気が付かなかった巻き尺の不思議。知らない間につながっていた、あの歌姫との縁!
電車で隣の子どもが漏らした妙な言葉。故郷の小さな村で起きた大事件。トースターは誰が発明したのか?
なぞなぞ「家の中で一番年をとるところどーこだ?」など、
ともすると見過ごしがちな日常の「妙」に立ち止まる著者は、その「妙」に魅了され、真髄に迫ろうと考察していきます。
ベスト・エッセイ(日本文藝家協会編)に選出された「向こう側に人がいる」「たしかに……」や、
カンヌ国際映画祭に正式招待されるまでが綴られた「5名の監督」、本書のタイトルでもある「ベンチの足」ほか、全23編を収録。
感想・レビュー・書評
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「暮しの手帖」は読まないので、どの話も初読みです。
佐藤雅彦さんは、バザールでござーる、だんご3兄弟で有名なんですね。知らなかった。
どこから読んでも良さそうだったので著者が自ら「読み飛ばしても良い」と指定されている2つのエッセイから読んでみた。
読み飛ばすなんてもったいない!
思わず引き込まれるほど面白かった。
全体通して面白い。
「面白い」の説明もあった。
「面」は「目の前」のことで、「白」は「明るい」。
「目の前が明るく」なる感覚が「面白い」ということらしい。
「たしかに……」の話は、とても共感できる。
小学生が電車で前のめりになって読書している、一定のペースでページをめくっていた手がとまり、同じ行のあたりを何度も繰り返し読んでいる。
すると今度はページを逆にめくり出し、少し読んではまた逆にめくり、そしてある個所を探り当てた。
その時、小学生が思わず言葉を発した「たしかに……」と。
これは気になる。何を読んでいるのか。その子が電車から降りる時、タイトルの一部が見えた。「ドリトル……」。
数日後、図書館に行くと、「ドリトル……」はたくさんあり、あの子と同じ「たしかに……」の境地にはなれないことを残念に思った。
大學の大講堂での講義の際、マイクの音量を調性し「後ろのみなさん、聞こえますか?」と問うと「聞こえませーん」と返って来た。
「聞こえまーす」ならOK。返事がなければ聞こえていないハズ。つまり「よく聞こえない」ということ。情報の捉え方の話。
1段目だけが他より段差が短い階段。
気付いてはいたが、ささいな事だとやり過ごしていた。
たまたま急いでいた時にすっころんで初めて問題だと認識する。問題は解決より発見の方が難しいという話。
右手で輪っかを作り、左目を閉じて右目で覗く。
その状態で、左手の手の平を自分に向けたまま、輪っかにした右手にくっ付ける。
左目を開けると、左の手の平に開いた穴から前の景色が見える。
脳は、実際に起こったことをねつ造して解釈する。そうすることで、うまく生きていけるから。
この本は、脳の考え方の癖を分かり易く教えてくれる。
「指を置く」という展覧会の話も興味深かった。まか不思議な体験をする事が出来るようだ。
書籍にもなっていると紹介があったので、自分の脳がどのように反応するか確かめてみようと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いつ読んでもきっと楽しませてくれるとわかっている本は積読されやすい。
佐藤雅彦さんの本は、うちの本棚にたくさん並んでいる。すんなり読むのが勿体無いという気持ちもある。
好きな人を10人あげよと言われたら、男性では佐藤雅彦さんは確実に入る。後は赤瀬川原平さんと内田樹さんかな。
佐藤雅彦の本じっくりを味合うことができるいいタイミングで読みたいと思ってたら、ずっと積読。今回はそういう時間が流れてたので読んでしまった。
「たしかに!」の小学生の話
「ドリトル先生」を電車で読みふける小学生の姿がありありと思い浮かび、ものすごく自分がいい大人になったようないい気持ちになった。
こういう話!佐藤雅彦さんならではなんだよね。
「あぁまたやってしまった」
日常の失敗が失敗でなくなる探究心
佐藤雅彦さんならではなんだよね。
「憎き相手校を応援する理由」
数学的発想も、佐藤雅彦さんならでは。
この人に代わる人は今の所どこにもいないんじゃないか、と思う。
最後の「妙」の話。
二項対立で整理できないものの魅力。
昨年はもやもやを言語化した「ネガティヴケイパビリティ」が一世を風靡した。整理整頓を旨とする佐藤さんもまた、整理整頓できない「妙」というものに触れているのが、感慨深い。
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佐藤雅彦氏は、バザールでござーるや、だんご3兄弟、ピタゴラスイッチなど、聞けばすぐイメージできるキャラクターや番組の原案を生み出した、自分からしたら、いや、自分からしなくてもとんでもない人。
以前、「考えの整頓」を読んだ際に、非常に面白いコラムがいくつもあったので、興味が湧いて、2冊目に突入。
今作で特に印象に残ったのは、タイトルにもあった、「ベンチの足」。
公園で見慣れているベンチは、実はあれが全体像ではなく、コンクリートの塊が地中に埋まっているものもあるそうで、そのコンクリート部分が埋まっていない「ベンチ」をたまたま目撃したのだそう。
ちょうど本の中に写真があるので、見てみると、思わず二度見をしてしまうほど、ベンチらしくない。ちょうどベンチが2台積み重なってできたような高さがある。
著者は、このベンチを発見したことに絡めて、私たちは、自分の生活を支えているものに、あまりに無頓着である、と述べている、が、ここからが面白い。
無頓着でいることは必ずしも悪いことでないし、逆に全てのことを思いやり、感謝の気持ちを持つことは、この現代社会においては、数え切れないくらいあり、不可能だ。
自分が何かをしたときに、感謝されなかったのは、それがあまりにもうまくいって、気づかず過ごしているだけかもしれない。感謝の気持ちを持つことも、無頓着でいることもまた自然な態度なのだ、と著者は締め括る。
なんというべきか、救われる思いがした。
「感謝しましょう」という表現は世の中に多くあり、特に今日では、強く言われている。「感謝することはよいこと」を意識しすぎて、「全てに感謝しなければいけない」や「感謝しないのはダメなこと」へ、自動的にスライドして、他人を攻撃したり、逆に自己批判をして消耗していないだろうか。
本を端から端まで読む必要がないのと同じように、完璧主義である必要はないのだ。
あとがきの「妙」の大切さも、大変面白い内容であった。
妙に思うことがあるからこそ、文章が書けるのかもしれない。 -
前作よりもさらにユーモアというか、人を見る目が優しくなったような、人間くささも感じた。若者の学生を奢った時の、ごちそうさまでしたを言うタイミングの話や、たまたま電車で隣に座った小学生が言い放った一言に動揺する話とか、ほんとによく分かるなぁ〜と思って笑ってしまった。
こころがすこし荒んでいた時によんでいたので、いくばくか救われた気分に。 -
さくさく読めて、「整う」感じがする佐藤雅彦さんの文章、久しぶりに読みました。
日常で出会うひとコマを丁寧に考察し、掘り下げた時に見えてくるものから人の体温が伝わってくるように感じます。
エジソンのお話、電車の中で熱心に本を読む子どものお話が印象に残りました。洗濯物のお話もおもしろかった。
視点を変えること、「何が起きているんだろう」と探究心を持って見ていくことで、同じ情景もより豊かに深まっていくことを感じました。
私も、まっさらな気持ちで日々を眺め、日常と出会い直していこう、と思いました。 -
日々の生活の中で著者が遭遇した【妙】。その妙に魅了され、真意をあぶり出そうとした過程を「思考の整理」としています。
「思考の整理」の本だから、ちょっと身構えて読んでしまったのですが、エッセイを読んでいるように割と難しく考えずに読めました。
・合格発表の結果の連絡がこない→「不合格だったのでは...」という「情報がない状況」には心の奥からの感情を引き起こす
・『〇〇問題』→普段遭遇するけど気にも留めていなかったことを、あえて「問題化」して引っ張り出す。テンプレを埋める作業の楽しさも相まって、どんどん言語化・視覚化される。
・ある考え方やものの見方を見つけると、それまで繋がっていなかったことが繋がる。その瞬間の面白さや衝撃こそ人間的
・洗濯物にティッシュがついてしまうという最悪な状況を、「洗濯物の面積にティッシュの付着量は比例するのか」という仮説を検証するのに夢中になってしまう。
日常のちょっとした引っかかりを深く深く探っていき、「こういうことかも」と整理して保管しておく。まーじーで見習いたいです。
「おや?」と思ったら、まずググってみるのが「思考の整理」の第一歩かも。興味を持つという意味でも。 -
佐藤雅彦さんの本。人間って不思議と、色々と考えさせてくれる。
錯覚、思い込み、勘違い、脳ってどんな働きしているのか、感情って、なぜ起きるのか。
情報をどのように処理しているのかこの高性能のしくみ・・・ほんと不思議です。
でも、いろんなことの「妙」にひっかっかるのが、佐藤さんのよろしいところ。
例えば、
・夜中の散歩中に偶然見かけた背の高いベンチと妙に大きい足。
・電車で隣の小学生が思わず漏らした妙な言葉。
・愛用のボールペンがインクの切れ際に書かせた言葉の畏さ。
・金属の巻き尺が持っていたルーズさに対しての勝手な憐み。
・新品のおもちゃを友だちがこぞって壊しだす時に感じた新種の責任感。
・飯場の女性が実の息子に目をそらされた時、必死に何かに掴まろうと空をもがく腕。
・名優の言葉に対して、正直者の漁師が示した全員否定の妙。
最後の、名優のラジオでの話、森繁久弥さんなんですが、そこでの話は事実とは違うように脚色されていた・・
今週の短歌会が終わった時に先生とお茶をしたときに話題になったのが、“はたして事実だけを詠むだけで終わって良いのか”。“そこで感じたことは何なのか”。“それにフォーカスして伝えたいことは何なのか”そしてここからが問題なんですが、“わかりやすいいように脚色する”、“はなしを盛る”ことは否か正かということなんですが・・・。
何もないところからのウソは駄目ですが、自分の心にわいてきたものをよりよく伝えたいということであれば、それもありとの結論に至りました。
まあ、いろんなことの「妙」に遭遇する。その真意にをあぶり出そうとする過程が、この「考える」ということに他ならない、そんな考えるヒントをくれる本でおます。 -
読了。本筋ではないところだけれど、マリアナ沖の海難事故から生還した戸田の漁師3人が3人とも浮きとなって自分を生還させたもの(救命胴衣、すのこ、木の箱)を持ち帰って大切にしているというエピソードがぐっときた。
それにしても美しい本。 -
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ピタゴラスイッチや0655でおなじみ、佐藤雅彦さんの本です。15年くらい前、ビジネスエリートな上司の奥さまから前作”考えの整頓”いただいて知ったこのエッセイシリーズ。こんなにおもしろい本を教えていただき感謝です♡
さてこの続編。タイトルの”ベンチの足”が、ホントにびっくりで、ネタそのものもなのだけど、佐藤雅彦さんの筆力に魅了されました。他にもするどくて、ユニークな考察がたくさんで、カンヌへの道のりやお母様との日々は、人生の味わい深さを知っている方ならではの情景が描かれていました。
“暮しの手帖”の人気連載からの、選りすぐりピックアップ集ですよ。
【本文より】
私たちは、私たちの生活を陰で支えているいろんなことに、あまりに無頓着である。頼れるだけ頼っておいて、この無頓着さ。