どこにもない国: 現代アメリカ幻想小説集

  • 松柏社
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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784775401163

作品紹介・あらすじ

あなたの「いま・ここ」がゆらぐ-奇怪な、けれど妙に切ない9つの物語。

感想・レビュー・書評

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  • 作品紹介・あらすじ

    あなたの「いま・ここ」がゆらぐ―奇怪な、けれど妙に切ない9つの物語。

    *****

    柴田元幸氏編・翻訳による全9編からなる短編集。収録されているのは以下の通り。
    ・「地下室の査察」エリック・マコーマック
    ・「Do You Love Me?」ピーター・ケアリー
    ・「どこへ行くの、どこ行ってたの?」ジョイス・キャロル・オーツ
    ・「失われた物語の墓」ウィリアム・T・ヴォルマン
    ・「見えないショッピング・モール」ケン・カルファス
    ・「魔法」レベッカ・ブラウン
    ・「雪人間」スティーヴン・ミルハウザー
    ・「下層土」ニコルソン・ベイカー
    ・「ザ・ホルトラク」ケリー・リンク

    このうち、「地下室の査察」「どこへ行くの、どこ行ってたの?」「魔法」「雪人間」は既にそれぞれの作家の短編集で読んでいたので再読ということになる。再読とはいえ、どれも面白く、特に「どこへ行くの、どこ行ってたの?」のジワジワと迫って来る不穏な空気や、「雪人間」の少年たちの純粋な視線がお気に入り。エリック・マコーマックも「地下室の査察」が収録されている短編集を読んで大ファンとなり、翻訳されている作品は全て読んだ。レベッカ・ブラウンもこの「魔法」以上に面白い作品が数多くある。

    今回初読だった作品もそれなりに面白かった。「Do You Love Me?」の最後の「私のこと、愛してるかい?」という母親の言葉は切実でもあり不気味でもある。「失われた物語の墓」はエドガー・アラン・ポーへのオマージュみたいな作品。「見えないショッピング・モール」はイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」のパロディ。但し僕はイタロ・カルヴィーノは好きな作家なのだけれど、この「見えない都市」は「あまり面白くないじゃん」と感想に書いてしまうような不遜な読者でもある(汗)。

    今回、「あれ?」と思ったのが、「下層土」のニコルソン・ベイカーと「ザ・ホルトラク」のケリー・リンク。ニコルソン・ベイカーは何冊か読んだことがあるのだけれど、その時はあまりピンとこなかった。ところがこの「下層土」が結構面白かった。なんでもスティーヴン・キングにバカにされたニコルソンが怒って「だったらスティーヴンみたいなホラーを書いてやる!」ということで書かれた作品らしいのだけれど、怖い、というよりもチラっとバカバカしい感じがし、そこがまた僕にとって面白さの要素の一つだった。何となく映画「キラー・トマト」を想起した。

    ケリー・リンクも以前短編集を読んだことがあるのだけれど、やはりその時はピンとこなかった。確かその短編集にもゾンビが日常的に表れていたように記憶しているし、本作「ザ・ホルトラク」にもゾンビが登場するのだけれど、一つ一つの文節が単発でドスドスっと刺さってきて、それがいつの間にか全体を形成しているような感じ。僕にとって独特の世界観が描かれていて、その世界に馴染んだら抜け出せなくなっちゃった、ってな感じ。

    全体としては、各作家の簡単な紹介本みたいな印象を持った。勿論これ1冊で各作家の全てが分かるわけではないけれど、「ほうほう、じゃあちょっとこの人の他の作品、読んでみようかな」といった最初の一歩的な役割はあると思う。僕にとって今回はニコルソン・ベイカーとケリー・リンクをもう一度読み直してみようかな、という気にさせてくれた1冊。

  • ピーター・ケアリーの「Do You Love Me?」も怖かったけど、
    (愛されない存在は消えてしまう…っての。消えたくないから「私のこと好き?」って聞くの…あまりにも皮肉…)
    エリック・マコーマックの「地下堂の査察」が思いっきり幻想的で暗くてぶっちぎりで不穏で救いがなくて好きだったな…

  • 一応読むには読んだがといったところ。ほぼギブアップ。

  • 翻訳家柴田元幸編訳による現代アメリカ幻想短篇小説アンソロジーである。アンソロジーのいいところは、今まで読んだこともない作家の味見ができるところにある。一方で問題点は、ハマる作品もあれば、そうでもない作品も集められていることだ。おそらく編者は意図的にそうしていると思われる。中に一作でも好みの作品が見つかれば、そこからまた芋づる式にその作家の作品を読んでいけばいい。全九篇。以下に収録作と著者名を記す。
     
    地下堂の査察  エリック・マコーマック
    “Do You Love Me?”  ピーター・ケアリー
    どこへ行くの、どこ行ってたの?  ジョイス・キャロル・オーツ
    失われた物語たちの墓  ウィリアム・T・ヴォルマン
    見えないショッピング・モール  ケン・カルファス
    魔法  レベッカ・ブラウン
    雪人間  スティーヴン・ミルハウザー
    下層土  ニコルソン・ベイカー
    ザ・ホルトラク  ケリー・リンク

    ひとくちに幻想小説といってもその幅は広い。巻頭に置かれた「地下堂の査察」は人が幻想小説と聞いてすぐに思い出す類のものではない。非常にミニマムな規模のディストピア小説。フィヨルドのそばの側面がぼろぼろ崩れかけた渓谷の端に作った入植地。そこに設けられた、「地下堂」という名の牢に閉じ込められた六人の「居住者」を月に一度査察して報告書を提出する男の物語。真実を隠して耳に快い言葉に替えていても地下堂は「牢」、居住者は「囚人」だ。暗い時代、権力によって一方的に管理される側の恐怖と絶望を描く。

    “Do You Love Me?”は、SFタッチで描く近未来の世界。今その国では、国勢調査のために地図製作者が克明な地図を作っている。ところが、その地図に欠落が生じていることが判明する。消えているのだ。影響は都市にまで及ぶ。人々の目の前でビルが消えてゆく。父の説くところによれば、それらは必要がないから消えるのだ。では、人もそうなのか?タイトルの意味はそこにある。

    ジョイス・キャロル・オーツは読んだことがある。この作品はボブ・ディランに捧げられた現代の若者の物語。自分の容姿に自信のある少女が主人公。勉強がよくできる姉は母とバーベキューパーティーに出かけている。留守番をしているコニーのところへ男がやってくる。昨夜店で目があった男だ。執拗に誘い掛ける男に不安が募るコニー。いかにも現代的な主題に見えるが、これはシンデレラ・ストーリーの暗黒バージョン。毒のある世界を描いてみせる独特の持ち味が魅力的だ。

    「失われた物語たちの墓」はE・A・ポオの作品を網羅して、彼の晩年の生活を描くという意欲的な試み。「早過ぎる埋葬」というポオが固執した妄想を主題にした一篇。おそらくは文体模倣も行っているにちがいない。訳者はすでに訳された翻訳文体を駆使してそれを忠実になぞっているのだろうが、どの部分がそれなのかポオはほぼ全作品を読んでいるのだが、よくわからないのが残念だ。

    「見えないショッピング・モール」はイタロ・カルヴィーノの名作『見えない都市』のパスティーシュ。帝国中を旅してまわったマルコ・ポーロが目にした様々な都市の様子をフビライ・汗(ハン)に語るというスタイルで綴られたカルヴィーノの文体を徹底的に模倣しながら、都市をショッピング・モールに替えているところが見ものだ。カルヴィーノの『見えない都市』との読み比べをお勧めしたい。

    「魔法」は、支配、被支配の関係を描いた一篇。鎖帷子に面頬付きの兜で全身を覆った女王様と呼ばれる女に荒野で拾われた私は、お城の一室に囲われて女王様の訪れを待つだけの暮らしに満足していた。しかし、見られるだけで相手を見ることができない関係に不満を感じた私は女王様を怒らせてしまう。城を追われた私は人の助けもあって元の居場所に帰ることができた。これは幻想小説に仮装された虐待の物語である。

    「雪人間」のどこが幻想小説なのだろう、という疑問もでるかもしれない。ある雪の日の町の様子を少年の目で見たストーリーは、これといった怪奇現象は登場しない。ただ、ミルハウザーの手にかかると、雪だるまが雪人間に変貌する。どこまでもリアルさを追求し、雪像を作る町の人々は、ついにはありえないハイパー・リアルな雪景色を現出してしまう。言葉だけでその異世界を創り上げるミルハウザーの至芸を堪能したい。

    「下層土」の作者ニコルソン・ベイカーは、けっこうお気に入りだった。些末なことを後生大事に延々と語り続けるマニアックな手法は一度ハマると病みつきになる。ところが、あるとき御大スティーヴン・キングに面白くないとけなされ、見返してやろうと思って書いた恐怖小説がこれだ、という。ミスター・ポテトヘッドというジャガイモに目鼻を付けて顔にする子どもの遊びを素材に古典的な怪談を描き上げる実力はなかなかのものだ。

    「ザ・ホルトラク」は、ゾンビと世界を共有する人間の物語。エリックとバトゥがやっている終夜営業のコンビニが舞台。そこは人間だけでなくゾンビも訪れるコンビニだ。「ホルトラク」とはトルコ語で「幽霊」のこと。車に犬を乗せてやってくるチャーリーのことをエリックは気に入っているが、チャーリーはバトゥからトルコ語を習っている。バトゥはエリックの恋を応援しているのだが、エリックは仲よく話す二人が気になる。何気ない日常生活がゾンビや犬の幽霊と同じ次元で成り立っている違和感が不思議な印象を残す。

  • 最後の一編が殊の外おもしろかった。どこまでも幻想的な本ですね。

  • とりわけ面白いと思われるアメリカ幻想小説の短編集とのこと。私にはDo You Love Me? が一番入り込みやすくて悲しくて恐ろしいと思った。あとは地下鉄の査察、魔女かなぁ。ただ、唸るようなストーリーで面白いな!という感想がわかなかったなぁ…
    岸本佐知子さんの変愛小説集みたいなのを期待してたけど違った。

  • 粒よりの短編集。「地下堂の査察」、「"Do You Love Me?"」、「見えないショッピングモール」、「ザ・ホルトラク」がよかった。「地下堂の査察」は別の訳者の「隠し部屋を査察して」も読んでみたい。

  • 「どこにもない国」読んだ。柴田元幸選アンソロジー http://www.shohakusha.com/detail.php?id=a4775401165 … しっくりこないと思いよく確かめたら幻想怪奇小説集だった。嫌いではないけどハッピーな話のほうが断然好き。幸福感溢れる怪奇小説なんてないもんな、既に字面が人格崩壊をおこしている(つづく

    陰鬱な作品群に唯一スティーブンミルハウザーが明るい愁いを差し込む。「ある晴れた朝にぼくは目を覚まし」なんていう平易極まりない書き出しなのに醸し出される叙情の甘美で濃いことよ。こんな作家だっけ?ニコルソンベイカーはグロテスクだけど雰囲気はどたばたコメディ。アニメになりそう(おわり

  •  読書会の課題本として、突如家に送られてきた。
     海外の幻想文学は、滅多に読まない。というか読んだ記憶すらほとんどないので、文学の自由さ、新しさに触れることができた貴重な時間が過ごせた。
    「地下堂の査察」エリック・マコーマック は、好きな世界観だった。地下世界で査察官が隔離された奇妙な人々を訪ねまわる話なのだが、結構読ませるし、意味ありげでとても良い。なんだか、どの部屋にも、そしてこの世界自体にも「最果て感」があって、一番隅っこの世界をのぞき見ているような感覚だった。
    「”Do You Love Me?”」ピーター・ケアリー も父親の暴力的というか、まったく尊敬できない像があり、大衆の暴徒化もあり、愛によって存在が決まる世界の危うさが、見事に表現されていてこれも名作。
    「どこへ行くの、どこへ行ってたの?」ジョイス・キャロル・オーツ は、恐怖小説。最初は、ただのラブコメか、家族と恋愛の対立みたいなのかと思ったが、その世界観が、「他者」の介入によって一変してしまう。母親の、娘への愛し方、嫌悪の仕方が実にうまく、リアリティに書かれているところから、一気に男の登場で、すべて失われてしまうというか、トイレで流されるみたいに、なくなってしまう。最後は主人公が分裂するみたいな形になる。
    「失われた物語たちの墓」ウィリアム・T・ヴォルマンは、エドガー・アラン・ポーの人生や作品を盛り込ませたものだが、これはポーのことと作者のことをよく知っていないと楽しめないかもしれない。ポーが、母や愛した妻を失った悲しみ。そのあとの、夫人への熱烈なラブレターの数々。それがまるで、ヴォルマンがむかし失った妹への鎮魂と許しにシンクロして、とても悲しい出来になっているのだ。この作品は幻想文学だが、とても私小説的なのだ。
    「見えないショッピング・モール」ケン・カルファスはパロディ作品。イタロカルヴィーノの見えない都市が元ネタなのだが、資本主義社会の批評的に仕上がっている。これも元ネタを読んでいればより楽しめる。商品が女性の名前になっているというのは、読書会の指摘で知った。
    「魔法」レベッカ・ブラウンは、フルアーマー女王と、その奴隷になった女の話。レズビアン小説っぽくて、かつ、わかりやすく面白い。特に、女王の中身が結局何も無いのと、女王が、「人を鎧じゃないと愛せない」という、その悲しみが実はあって、それが読書会で指摘されたので、さらに深く読めた。こういう崇高で傷付いた女とそれに従う女を配置するのは、著者の方法らしい。
    「雪人間」スティーヴン・ミルハウザーは名作。誰もが、教科書にも載せても良い、名短編として認めるだろう。
    「下層土」ニコルソン・ベイカーはホラー小説で、イモのお化けにとりこまれちゃう話。
    「ザ・ホルトラク」ケリー・リンクは一番好きで、コンビニとゾンビと崩壊した世界と車と。アメリカの行き着いた果ての世界という感じがする。

     読書会ではこの中から、オーツ、ヴォルマン、カルファス、ブラウンを取り上げた。
     レジメとしてウィキペディアとか参考図書を組み合わせて作った著者紹介を載せておく。

    ■どこへ行くの、どこ行ってたの?
     ジョイス・キャロル・オーツ
    1.著者紹介
     アメリカの作家、詩人、批評家。プリンストン大学教授。1938年生まれ。ニューヨーク州生まれ。1960年、シラキュース大学英文科卒。1961年、ウィスコンシン大学大学院修了。1962年、ライス大学大学院博士課程中退。63年25歳のときに、短編集でデビュー。67年からデトロイト大学などで英文学を講じる。全米図書賞など数多くの賞に輝き、何度もノーベル文学賞候補にあがる。
     40年に及ぶキャリアのなか、特に賛否両論、毀誉褒貶激しい作家である。ほとんどすべてのジャンルにまたがる75冊以上の著作を持つこの作家は、「表面下に暴力が沸々とたぎるアメリカの風土」を生々しく綴る記録者とたたえられている。フォークナー以来の最高の作家と称賛される一方、多作多様のため言語マシンと批判されている。アメリカ文学界のダークレディと呼ばれた。
     「心理的リアリズムの追求」と、「象徴的世界の構築」というオーツ一流のブレンドが作品の特徴である。若い女の子と連続殺人犯との遭遇を背筋も凍る寓話として語る「どこへ行くの、どこ行ってたの?」にはじまるオーツ最良の業績は、何百編と書かれた短編小説といわれている。暗く鋭いアイロニー感覚が、心に訴える強い力に変わっていく。

    ■失われた物語たちの墓
     ウィリアム・T・ヴォルマン
    1.著者紹介
     1959年、カリフォルニア州生まれ。著者は世界各地の暗黒社会奥深くに踏み込んできたが、そこにアイロニーや、これみよがしな醜悪な様子を描いたりしない。人間の悪しき行いのあらゆる領域を、貪欲に、感傷を交えず探求しながらも、そうした行いを仕掛けや目的にしたりしない。ヴォルマンは現代にあって最も勇敢な物語作家の一人だと言えよう。
     タイで年端の行かぬ娼婦を助けた顛末記や旧ユーゴスラビアでの取材中、乗っていた車が地雷を踏んで同行者二人が死亡した事件もあった。危険とエキゾチックな領域に踏み込みつつも、マッチョイズムでもなく、親しみやすさを読者に与える。
     淋しさ、孤立、あだになった善意、個人的・政治的優位の追求といったことがヴォルマンの作品に通底するテーマである。ヴォルマンの心の奥底にあるのは、彼が9歳の時、面倒を見るように言いつけられた6歳の妹が池で溺れ死んでしまった事件である。驚異的なまでに多作であるが、そこには己の罪の償いと罰と、失ったものを救い出そうとするものがある。
     また、ウイリアム・T・ヴォルマンが常に描くのは、居心地の悪さである。戦争が大好きで、ソ連制圧下のアフガニスタンに出かけようと苦労してみたり、最近ではナミビアに出かけたりしているけれど、それも単に、自分がもっとしっくりはまれるような世界のあり方を求めてのことである。
     社会の周辺に生きる人々への関心も、何とか自分の場が見当たらないものか、という意識のあらわれである。
     社会的にはアウトサイダー的な人々が、隔絶したコミュニティを構成して、幸せに暮している。ヴォルマンはそういう人を描く。彼は大局的な視点に興味関心がない。彼がこだわり続けているのは、自分の違和感だけだ。もしヴォルマンの居心地の悪さがわかるのであれば、読者はそこに自分自身を見いだす。が、わからなければ見当外れな言いがかりをつけるくらいが関の山で、それはそれでその人にとって幸せなことだ。ヴォルマンもそんな幸せな人になりたかったのだが、そういう風には生まれ育ってこなかった。だが、読者は、自分がまもなく死に、それが世界には何の影響も与えないことをよく考えてみたことがあるだろうか。そういうことを真剣に考えつつ読めば、あるいは何か作品の糸口が見つかるだろう。

    参考:ポーの生涯
     1809年1月19日、旅役者をしていたボルティモア出身のデヴィッド・ポー・ジュニアと女優エリザベス・アーノルド・ホプキンスの第二子として、ボストンに生まれる。ポーが生まれて9ヵ月後、デイビッドはエリザベスとポーを残して蒸発。まだ若かった母エリザベスは、2人の子どもを連れてチャールストン、ノーフォーク、リッチモンドと転々と仕事を求めて歩き回らねばならなかった。この過労から1811年12月、エリザベスは肺病に罹り死去する。この時の母との生活は、およそポーの人生や想像力の大半を決定付ける要因となったと見てもいいだろう。彼の詩や物語に現れる、穢れなき若き女性への憧憬のごとき感情は、ポーにおいては若くして死んだ母との想い出の中から生み出された。彼は、終生、母の似姿をペンダントに入れて肌身離さず持っていたというエピソードが伝えられている。
     早くして両親に死なれたポーは、兄弟とは別の家族、当時子どもがいなかった煙草商人の豪商ジョン・アランとフランシス・アランの夫婦に引き取られることになった。ポーのミドル・ネームは、この夫婦の姓から付けられている。家は当時裕福であった。イギリスにも商売を広げていたジョンに付き従って、幼いポーは7歳から11歳の多感な時代をイギリスで過ごすことになる。この時の経験は、ポーの、後に開花する文学的感性を形成する一端を担っていたといえるだろう。アメリカに帰国した後、ポーはいよいよ自らの作家活動を開始する。帰国後の1826年、ヴァージニア大学に入学。ところが詩人を志していた彼は、商売を学ばせようとした養父と対立した。また、ギャンブルにふけるようになり、1年のうちに2500ドルの借金をつくった。1827年には、その当時直面していた義父との関係悪化の憂さを晴らすかのごとくに、高度に美学的耽美的な詩集"Tamerlabe and Other Poems"を発表。養父は彼を退学させ、法律を学ぶようすすめたが、彼はボストンに出奔し、そこで自らの詩集『"Tamerlane and Other Poems"』を自費出版したのだ。1827年、18歳のときである。しかし彼の詩は全く評価されず、彼は生活のために軍隊に入った。軍隊では特務曹長を務めるまでになり、1829年除隊。その後養母の計らいでウエスト・ポントの陸軍士官学校に入学した。
     ここでも規則を破り、退学処分となる。その後も彼はニューヨークに出て詩集を発表するが、いよいよ生活に窮し、ボルティモアの父方の叔母の家に身を寄せる。
     代表的な詩である「アル・アーラーフ」を含んだ第二詩集を1829年、第三詩集を1831年と矢継ぎ早に出版していく。この1831年頃までは、ポーは詩人であったが、ちょうどこの頃からポーは短編を書き始めたといわれている。
     その最初の成果は、1833年に雑誌に掲載された短編、「ボトルの中の手紙」であった。この短編の成功から、詩人でありながら、小説家としてもデビューを果たし、さらには雑誌の編集者としてのキャリアもスタートさせることになる。1835年、懸賞小説の選者であったJ.P.Kennedyがその才能を見込んで、リッチモンドの文芸雑誌『南部文芸通信』の編集長に彼を推薦し、彼は編集者として活躍する。が、経営者と対立して、37年に免職。その後は転々としてさまざまな定期刊行物の編集をしながら小説を書いた。
     それからのポーは、旺盛な創作力を活かして、数々の短編、詩を発表する。1838年には、唯一の長編小説である『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』を発表。この小説は、現在でもポーの諸作品の中ではそれほど注目されてはいないが、この物語の最後に現れる全てが白に覆われるイメージは、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』に影響を与えたのではないか、といわれている。また、1839年には、代表的な短編である「アッシャー家の崩壊」や「ウィリアム・ウィルソン」などを納めた第一短編集『グロテスクとアラベスクの物語』を出版し、1843年には後世に「最初の探偵小説」という栄誉を与えられ、その後数々のジャンルを切り開く原動力になった「モルグ街の殺人」や、「黒猫」などを含んだ第二短編集を発表。また代表的な詩を数多く収録した最後の詩集である『大鴉』を1845年に出版している。しかしその後は、健康の衰えと供に創作力も衰退し、1849年、セアラ・ロイスター・シェルトンと婚約したが、義母を結婚式に招くため、ニューヨークに引き返す途中、ボルティモアで争いに巻き込まれ、泥酔して路上に倒れているところを発見され、そのまま息を引き取った。選挙の声喧しいボストンの路上にてこん睡状態に陥っているポーが発見され、結局その昏睡から回復することなく、永眠する。40歳。
     その死の謎めいた有様と同様、ポーの人生と文学と詩は、数々のいわくや伝説に彩られている。その中でも、彼の人生を決定付けた母の死の影響と、それからの「母」的なる存在を求めて数々の女性を遍歴したポーのロマンスは、彼の人生の大半を彩る。そうした女性の遍歴は、最終的には1837年に結婚した妻ヴァージニアに帰結する。従姉妹であり、しかも14歳という若さの少女と結婚したポーは、彼女に対して一種プラトン的な神聖な愛を捧げた。その愛は、まさに形而上的で観念的な、イデアとしての愛であり、彼らに子どもがなかったこともあって、終生男女の関係にはならなかったのではないか、と指摘する研究家もいる。ヴァージニアとの結婚後、彼の書く小説や詩は、ヴァージニア的な神聖なる女性のイメージを創造力の核として形作られることになる。しかし、元来病弱であったヴァージニアは、ほとんど満足な稼ぎも得られないポーとの生活の中で著しく健康を害し、1847年24歳の若さでポーは彼女を失うことになる。いわば、第二の「母」の喪失であった。ポーの失意と絶望は深く、妻の死後二年後にアルコールによる消耗と昏睡で死んだことを考え合わせると、彼にとってのヴァージニアは、肉体的な意味においても文学的な意味においても、命そのものであったのだといえるのかもしれない。
     ポーの文学の性質を述べるのは、その後世への影響も考えると膨大なものになる。一言で言えば、ジャンル意識がことさらに発達した作家だったといるのだろう。詩、怪奇小説、推理小説、SF小説、冒険小説など多くの領域にまたがって作品を残した彼の天才は、しかしながら、同時代のアメリカにはほとんど理解されなかった。確かに雑誌に掲載はされるのだが、それでもらえる金銭はわずかばかりで、最終的には妻を貧困で失ったことを考えても、ポーの文学的・財政的状況は悲劇的なものであった。文学マーケットが未成立であったという当時の状況も、ポーにとっては不運であったといえる。
     その一方で、ほとんど同時代のフランスにおいては、ボードレールらによってポーの天分は、過剰なまでに激賞された。その激賞はポーの本国での地位の低さをいかばかりも救うことはなかったが、純粋芸術、純粋詩の創始者としての王冠を与えられたポーは、その後長きに渡ってフランスの詩人や文学者たちに影響を与え続ける。また、こうしたポーの文学の影響を最も強く受けた者は、やはり日本の江戸川乱歩であるといえるだろう。名前自体がエドガー・アラン・ポーのもじりであることからも、その敬愛と賞賛の深さは窺い知れる。ポーの超時代的・超国家的な文学的性質が、アメリカではなく、他国におけるポーの名声をこれほどまでに強く確立した一因なのだろう。今では、最もよく読まれる海外古典の一つになる

    ■見えないショッピング・モール
     ケン・カルファス
    1.著者紹介
     1954年、ニューヨーク、ブロンクス生まれ。小説家でありジャーナリスト。ニューヨーク・タイムズにて、年間の注目すべき本に三冊も選ばれている。
     ニューヨーク州のサラ・ローレンス大学に入ったがまもなく退学し、その後、他にマンハッタンのニュースクール大学や、ダブリンのトリニティ・カレッジに入るなどして、早い頃から執筆活動をしていた。
     カルファスと家族は、モスクワ、ベオグラード、ダブリン、パリを転々とし、その間、この海外生活で自分の観察力が研ぎ澄まされ、洞察力を得た。
     短編集をはじめ、カルファスには何冊かの著作がある。
     フォークナー賞の最終候補に残ったり、数々の賞も受賞している。44歳ではじめて本を出版してから、常に高評価を得ている。ジャーナリストとしては、サイエンスライターとして活躍している。

    ■魔法
     レベッカ・ブラウン
    1.著者紹介
     1956年、カリフォルニア州生まれ。「安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した」……1980年代に書かれ、いまもレベッカ・ブラウンの小説の典型といってよい「私たちがやったこと」の書き出しは、レベッカ・ブラウンの恋愛小説の多くに共通する構図である。世界は「私」と「あなた」から成っていて、あとはすべてその他大勢の「彼ら」。だが、そのように二人で自己完結していても、「彼ら」はその閉じているはずの世界に侵入してくる。あるいは、彼らが侵入してこなくても、自己完結している世界が内側からこわれていく。あまりに濃密だからこわれる、という方法だ。
    1980年代のレベッカ・ブラウンは本国アメリカよりもイギリスで認められ、ゲイ・レズビアン専門の出版社からまず短編集が刊行された。簡単な言葉をあくまでストレートに使って、一種呪文のような呪縛力を生み出している。テンポのいいストーリーやリアルなキャラクターよりも声と文体と作品が書かれるということそのものをずっと大事にしている。「美しい権力者」に対する恋慕と怨念というのはブラウンに頻出するモチーフである。
     94年にホームケア・ワーカーとしての経験をもとに、エイズ患者の世話をする女性と患者の交流を描いた小説を執筆し、多くの賞を受賞。バーモント州立大学創作科で講師も勤める。


    <参考文献>
    1.サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド/ローラ・ミラー (編集), アダム・ベグリー (編集), 柴田 元幸 (翻訳)

    2.最新海外作家事典 新訂第4版/ 日外アソシエーツ〔編〕 

    3.ウィキペディア


     この一冊の「どこにもない国」とは、見えない都市の文庫本の訳者あとがきにあるように、「裏返しのユートピア」的な意味。ただし、ディストピアではない。ユートピアの反対は、ディストピアではないということが重要なのだ。それは丁度、個人の反対が国家ではなく、家族や彼氏彼女といった親密な二人だけの世界(対幻想!?)と言えるようなものだ。幻想的なものほど、どのようにリアリティを盛り込むか、きちんとした方法が重要になってくる。一人一人手法があり、その極をピックアップしてるとおもうし、見事なアンソロジーである。

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著者プロフィール

1954年生まれ。東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代作家を中心に翻訳多数。著書に『アメリカン・ナルシス』、訳書にジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』、エリック・マコーマック『雲』など。講談社エッセイ賞、サントリー学芸賞、日本翻訳文化賞、早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』日本語版責任編集、英語版編集。

「2023年 『ブルーノの問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

柴田元幸の作品

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