- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779507243
作品紹介・あらすじ
平等・連帯・自律を志向する理念としての"社会的なもの"。暗闇の時代に、その潜勢力を来たるべき政治にむけて徹底的に討議する。
感想・レビュー・書評
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市野川容孝, 宇城輝人[編] (2013)『社会的なもののために』ナカニシヤ出版
【書誌情報】
出版年月日 2013/01/01
ISBN:9784779507243
判型・ページ数:A5・392ページ
定価:本体2,800円+税
編集:市野川容孝 宇城輝人
著者:市野川容孝 宇城輝人 山森亮 宇野重規 小田川大典 川越修 斎藤光 酒井隆史 中野耕太郎 前川真行 道場親信
<http://www.nakanishiya.co.jp/book/b134994.html>
【目次】
はじめに(市野川容孝) [i-xvi]
目次 [xvii-xxiv]
第一章 ネオリベラリズムと社会的な国家 003
基調報告(市野川容孝)
討議
一、連帯の可能性を問う
社会的なものの可能性としての「連帯」/「連帯」と「友愛」/社会的なものとナショナルなもの
二、何をどのように社会化するか?
社会的所有とは何か/専門化支配と消費者主権/国有化、市場化、そして社会化/社会的なものとしての公共サーヴィス――図書館は誰のものか
三、社会的な統治の拠点をつくるには
国家が退場した時代に/新しい連帯の基盤を可視化する/社会的所有と市場/地方都市と社会的合理性
第二章 労働はまだ社会的なものの基盤たりうるか 061
基調報告(宇城輝人)
討議
一、「賃労働社会」の再検討
物であり、人格である労働/賃労働の外延――「家事労働に賃金を」が含意するもの
二、労働社会のディストピア
「低‐雇用」の広がり/雇用以外の道はあるのか?/日本的雇用/「新しい労働社会」の行く末
三、労働の排他性と必要に応じた分配
分配の三つの原理と社会的なもの/雇用という規範の脆弱化/雇用と労働の排他性と自由
四、ディストピアをどう回避するか
他者への気遣いをどう組み立てなおすか/社会保険に連帯はあるのか/労働社会のディストピアと賃労働からの解放
第三章 社会的なものと/の境界 117
基調報告(宇野重規)
討議
一、市民宗教――社会的なものの臨界?
境界と分離、媒介/ルソーの「市民宗教」をめぐって/「宗教を世俗化する」とは
二、都市――社会的なものの場所?
コミュニティへのコミットメント/コミュニティか都市か/コミットメントの単位
三、移動と移民――社会的なものの試金石?
インターナショナルな思考はなぜ不可能になったか/社会的なものとネイション、その境界を開く
第四章 社会的なものの認識の歩みとデモクラシーの未来 167
基調報告(小田川大典)
討議
一、生命の発見と社会的なもの
ミルのリベラリズムとソーシャル・サイエンス/機会モデルと生命モデル/有機体説と進化論/社会的なものと生命モデル
二、アレントをどうとらえるか
社会的なものと社会問題/アレントと社会的なもの/三つの領域――経済、政治的なもの、社会的なもの/アレントと統治の問題
三、議会制民主主義と社会的なものへの意志
議会制民主主義を再度問う/社会的なものを求める力/散乱のなかでの意志の衰弱/政治的なもの――折り目と襞を刻む
第五章 日本における社会的なものをめぐる抗争 221
基調報告(酒井隆史)
討議
一、社会的なものと植民地の問題
大正末期大阪における社会的なものの上昇/社会的なものではない「社会」の可能性/植民地と社会的なもの/社会政策とコロニアリズム
二、都市という問題
「出稼ぎ型社会」と都市/都市と移民――見え隠れする植民地/圧縮された変化――日本とヨーロッパの違い
三、二重構造と日本における社会的なもの
日本の二重構造とは何か/国民国家と社会的なもの/社会の透明化――家(族)という空間/「社会」から「厚生」へ/二重構造が開く社会的なもの/国家はあとからやって来る/二重構造と自民党政治/「社会」の可能性をどう開くか
第六章 〈3・11以後〉と社会的なもの 287
基調報告(前川真行)
討議
一、撤退する国家
時代はソルニットのものか/国家の撤退、コミュニティの衰退/ソルニットが提起する人間観
二、中間集団と公共性
日本における中間集団/対立を隠蔽する「新しい公共」/日本的状況における「個人化」
三、地方を収奪する中央
東京は都市ではない/東京よ、独立せよ
四、原発と社会的所有
エネルギーの社会的所有/私有の論理にいかに対抗するか/ソーシャルとネオリベの複雑な関係/オルドー自由主義をいかに超えるか/〈3・11以後〉とは何か
おわりに(宇城輝人) 360詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もちろん単著としても読めるけれど、やはり編著者の市野川先生の『社会』(岩波)をまずは読んでから、こちらの本に取りかかるべきだろう。前書きの部分でおおよそなぜ「社会的(なるもの)」の再考が必要なのか述べられているが、その系譜学的な詳細は『社会』の中で述べられているから。
本書では、主にその思想史、政治思想史、社会学を専門とする人々が討論形式で堀り下げていくことによって、「社会的(なるもの)」の定義付けを行うための予備的考察といえる。だからこそ、本書において明確に「社会的(なるもの)」が定義されるわけではない。恐らく、次に出ることが予告されている「論集」において、改めて「社会的(なるもの)」の様相が浮かび上がってくるのではないだろうか・・・。 -
「社会的なもの」という言葉で、一体何が考えられているか、何が考えられるべきか。従来「社会的なもの」を実現しようとする取り組みとしてどのようなものがあり、それらがどのような問題を孕んでいたか、そしてそれらの取り組みに見習うべき部分は何か。本書では、具体的な制度設計や提案はほぼなされていないが、従来の様々な取り組みの肯定できる部分と否定するべき部分、そして従来の取り組みではこぼれ落ちてきてしまった「社会的なもの」をいかに取り上げるのか、といった問題について、各論者が緻密な議論を展開している。問題提起の書であり、ここで議論された問題がいかに解決されるかは読者に委ねられている。