本の虫ではないのだけれど―日常を散策する〈1〉 (日常を散策する 1)
- かもがわ出版 (2010年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784780303421
作品紹介・あらすじ
「ゲド戦記」の翻訳者。児童文学にしなやかなまなざしを向け、日常の不思議におどろき、善き人たちとの邂逅をつづる著者のエッセイを、はじめて集成する。三十余年にわたり若い人たちに語り続けた大学での、「最後の授業」も収録。
感想・レビュー・書評
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著者の清水眞砂子さん、4月11日の朝のEテレの「こころの時代」に出ていました。
どのような方かというと、ウィキペディアでは、次のように紹介されている。
清水 真砂子(しみず まさこ、1941年5月27日 - 、正しくは正字の「眞砂子」表記)は、日本の翻訳家、児童文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。朝鮮生まれ。
1946年、内地に引き上げ、掛川で育つ。1964年静岡大学教育学部卒業後、県立島田高等学校の英語教諭となる、1968年より児童文学の翻訳を始め、1974年「石井桃子論」で日本児童文学者協会新人賞受賞。1976年青山学院女子短期大学講師、1980年助教授、1988年以降に児童教育学科教授。2010年定年退職、名誉教授。アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の翻訳で知られる。ほか児童文学に関する評論もある。夫は科学技術ジャーナリストの菅沼純一。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
清水真砂子さんの
「言葉」に触れるたびに
「背筋をそっと伸ばしている自分がいる」
と話してくれた友人がいる
むべなるかな
である。 -
ちょっと考えすぎじゃない?って思うところも多少あったけれど、知的なチャレンジを受ける。旦那さんとの関係が素敵。自伝を一緒に読んでて、あーそれでかって思うこともあっておもしろい。
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退屈だった。雑文の寄せ集めだからだろうか。清水さんの持ち味の深みがない。正確には初期の著作以上の「深まり」がない。
最期の『モモ』と『ゲド戦記』の比較に至っては、極端化しすぎで、それこそこぼれ落ちるものがたくさんある。物語を読むこと以上に深く読むことはない。深く読んだ人だけが読んだことを個性的に伝えられる。それは翻訳者であってもだ。
政治的な行動のところもなんだがうんざりした。動機は分かる。しかし、そこがいきなり九条の会!短絡的すぎるよ。
総じて図式的すぎる。 -
著者の日常を誠実に見つめるまなざしに、胸が苦しくなるほど。
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文学
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エッセイとしては上質だと思う。ただ、ゆっくり読んでいたら図書館の返却日に間に合わず、残り20ページほどは読んでいない。
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「ゲド戦記」の翻訳者。大学教授でもあった著者の最後の講義内容、子どもに「イヤ」なことははっきりそう言えるようになりなさいと手紙を書いたり、昔話の「残酷さ」は心配する必要はないと言ったり、考えさせられる文章も多い。
児童文学者でもある彼女の子どもに対する思い、児童文学に対する思いが、人柄とともに伝わってくる。本の紹介もたくさんある。 -
ゲド戦記の翻訳者さんのエッセイ。
昔話には正体不明の怖さを感じていたのだけれど、なるほど、そういう怖さがあるのか。