東京四次元紀行

著者 :
  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781621029

作品紹介・あらすじ

・キャッチ
なんだ、小説じゃないか? そう、これはコラムではない。稀代のコラムニストが、初めての小説を通して描く東京の街と人々

・内容紹介
「この文章を書きはじめるにあたって、私は、これまでコラムやエッセイを書く上で自らに課していた決まりごとをひとつ解除している。それは『本当のことを書く』という縛りだ」。
高度経済成長期から見つめてきた東京の記憶が今、物語となって蘇る。


・目次
残骸 新宿区
地元 江戸川区
傷跡 千代田区
トラップ 世田谷区
サキソフォン 杉並区
穴 墨田区
ギャングエイジ 台東区
八百屋お七 文京区
相続 葛飾区
焼死 品川区
カメの死 練馬区
はぐれたレンガ 目黒区
外界遮断装置 板橋区
幼馴染 大田区
見知らぬ赤子 荒川区
猫 足立区
欄干 北区
棒読み 中央区
稼業 渋谷区
記憶 豊島区
継母の不倫 江東区
ダイヤモンド 港区
プラ粘土

スパイク
指環
タイプライター
蔦の部屋 中野区
ロレックス
居なくなる男
2月の蛇
月日は百代の過客にして

感想・レビュー・書評

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  • 【追悼】小田嶋隆さん 言論のゲリラであり本来の意味のリベラリスト、高校時代から変わらぬシニカルな視点|日刊ゲンダイDIGITAL
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/307390

    コラムニスト小田嶋隆氏 「言論弾圧は自主規制から始まる」|日刊ゲンダイDIGITAL(2015/11/2)
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168014

    書籍詳細 - 東京四次元紀行|イースト・プレス
    https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781621029

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      ◆孤独を抱え、流転していく [評]長谷部浩(演劇評論家)
      <書評>『東京四次元紀行』小田嶋隆 著:東京新聞 TOKYO Web
      https:...
      ◆孤独を抱え、流転していく [評]長谷部浩(演劇評論家)
      <書評>『東京四次元紀行』小田嶋隆 著:東京新聞 TOKYO Web
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/198363?rct=shohyo
      2022/08/28
  • 2022年私は断酒しました。
    周囲にそういう人は全くいないのですが
    YouTube見てると次々出てきます。
    そこで紹介されたのが小田嶋隆さんの『上を向いてアルコール』
    4年前出版された時点ですでに断酒20年。

    私の読解力では「彼がなぜ断酒したのか」わからなくて
    他にも読んでみたいと思っていました。
    そんな中6月24日病気のため死去というショックな知らせ。
    この『東京四次元紀行』は亡くなる三週間前に発売された
    小田嶋隆さん初で最後の小説集。

    これが最後か。残念。
    そして断酒の理由はアル中だったんだなと思いました。
    死因の病名はわからないけど、いろいろな情報から
    ガンだったのかなと思いました。
    そして、断酒したのにガンになったのなら
    飲み続けた方がいいのかな?と。

    そして最近女優秋野暢子さんがコロナ禍から断酒していたことを知りました。
    飲酒がガンをおさえていたのか?と思った私ですが
    「もっと早くやめれば良かったかな」と秋野さん。

    閑話休題。
    小田嶋さんは執筆していてとても楽しかったそうですし
    私もとてもとても楽しく読めました。
    この思い、小田嶋さんに届いているでしょうか?

    〈生まれ直すことを決意した人間は、
    自分の過去と和解できなくなるということだ〉

    〈顔を見せないということは、
    死んだということなのだと思っている〉

    〈たしなみとは、言葉を変えて言えば、
    寂しさに耐えることだ〉

    〈ごく幼い時代の友だちは、半分くらい自分自身でもある……と、こんな生煮えの断言を振り回してみたところで、意味を解さない人間には何も伝わらないだろう。
    もう少し手がかりののありそうな言い方を探してみよう。
    つまり、子供時代の記憶は必ずしも自分という固定したエゴの中に保存される特定可能なデータではないということだ。
    子供の記憶は、むしろ、本人が行き来した幾人かの人間たちとの関係性の中で、絶えず揺れ動いている〉

  • この本をまさに読もうとしたときに、訃報を知った。
    本当に残念、悲しく寂しい。

    コラムニスト、いや文筆家として、誰よりも才能にあふれている人だと、私はいちばんに尊敬していたのです。
    あの辛口エッセンスが大好きだったのだ。

    この本も洒脱の効いたエッセイと思って読み始めたところ、なんと小説ではないか!
    (実は文京区から読み始めたので、まだ小説だとは気づかなかった(^^;)


    まさか小説にも挑戦していたとは・・・この先が続かないのが本当に残念無念。

    岡康道さんとの長い付き合いでの掛け合いも好きでした。岡さんの訃報を知った時もびっくりしたのに、まさかでした。

    ご冥福をお祈りいたします。

  • 今年(2022年)6月に惜しくも逝去した小田嶋氏の遺著であり、名コラムニストとして知られる氏の、初の小説集だ。

    32編からなる短編集であり、過半を占めるのは東京23区を一つずつ舞台にした連作。『月刊サイゾー』に連載されたものだという。

    残る9編も、舞台はそれぞれ東京だ。ゆえに、タイトルが『東京四次元紀行』。
    「四次元」といってもSFではない(ただし、ラストの一編「月日は百代の過客にして」のみ、「ループものSF」の体裁を取っている)。

    私小説に近い印象のものもあるし、著者の実体験が深く投影されていると思われる。
    たとえば、深刻なアルコール依存症に陥った人物が登場するものが、何編かある。それらには、小田嶋氏自身がアルコール依存症に苦しんだ体験が投影されているに違いない。

    また、舞台となる時代も、1956年生まれの小田嶋氏が生きた時代が多い。高度成長期からバブル期までの、いまより少し昔の東京を描いているのだ。

    “現実をフィクションでちょっと歪めてある”というニュアンスを込めて、「四次元」という言葉が選ばれたのだろう。

    逝去前月に書かれた「あとがき」には、《(小説を)もっと早い時期に書いていればよかったなあ》という一節がある。最初で最後の小説集になってしまったことが切ない。

    うろ覚えで書くのだが、氏はコラムニストとして売れ始めたころの雑誌インタビューで、「いずれ小説を書かれるおつもりは?」との質問に、「まったくありません。いまの小説家で尊敬できるような人もいないので(笑)」とシニカルに答えていた。

    だが、小説家としての天分も豊かに持っていた人なのだと、本書を読むと思う。

    私は時評家としての小田嶋にはあまり共感できなかった(とくに後半、ステレオタイプのリベラルに寄ってから)が、本書は大変よい。32編すべてが傑作とは言えないまでも、つまらないものは一編もないし、何編かは心に深い余韻を残す。

    昔からのファンは、初期の傑作『山手線膝栗毛』を思い出さずにはおれまい。同書は山手線の各駅周辺を舞台にしたコラム集であり、氏の東京論でもあった。
    じっさい、本書の一編「鳩」の下敷きになったコラムが、『山手線膝栗毛』の中にある。
    生粋の「東京っ子」であった氏が、最晩年に別の形で東京に正面から向き合ったのが本書なのだ。

    中学生男子、チンピラヤクザ、大学教授夫人、看護学生など、各編の主人公は多彩である。
    一編の主人公が別の一編では脇役として登場するなど、各編はゆるやかにつながっている。音楽でいう「ロンド形式」のようだ。

    立場も年齢もバラバラな主人公たちだが、共通項は社会のメインストリームから外れてしまった“はぐれ者”感であり、「生きづらさ」の感覚だ。

    昨今流行の、重い「生きづらさ」を抱えた人たちを描く小説(身もフタもなく言えば「メンヘラ小説」)とは異なり、本書で表現された生きづらさはもっと淡い。穂村弘の絶妙なネーミング「世界音痴」を思わせる。生きるための音程が微妙にズレている人たちを描いているのだ。
    たとえば、こんな一節がある。

    《佐知子も奈保子も、壁の中の部材のひとつとしてうまくはまりこむことのできないレンガだった。
     とはいえ、はぐれたレンガ同士だからといって、必ずうまく組み合えるというものではない。
     孤独な人間同士が、互いの孤独を癒やすことは、多くの場合、副作用を伴っている》(「はぐれたレンガ――目黒区」)

    この「はぐれたレンガ」のような感覚を、小田嶋氏も抱き続けたのだろう。

    メモしておきたいような、印象的な一節が随所にある。少し例を挙げる。

    《「沈黙にも、やわらかい沈黙と、硬い沈黙があって、だから、黙っていてもそれが気にならない人と、そうじゃなくて黙っていることで周囲に重圧を感じさせる人間がいるわけ」》(「相続――葛飾区」)

    《あるタイプの女性は、沼の縁の斜面に足をとられるみたいにして、自らの運命の深みに導かれて行く。彩乃にとって、祥一はそういう抵抗しがたい深淵だったのだろう》(「カメの死――練馬区」)

    《誰かを憎んでいる人間は、いずれ、ほかの対象を憎むようになる。長い時間を経て一人の人間の中で成長した憎しみは、いつしか、特定の相手に向けた感情であることをやめて、最終的には、自分の外にあるすべての世界への呪詛に姿を変えるものなのだ》(「外界遮断装置――板橋区」)

  • 小田嶋さんの遺作。

    図書館になく、紙で請求してようやく図書館に入った。
    この間、予約・請求した人は僕以外にいない。
    そういう僕も、購入までして読もうという気は、ない。

    小田嶋さんは、僕にとってそういう人になってしまっていた。


    小田嶋さんの文章を好んで読むようになったのは、2000年代の早い時期だったと思う。
    ブログ、書籍、ネット記事、手当たり次第に探して、夢中で読んだ。
    世の、いい子ちゃんな、賢しらげな、しかし浅薄な「常識」に、毅然として対峙していたように思えた。
    くだらないことなんだけど。

    ここ、10年ほどだろうか。
    書くものが極端につまらなくなった。
    Twitterで「俺の知ってる小田嶋隆なら、随分前に死んだよ」と書いている人がいて、我が意を得たり、と感じた。

    以前、昔好きで、最近どうしてかつまらなくなった作家の、昔熱狂的に好きだった作品を再読して、どうして、なにが良いと思ったのだろうと思ったことがある。
    多分自分が変わってしまったのだろう。
    小田嶋さんもそうかと思い、久々に「人はなぜ学歴にこだわるのか」を再読した。
    昔と変わらず、冴えた面白い本と感じた。

    変わったのは、小田嶋さんなのかな、と改めて思った。

    でも、彼が、気に入らない、と思った「賢しらげ」が、僕の思う「賢しらげ」と変わってきただけで、彼は変わらず、気に入らないものに、気に入らないと言い続けてきただけだったんだろうか、とも思う。

    変わらない人だった、のかもしれない。

    あとがきに、この小説を書くのが「楽しい作業だった」「とても楽しい時間を過ごすことができた」と書いている。
    多分、晩年。ということなんだろう。
    自身が楽しんで書けたのは、彼にとって幸せなことだろうし、それはそれで良かったのではないか、と思う。
    随分楽しませてくれた方だし。

    しかし、本作は、正直、普遍的な意味で楽しめる作品だとは思えなかった。

    とは言っても、若い頃小田嶋さんに熱中していて、この登場人物は誰のことなんだろう、小田嶋さんはこうした部分を登場人物に託したのかな、などと思いつつ、読む分にはなかなか味わい深いものがあった。
    それは、追悼という意味合いもあっての楽しみ方だった気もする。

    いずれにせよ、もう新しい小田嶋さんの文章を読むことはできない。
    残念だが、これで完結、ということか。

    これまでありがとうございました。

  • 書評はブログに書きました。
    https://dark-pla.net/?p=3416

  • 「本当のことを書く」縛りから解き放たれた小田嶋さんの物語。時も場所も登場人物達も自由自在に、それぞれがさまざまな理由でほんのちょっと交流したり、すれ違ったりするのだけど、実在する地名から連想する風景が妙にリアルで、若い頃、見たり聞いたりした「本当のこと」とも重なって時間と記憶、自他の感覚が交差して切なさにくらくらしてしまう。ひとつひとつの短編につけられたサブタイトルもとても好み。
    Twitterやweb連載が更新されない現実が不思議に思えるほどそこかしこに小田嶋隆さんらしさを感じる一冊。(2022年6月24日逝去)

  • 昭和も平成もずいぶんと遠い。私が子供のころの戦時中より遠い。ちょっと泣きたい。堅気じゃない人書かせるとうまい

  • 著者の遺作となる最初で最後のショートショート。
    著者が生まれ育った東京で見たり聞いたり経験したりしたことが再構築されて小説化されている。
    夫々の作品は、一部を除いて著者の子供時代からの経験や記憶が基になっていると思われるが、内容は違っても自分自身も似たような経験をしていたような気がする。
    おそらくこの小説の読者は、皆が似たような感覚を持つのではないだろうか。
    それだけ普遍的な内容を含む作品だと思う。

  • ラジオで知ってAmazonで購入

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著者プロフィール

1956年東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、テクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。
著作は、『我が心はICにあらず』(BNN、1988年、のち光文社文庫)をはじめ、『パソコンゲーマーは眠らない』(朝日新聞社、1992年、のち文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社、2012年)、『ポエムに万歳!』(新潮社、2014年)、『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP社、2020年)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房、2020年)、『災間の唄』(サイゾー、2020年)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)など多数がある。
また共著に『人生2割がちょうどいい』(岡康道、講談社、2009年)などの他、『9条どうでしょう』(内田樹・平川克美・町山智浩共著、毎日新聞社、2006年)などがある。
2022年、はじめての小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)を刊行、6月24日病気のため死去。

「2022年 『諦念後 男の老後の大問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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