〈盗作〉の文学史

著者 :
  • 新曜社
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788511095

感想・レビュー・書評

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  • タイトルからして、もっとセンセーショナルな内容の本かと思っていましたが、実際にはそうでもありませんでした。
    盗作事件そのものが、ほとんどが示談で済まされてしまっているため、なかなか大きな騒ぎになりにくいこともあるのかもしれません。

    古い記録からつい最近のものまで、幅広く書かれている上、参考文献も豊富に提示されていますから、原典に当たって確認をしたい人にも便利な本です。

  • 盗作、剽窃、引き写し、無断借用、2次創作・・・言い方はいろいろなれど、どこまでがどこまでなのか・・・盗作騒動などがあったとは、知らなかった作品も多く、というか、未読の作品ばかりなので、「へぇ〜そうだったんだ〜」なんて、いまさらながら知ることができて、なかなかおもしろかった。騒動のあった作品に関して、オリジナルと疑い箇所を載せてあり、自分の目で見比べることができて納得。もしかして、アイデアが似ることがあったとしても、文字にしてここまで同じ表現になっては、言い逃れは苦しいのでは、という作品がたくさんあるのだなぁ。創作とは、いかに大変なことであるのかを改めて知るところです。

  • 倉橋裕美子、庄司薫、大藪春彦、山崎豊子、立松和平、井伏鱒二、寺山修司、田口ランディ、石原慎太郎、筒井康隆、松本清張、平野啓一郎。
    ビッグネームずらり、の感じがあるけれど、これ、全員「盗作疑惑」がかけられたことのある作家達だ。
    最終的にうやむやになったものから法廷で争ったものまで、結末は様々だが、疑惑が持ち上がった、というところは同じ。
    えええー、知らなかったなぁ。
    自分はけっこう本に親しんでいる方だと思っていたけれど、まるで盗作の歴史については知らない。というのも、あまりしっかりした記録のようなもの、体系だったものがないらしいのだ(筆者談による)。
    その封じられた歴史について、明治のはじめから平成の世まで、長いスパンにわたって追った一冊。
    そもそも盗作、無断借用、無断引用、とは何ぞや、というところから丁寧に語っているのでわかりやすい。
    最初の明治時代について語った章は、引用文が旧仮名づかいだったり、今の出版業界とはまた異なる仕組みに因る盗作があったりでちょっと躓きそうになるんだけれど、そこから先は野次馬根性がぐぐっと引きつけられて面白かった。
    (最後の方は少し飽きがくるけど)
    元ネタと盗作物の比較がそこかしこに出てくるんだけど、「これまんまじゃん!ありなの?!ないよな!」というものから、「これで盗作になっちゃうの?」というものまであって興味深い。
    本流以外にも、文学評論家たちの偉そうなやり取りや報道のあり方など、ツボ満載。
    長い目で追っていくと、過去の方が「模倣」に対して非常に厳しかった、ということがよくわかる。
    たとえば最近の本だったら、「あー、こういう表現方法、前に読んだことあるなぁ」というものでも、多少の模倣は騒がれることはあまりない気がする。よく言えば模倣による創造に寛容になり、悪く言えばまったくの新しいものを生み出せない文学界に諾々としている、というか。
    もはや文学は高尚な芸術ではなく娯楽である、という時代の温度差なのかもしれない。
    文学史の裏側を覗き見るようで、なんとも面白い一冊だった。

  • 影響を受けたととるか
    盗作ととるか。

  • 盗作って多いのね。模倣との区別の難しいものもある。

  • [評者]〓秀実 ※〓はいとへんに圭。(文芸評論家)
    ■曖昧化する概念を客観的に
     世に「盗作」と呼ばれる現象は尽きないが、その定義は曖昧(あいまい)である。しかも、著者が言う「ポストモダンな批評」の登場は、盗作概念を更に曖昧化することになった(と思える)。引用や作品の歴史的重層を方法化する「間テクスト性」(クリステヴァ)等の概念がそれである。卑俗に解された場合、それらの概念は、文学作品の「オリジナリティー」を破壊する。

     著者は、そうした概念を括弧(かっこ)に入れることで、現代にいたるまでの、日本文学における盗作の詳細な歴史を書き得た。しかしそのことは逆に言えば、「ポストモダンな批評」による盗作概念の曖昧化が、著者に価値判断抜きの「即物的な」記述を可能にさせているということであって、逆説的ながら、本書もまた「ポストモダン的な」書物ということができよう。この逆説のなかで成立したところに本書の今日性がある。

     本書は近代以降の日本文学の盗作史を概観した後、倉橋由美子の『暗い旅』における二人称の語りが、ヌーヴォー・ロマンの作家ビュトールのパクリではないかと問われた論争に始まり、有名無名の盗作問題を詳細に追う。近年の数多くの盗作問題にも触れている。また、盗作問題が「著作権問題」として裁判で争われる傾向を見せ、同時にそれがネット社会という現状の問題でもあるということを指摘していて、示唆に富んでいる。

     本書の記述は客観性を旨としているが、私見では、あえて倫理的に糾弾されなければならない盗作はあり、そうであるにもかかわらず曖昧に不問に付されるケースも多々ある(もちろん、逆の事態も存在する)。それは、多くの場合、出版・ジャーナリズム資本の「意志」が働いているからである。盗作問題が近代的な現象だとすれば、それは、盗作問題が資本主義という契機を抜きにしては考えられないということも意味していないだろうか。

  • ビュトール『心変わり』をめぐる倉橋由美子『暗い旅』論争(江藤淳ほか)など

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