- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791766185
作品紹介・あらすじ
関東大震災で失われた浅草凌雲閣、通称「十二階」。眼下に吉原を望み、日本初のエレベーター、百美人、戦争絵を擁し、絵や写真となり、見世物小屋、広告塔としても機能したこの塔の眺めが、啄木や花袋らのまなざしをとらえ、「近代」の欲望を体現する。新たにコラム「飛行機は空の黒子」「魔法使いの建てた塔」を増補。
感想・レビュー・書評
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「死者が私のふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いが事あるごとに回帰して、そこにいない死者の判断を己の行動の規矩とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。
それどころか、しばしば死者は「生きている時よりもさらに生きている」のである。
内田樹氏の『死と身体』の引用である。浅草にとっても十二階(凌雲閣)はどのようなイメージなのだろうか。浅草十二階は、今はもう存在しない。しかしながら、明治末期から1923年の関東大震災までの一定期間、所謂大正モダンとも言われる期間の間、存在した幻の煉瓦塔である。煉瓦でできた浅草十二階は日本最初のエレベーターを擁した最新鋭の建造物であった。しかし、時の経過とともに、過去の遺物として扱われ、終いには関東大震災で半壊し、その後爆破されてしまう。一度は栄華を極めた人物が凋落していくフイッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』のような儚さがある。
本書では、石川啄木、田山花袋、川端康成、江戸川乱歩が描いた浅草十二階を参照しつつ、塔が近代人のまなざしに与えた影響や、その当時のメディア、空気について語られている。ベンヤミン等、いささか専門的で難しいところもあるが、全体として浅草十二階が人々に与えた影響や観念の変化について、丁寧に語られている。
改めて、浅草十二階は存在しない、しかし、本書を読んだ後に、浅草の空を除くと、印象深い赤煉瓦の塔が目に浮かぶ。今はなき儚いこの塔に関する知識は、浅草に確かに存在した明治から大正にかけての一時代を呼び覚ます空虚として機能してくれる。
この塔を死者とみなした時、浅草の空に「生きているときよりもさらに生きている」塔の姿をそこに見ることができる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・符牒 意味をもたせた文字や図形。記号。符号。仲間だけに通用する言葉や印。合言葉。
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華やかな高い展望台としての登場から、飽きられ、廃れていく様が面白い。
日本初のエレベーターが事故の多さに危険だからと半年で止められていたらしい。
しかし、技術の発展で大正3年に人知れず復活。
平日は閑散として、壊す計画まであったが、持ち主は反対。費用の問題だったらしい。
大震災で半壊し、垂れ下がった福助足袋の巨体看板も危険とのことで、爆破された。万歳万歳と声があがったそうな。
明治時代のハイカラから大正時代の戦争景気で古いものが廃れていく象徴のようで興味深い。 -
浅草に引っ越すので、浅草のことを知ろうシリーズ。
浅草十二階は歴史の教科書にもちょこっと登場する。
それを学んだときに、けっこうすごいと思ったにもかかわらず、あまりメジャーじゃないというか、個人的にはもっと取り上げられてもいい建築物だと思っているのに何か不当な扱いを受けている気はしていた。
別にその理由がこの本で分かったわけでもないけど、おそらくはそのキッチュな感じとか、実際あまり人気がなかったこととか、計画変更でいろいろ付け加えられた構造とか、そういうもののせいかも知れない。
で、筆者は、当時の新聞とか森鴎外、石川啄木、田山花袋、金田一京助あたりを読み解きながら浅草十二階と近代の「まなざし」について考察してる。
けっこういろんな資料が出てきて充実してると思う。
「まなざし」とかそれこそ見田宗介の本とか思い出してわくわくする。
見ることと見下ろすこと、見上げることと見下ろすこと。
あとはパノラマ館という当時の見世物を対置させつつ、「パノラマ」という言葉についても詳しい。
わりと内容が雑多な感じもしてしまうけど、単にスカイツリー人気で復刊しただけとは思わせないほど学術的レベルも高いと思う。 -
風船男をはじめとする起こった出来事については面白く読んだが「パノラマ」とは何かみたいなのは目が滑りさっぱり頭に入らなかった