- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797670561
感想・レビュー・書評
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何度読んでも学ぶべきことが沢山ある、素晴らしい本。
マックス•ウェーバーの方法論で、イスラム社会において資本主義が生まれ得ない理由を論理的に説明してみせる。
この書を通じて改めてウェーバー<プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>の有する凄さと射程の広さが理解できる。
其の意味で<プロ倫>のよき解説書でもある。
何故、お堅いプロテスタントだけが、資本主義の精神に火をつける触媒たり得たのか?
それを説く論理は、推理小説よりも遥かに面白い。
社会学はすべからく宗教社会学なのだ。
こう喝破したのは、日本では小室直樹であり、大澤真幸だが、元々は、社会学そのものを作り上げたマックス•ウェーバーが主張し、実践してきたことだ。
資本主義もマルクス主義も、宗教として捉えない限り、理解出来ない。
当然、宗教そのものの分析を行なうのも社会学だ。
だから、宗教社会学に、資本主義分析も、マルクス主義分析も、貨幣の発生も、国家の発生も含まれるのだ。
日本人には縁遠いイスラム教は、世界宗教理解の要だ、と小室は言う。
ユダヤ教、キリスト教と起源を同じくするイスラム教は、なぜ、ユダヤ教とキリスト教と相容れないほど異なってしまったのか?
その謎を追いながら、気がつくとイスラム教のみならず、ユダヤ教、キリスト教についての理解も深まっている。
日本人がキリスト教を易々と受け入れながらも、もう一つの世界宗教であるイスラム教が、なぜ日本では全く受け入れられないのか、これだけ明快に説明した本はない。
それは、イスラム教には厳しい戒律が存在し、キリスト教には存在しないことにある。
日本人は戒律が嫌いだ。
仏教導入に際しても、仏教の根幹である戒律を取り除いてしまった。
イスラムは、合理的な宗教だ。
キリスト教こそ、非合理性を内包した不思議な宗教であることが分かる。
その非合理的で不思議なキリスト教から資本主義が生まれ、合理的なイスラム教では資本主義が生まれない、その理由を明らかにする。
イスラムを知ることで<異常>なキリスト教を理解する<不思議なキリスト教>のオリジナルとも言える。
キリスト教程捻れた、おかしな宗教はない。
その不思議な、キリスト教こそが資本主義という魔物を生み出したと言うことが社会学が取り組むべく最大の、且つ魅力に満ちた課題なのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本人には馴染みの薄いイスラム教について、キリスト教やユダヤ教、そして仏教など他宗教との比較を通して、噛み砕いた表現でわかりやすく解説した良書。
最初はフラットな視点で解説しているが、読み進めていくうちにイスラム教贔屓になっている傾向はあるが、そうなるのも分かるくらいに、イスラム教に対するイメージが覆った。
そして9.11が起こってしまった理由、さらに現在の資本主義を中心とした世界経済の中で、イスラム諸国が強国になれない理由も理解できた。 -
密教の特徴は呪術性にあると私は考える。鎌倉仏教はむしろ日本密教と呼ぶのが正確だろう(ただし禅宗は除く)。祈祷(呪法)・曼荼羅(絵像、木像)・人格神の3点セットが共通している。
https://sessendo.blogspot.com/2020/03/blog-post_96.html -
2002年刊。2001年のテロ事件を受けて書かれたであろうことはうかがえる。ただし、小室直樹師これ以前に『日本人のための宗教原論』を書かれていて、その中で「イスラム教がわかれば宗教がわかる」「一番完成度が高い宗教はイスラム教である」と何度も繰り返している。書かれるべくして書かれたのでしょう。ヴェーバーを下敷きにし、同じ啓典宗教であるユダヤ教、キリスト教徒の比較、のみならず時に中国の歴史とも対させながらの解説はとてもわかりやすい。わかりやすすぎて「ホントか?」と思うところがあるくらい。僕自身は、他の書籍からイスラム教へのうっすらとしたイメージをつかんでいたが、やっと一つのまとまりになったような気がする。
ただ、これも小室さん的な見方かもしれない。よく考えたら僕が読んできた書籍の著者は、小室さんの薫陶を受けた人が多いのだった(笑) 他の人の本も読んでみないと、と考えつつ、博覧強記の小室さんから学んだことが、そう簡単にひっくり返るとも思えない。
イスラムを知りたければ是非とも読むべき本。ただし、キリスト教徒は胸くそが悪くなるかもしれません。前半はキリスト教をぼろくそに書いているところがあるので。最後まで読めば、その意味がわかるとは思いますが。
https://amzn.to/2VOUi8R -
小室直樹面白い
私は宗教というものを軽々しく考えすぎていたと思った
あまり宗教に絡んだ生活をしていないイメージだったが
宗教により生まれた思考が自然と身近な生活にあふれ、
思考をする際の常識になっている部分がある
そうやって考えると宗教というものを学ばないと
何がもとから人間固有のもので
何が後天的に生まれたものなのかわからない
さらに考えてみると
そういった考え自体も間違いなんじゃないかという気もある
そこはひとまず考えてから検討するべきだ -
●本書を読むまで、イスラム教について何も知らなかったんだなぁと痛感させられるほど、詳しくわかりやすくイスラム教について書かれている。
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イスラムの価値観が解説されてます。
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この本を読んでいなかったら、世界で起こっているさまざまな事柄をきちんと理解できないままでいたと思う。読んで本当によかったと思っている一冊。
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久しぶりの小室本でしたが、いつもながら、日々仕事の課題で覆われたアタマに心地よい刺激をもらいました。
著書の他書と同様、ウエーバーのプロテスタントと資本主義の理論をベースにして、なぜこれほどまで論理的で中世世界をリードしたイスラム教が、近代化に遅れ、現代の状況にあるかを説く。同根のユダヤ教、キリスト教のみならず、仏教、儒教との比較がわかりやすく、これまで読んだ中で最強の宗教学本と思いました
マレーシアでビジネスに関わっていた際に、イスラムの世界と少し触れる機会がありましが、敬虔で真面目な人々の暮らしからは、欧米世界でチマタで言われるような過激さは全く感じませんでした。それが全てとはいいませんが、先入観なしに異文化と付き合ってみようとすることは、海外の人々とのコミュニケーションの第一歩だと思います。 -
もう何十年かぶりに 小室さんの著作を読んでいるような気がします
logical な思考です それでいて「講談」のような語り口も、小室さんならではかも…
(ミ`w´)彡━━┛~~ ' ぷっくぷく~~~ -
◆本書の評価として
Amazon、ブクログでも評価の高い本。
ただ、後半は特にキリスト教をバカにした書き方が目立ってきます。
このため、完全に納得していた前半部分についても、内容の信憑性が気になってきました。
別の書籍も少し確認した方が良い気がします。
※Amazonでもわずかに本書に対して低評価のレビューがあり、そのレビューも同様の点を指摘していました。
◆面白かった点
前半は、部分的ではあるがユダヤ教・キリスト教・仏教などとの比較がされていてなかなか面白い。テロリストのものの考え方もわかった。
最初、日本の宗教として仏教しか出てきません。
「神道」という言葉は本書を1/4ほど進んでから初めて出てきました。そこには、日本の宗教はもはや「日本教」であり、「日本固有の神道をベースにして、仏教や儒教の教えなどがミックスされて作られた」という表現がされています。この説明は的確だと思います。
また、イスラム教が日本に浸透しない理由も非常にわかりやすかった。
その理由は一神教であること以外に、
日本人は「空気」に合わせて行動が変わり、「戒律」が定着しない。それがゆえに、戒律を重んじていた仏教も日本に入ってきて戒律がそぎ落とされ、「日本仏教」と形を変えた。イスラム教は戒律(規範)に従わないこと(行動を伴わないこと)が、即、信仰していないことになるため、戒律がそぎ落とされることは許されない。ゆえに日本にはなじまない、ということでした。
◆イスラム教で近代資本主義が発生しなかった理由まとめ
理由1:
キリスト教では、貪欲は罪とされている。そのため、その抜け道を探すように、「同価値のものを交換することは問題ない」という発想から、商売が発展していった。禁止される方が抜け道を探して発展していく力が強い。
イスラム教では、商売自体が禁止されていないため、必要以上の力にはならなかった。
理由2:
キリスト教でもイスラム教でも、神と人との契約(タテの契約)のみが説かれている(結婚式でも「神に誓う」となる)が、
キリスト教は無規範宗教であり、心の中での信仰のみが求められる。そのため、行動面でのルールがなければ生活がままならない。また、「神を愛せよ」という命令のほかに「隣人を愛せよ」という命令がある。これらのため、キリスト教では人と人の契約(ヨコの契約)を守る発想が生まれ、これにより近代化資本主義が発生した。
イスラム教では規範があり、神との契約(タテの契約)が守られていれば人との契約(ヨコの契約)はなくてもよい。そのため、イスラム教では人同士の約束が守られないことはザラである。
本書の最後の方にもまとめられていますが、イスラム教がその教えのため近代化できない、というのは衝撃でした。
◆本書を読んでイスラム教に対して思ったこと
イスラム教はよくできた宗教だと思いますが、イスラム過激派が存在しているように、「人を殺さない」といったような教義が含まれていなかったのが個人的に残念に思う点です。
それがあると宗教として矛盾点が出てくるのかもしれませんが…。 -
三上治、「出版人広告人」2015.3.書評。
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日本ではどうしてイスラム教が広がらないのか?を起点にして、日本人の「戒律を嫌う」宗教観から他の宗教との比較、ひいては欧米社会(特にアメリカ)とイスラム社会はどうしたら分かり合えるのかが軽快な語り口で綴られている。
特にオススメなのが宗教比較。「キリスト教は信じれば(=信仰心があれば)救われるという考えをベースにし、行動規律を持たない。一方イスラム教は律法を守ることで、アッラーへの信仰心を表わす」など。イスラム教はもちろん、諸宗教のアウトラインがざっくり掴めるのは良いです。 -
「なぜ日本にはイスラム教が広まらなかったのか」という問いからまず衝撃的だった。世界史を勉強していたが、そんなこと考えたこともなかったし、言われてみれば東南アジアにも広まったイスラム教が日本に来ていてもおかしくないと思った。そんな問いから、次から次へとわくわくさせるような疑問を挙げて、イスラムだけでなく他の宗教
比較を通して、宗教の知識がない人にも分かりやすく解説しているところが小室さんのすごいところだと実感した。もともと世界史を勉強していただけに、単語だけで覚えていたものがこういう繋がりがあったのかと発見することが面白かった。また、現代の問題、特に9.11テロ以降のキリスト教世界とイスラム教世界の対立や、イスラム圏の国が近代資本主義化をできない理由なども宗教の考え方が根底にあるとことには驚いた。無宗教であることは、宗教を知らなくても良いということに繋がらない、もっと宗教を勉強しなくてはと考えさせられた一冊だった。 -
イスラム教の入門書として最適。ユダヤ・キリスト・仏教など他宗教の比較を通してイスラム教のエッセンスが分かりやすく解説されている。今日のムスリムの胸中を垣間見ることができるだろう。
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素晴らしい本だった。こういう本があるから読書を止められない。
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了。
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以前から、イスラム教、イスラム教徒の考え方が理解できなかったが、少し理解が進むと同時に全く無知であったことを思い知った。
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イスラム教を理解することは、キリスト教を理解することに繋がる。キリスト教を理解できれば、近代社会を理解できるようになる。
歴史的に見ると、イスラム世界の方が、キリスト世界よりも優秀である期間が長かった。というよりも、世界のなかでも、イスラム世界が最も優秀だったのだ。生活水準も知的水準も高いイスラム世界。しかし、近代化ができなかったために、今のところキリスト教世界の後塵を拝することとなっている。
キリスト教は外的規範を一切要求しない。内面的規範つまり「心構え」だけでよいのだ。だが、キリスト教によれば、人間は原罪を負った存在である。ゆえに、自ら進んで内面的規範は満足させることはできない。仮に進んで善行ができるとしたら、それは神の導きによるものである。このように考えると、内面に一切の本人自身の意志(=自由意志)がないということになる。心の動きも、「すべて」神の導きによるものである。すべては神によって予定されたものである。これが「予定説」だ。
正しきキリスト教徒ならば、正しき行いをする。「予定説」に従えばそういうことになる。当然だ。神が「正しきキリスト教徒」の所作をすべてコントロールしているのだから。
このとき、正しきキリスト教徒は、隣人愛に基づいて行動する。さらに、先述のとおり、キリスト教には外的規範がない。ということで、隣人愛を実践するための行いを、より「合理的」に行おうとするのである。それは、労働の神聖化でもある。公正な市場取引の拡大でもある。契約の絶対視でもある。
イスラム教の場合は、近代化は不可能だ、と小室博士は言う。それは、イスラム教が「宿命論的予定説」をとっているからだという。これは、現世では「天命」に従い(すべてはアッラーの思し召し)、来世では、現世での行いに応じて(因果応報)裁きが決まる、というものだ。つまり、現世(現実)の生活は、アッラーがすべて御差配なさるものであって、人間がどうにかできるものではない。合理化という発想はでてこない、ということである。
また、ムハンマドが最後の預言者であるという点も重要である。なぜならこのことは、イスラム教が絶えず「原理主義者」を生み出すことを意味しているからだ。説明すると、「最後の預言者」ののちに、神が契約を更改なさることはない。ということは、ムスリムは最後の審判が訪れるまで、イスラームに則った行いをする他ないのである。もし、イスラームから逸脱しそうになったら、正道に戻そうとする保守派が登場する。それが西欧・アメリカ的に言うと、「原理主義者」なるものなのだ。
小室博士の著作は面白い、改めてそう思った。