- Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834000108
感想・レビュー・書評
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おそらく、中川李枝子さんの代表する幼年童話として真っ先に挙げられるであろう本書は、1963年に、厚生大臣賞、NHK児童文学奨励賞、サンケイ児童出版文化賞、野間児童文芸賞推奨作品賞と、四度の受賞に輝いたのも肯ける、今読んでも全く色褪せない面白さと気付きを、私に促してくれた。
「いやいやえん」って、一つの長篇かと思っていたら、その表題作を含む7つの中短篇が一冊に入っていて、全てが同じ世界観のため、連作ものとして楽しめながらも、そこにはファンタジー要素と、厳しいまでの現実味が上手い具合にミックスされることで、子どもたちのことを考えて書かれているなと実感させられた、中川さんの思いの強さに、当時の幼年童話の意義を感じさせられて、私は世代ではないのだが、もし幼稚園の頃に読んでいたら、どう感じたのだろうと、それが気になって仕方がなかった。
「ちゅーりっぷほいくえん」
その保育園の「ばらぐみ」に通う、四歳の「しげる」は、全ての物語に登場する主役的存在ではあるが、決して優等生ではなく、色々と問題を起こしながらも印象に残ってしまう個性というか、おそらく感受性が豊かなんだろうなと思わせる点に、すぐ他と比較してしまう割には自由気ままに行動するといった、伸び伸びとした姿が愛らしくて、その保育園の方針である、約束を忘れたときに、先生から「物置で考えていらっしゃい」と入れられることが多い、しげるにとって、『物置』と聞いただけで、入れられる前にちゃんと思い出す特性は、たとえ一日に17回約束を忘れたとしても(17個の約束を全て具体的に書いてあるのがまた面白い)、全て思い出せるのだから、ここまで来ると、最早天才なのではと思える微笑ましさが、彼のしていることは、本来いけないことなんだろうけれど、それでも感じられた爽やかさに、中川さんの温かさを垣間見るようであった。
「くじらとり」
しげるが度々比較して羨ましがる、「ほしぐみ」の男の子たちが積み木で船を作ったことから始まる、素晴らしき想像の世界は、周りの子達も巻き込んでの映像が浮かぶような臨場感あるもので、そこには、釣り竿の他に、魚を焼く網とお箸、望遠鏡に腕時計(海には柱時計が無いから)、海の水はしょっぱいから水筒に水を入れて持って行こうといった、どうせ楽しむのなら本格的に楽しまなくちゃという、子どもたちの拘りに、いつの時代も変わらぬ、ごっこ遊びによる、想像力を育むことの大切さを実感させられた。
「ちこちゃん」
掃除をするために積まれていた机に乗ろうとした「ちこちゃん」だったが、しげるに注意されて降りた瞬間、すぐさま彼に横取りされて、納得いかないものの、案の定、しげるは先生に叱られて、すんなり解決かと思いきや、しげるは謝らず、何かというと「ちこちゃんがのったから」を繰り返し、「もし、ちこちゃんがじどうしゃにひかれたら、しげるちゃんもひかれますか?」と言っても、「うん。ひかれるよ」と答えたので、先生が、ちこちゃんの家から借りてきた洋服をしげるに着させて、彼に反省を促そうとしたその瞬間、ちこちゃんのすること何でも、しげるが真似するように、勝手に体が動いたり、いつの間にか、おままごとのエプロンを着せられていたりといった、不思議な現象が起こって・・・。
私からしたら、しげるが、何故そこまで頑なに抵抗するのか分かるような気がして、確かに彼は、ちこちゃんを騙して自分だけ楽しんだ上に、それが危険な行為だということに気付かなかったから、先生から叱られたのだが、その危険な行為をしたのは、彼女も同様であり、本来であれば、彼を叱った同じタイミングで彼女にもそれを指摘するべきだったと思うのだが、それでも私が印象深かったのは、最後の終わり方であり、物語はその後も色々あったが、何事もなかったように、二人が「さようなら」と別れる様子に、ああ、しげるは、ちこちゃんを恨んでいた訳ではないんだなということを実感出来たのが、何よりも嬉しかった、そのわだかまりの無さが彼の良いところなんだろうなと、私は思う。
「やまのこぐちゃん」
子グマが保育園に入るという、児童向けの本ではよくあるパターンでありながら、序盤のしげる以外、皆おっかなびっくりな様子には、妙な新鮮さと生々しさがあり、最初は恐がられたり、皆みたいに服を着るべきだと言われるが、それでも、持ち前の好奇心旺盛な明るさと、皆と楽しく合わせながらも、自分の譲れない部分はしっかり主張する、そんな様子には、人間の転校生を重ね合わせたようでもあり、とても印象的だった。
「おおかみ」
おおかみの恐いイメージも、しげるにかかると、こうなるといった、逆転の発想の面白さと、最後の一致団結する展開が痛快な一品。
「山のぼり」
五つある山のうち、四つはそれぞれ果物の木がある中で、唯一、昼間でも日が差さない夜のような、ちょっと恐い雰囲気の山があり、保育園みんなで山のぼりに行くことになったが、案の定しげるは、先生から、食べるのは何でも一つだけと、黒い山には迷子になるから入らないという約束を守らない上に、その黒い山から聞こえる可愛い声が気になって、そこに入ってしまうという行いに、教訓ものの話かと思いきや、確かに恐そうなものが、いるにはいたが、話してみると案外・・・という展開に、真実はこの目で実際に確かめてみないと分からない、それは、これから子どもたちが大きく成長するに於いて、とても大切な、周りに影響されない物事の見方を教えてくれたようにも思われた。
「いやいやえん」
朝からしげるは、赤い自動車が嫌、お姉さんのおさがりが嫌、保育園に行くのが嫌、お弁当も嫌、と、おそらく一つの悲しみが連鎖して、全てに拒否反応を起こしたであろう彼に、困ったお母さんは、保育園の先生から、「いやいやえん」なら彼も好きになるとアドバイスを受けて連れて行った、そこでの出来事に、私は衝撃的な驚きがあった。
そこは一見、普通の保育園で、おばあさんが一人で見ているのだが、お母さんが持ってきた洋服やお弁当はどうするのか聞いたら、「いりません。きらいなんだから」の一言で切り捨てて、彼を預かると、後は迎えに来る時間まで好きにすればいい、ただそれだけである。
好きなことが出来るというのは、自由気ままに振る舞ってもいいということで、しげるも早速、積み木をやりだすが、自由なのは彼だけでなく、そこにいる他の子どもたちも同様であり、それは、しげるとよく似た乱暴な男の子から、積み木を取り上げられたことをおばあさんに訴えても、「いやいやえん」では、返すのが嫌ならば返さなくていいんだよの、一言で退けてしまう、他の子どもとの平等性を唱えた現実性と、十時の時間になっても、当然の如く玩具を片付けずに、挙げ句の果てには喧嘩までしてしまう、そんな彼らの様子を見て玩具たちが、「こんなところいられないわ」と言って、皆出て行ってしまう、本来であれば見ることが出来ないであろう、ファンタジー性が合わさる様には、あらゆる手段を使って子どもたちに考えてほしい、とても大事なことなんだよといったメッセージが含まれているように思われた。
おそらく、今の時代の倫理観と照らし合わせて、問題点もあるとは思われるのだが、たとえば本書の場合、しげると男の子が大喧嘩をしている最中に、おばあさんは、「いまに、ふたりとも、手か足をおっちゃうだろうよ。そうしたら、おしえておくれ。きゅうきゅうしゃをよぶからね」と、恐いことを言うが、それを二人に聞こえるように言うことで、自然と自主的に喧嘩をやめてしまう、そんな効果も私は実感し、更にはその後、おばあさんが二人の傷にあかちんを(懐かしい)付けながら、「いくら、赤いのがいやでも、ばいきんがはいるといけないからね」と言う姿に、この人は分かっていて、やっているのだろうなということを感じ取れたことから、仮に、二人が喧嘩をやめなかったとしても、手足を折る前に止めていただろうと思わせる、そんな子どもたちへの溢れるほどの愛を感じ取ることが出来たことに、当時の時代観とは思えない斬新さがあり、私が幼少期を過ごした70年代にしたって、しげるのようなことを言っていたら、おそらく無理矢理連れて行かれて叱られるであろうに、それより以前に、このような思考法を持たれている方がいたのだということに驚きを覚えて、当時の幼年童話の存在が、子どもたちだけでなく大人にとっても、どれだけの支えとなっていたのかが、よく分かる。
確かに、子どもが嫌だと言った時点で、何が嫌だったのか真摯に問い掛けていたら、もっと簡単に事は収まっていたのかもしれない。しかし、やり方はそれ一つだけではないことに加え、ここでは、しげる自身に体験してもらうことで、自分はいったい何を求めているのかを、自分自身で感じ取って欲しかった意図もあることが重要なのだと思い、それは、人から与えられるだけの受け身の立場ではない、能動的な思いが促してくれる、確固とした、いつまでも忘れないであろうと感じさせられた、しげる自身が感じ取って決めた意志なのであり、それは、先生から何度も注意されたり、ほしぐみが羨ましかったりと、悩み所も多い、ちゅーりっぷほいくえんではあるが、そうしたものがあるからこそ自分ならばこうしようと、面白い素敵な考えを思い浮かばせてくれる、それなりの約束事が在る故の楽しさと、たとえ注意されるのだとしても、人と人とが関わって触れ合うことの喜びを、彼自身、改めて実感したからなのではないかと思ったことから、世界がどのような形であっても、自分自身を投影することは可能なのだということを私に教えてくれた、そこには、自分自身がしっかりと存在しながら、他の子どもたちの存在も認めてあげる、そんな当たり前なことと思われながら、現代に於いても中々叶うことが難しい、普遍的なメッセージが含まれていたのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
義母が息子の誕生日プレゼントと一緒に娘にもとプレゼントしてくれた本。
自分ではまだ読めないけれど、興味を持って次のお話次のお話と私が読むのを聞いてくれた。
文字の多い本はまだ早いかな?と思っていたけれど、挿絵と耳から聞くお話で想像力を働かせて笑っていた。
ここまでちゃんと聞いてくれたのはとにかく話が面白いから。
こんな保育園生活が現実にあったら楽しいよね。
しげるちゃんいいキャラしてます。
おおかみと山のぼりが娘お気に入りのお話です。 -
幼い頃に読んで激しく衝撃を受けた記憶が強烈に残っている。
親の言うことを一切聞かない主人公が、「いやいやえん」という特別な保育園に連れていかれるが、そこは自分以上にわがままな子たちであふれたカオスであり、散々な目に遭うといった話だったように記憶している。
幼稚園初日、お遊戯させられるのが馬鹿馬鹿しくなり、両親を残して勝手に一人自宅に帰り、不在に気づいた親が園内を散々探して自宅に電話したら、澄まして「お父さんとお母さんは出かけています」と電話に出てのたまったという私は、未就学児の頃に読んだこの本が、怖くて怖くて仕方なかった。何度も夢でうなされた。
今にして思えば、当時の不遜なわたしは、どこかで主人公と自分を同一視して物語に入り込んでいたのだろう。
そして、子どもだからと調子に乗っていると、いつか考えることもできないほど怖いことが突きつけられるのだ、大人の一切手加減容赦のない仕打ちは本当に恐ろしいのだ、と心の深いところに埋め込まれた気がする。 -
先ほど読了した『絵本の記憶、子どもの気持ち』。
『いやいやえん』が懐かしくなり再読。
読みものですが、子どもの頃、最も親しんだ1冊でした。
うん、やっぱり大人の視点で「かわいい」と思って読んでしまう。
子どもの頃なら、主人公のしげるに腹を立てたり共感したりしていただろうな。 -
我が家の子供達の寝る前の読み聞かせ本でした
おとなしく聞いていたので、気に入っていると
ばかり 思っていたら
大きくなって「コワいお話もあった」と言われ
あれは 「固まって聞いていた」が正しい解釈と知り
大人と子供は 感性が違うのだと 痛感しました。 -
主人公は、いたずらっ子の幼稚園児しげる、ものすごく想像力をかきたてられ、おいしそうだったり、楽しそうだったり、わくわくしたり、ちょっと長めのストーリーだから何回かに分けて読める
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読む前に、なんてすばらしい表紙なのでしょう!真っ赤な色に、男の子とくま!そして、読んでみると驚きました。本当の子どもの目線から文章が書かれている!
「ほしぐみというのは、らいねん、がっこうへいくくみですから、みんないばっています。」
いくつかのお話が入っていますが、どれもおもしろいです。 -
くじらとり、ジブリ美術館で映画化されていて、改めていいなぁと思いました。
この本を読んだのはだいぶ前ですが、映像にしたら予想以上によかったので、機会があればそちらもご覧になってほしいです。 -
「ぞうとらいおんまる」なんて発想はわたしの頭からは出て来ない