- Amazon.co.jp ・本 (48ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861011726
感想・レビュー・書評
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誰もが経験したことのある、または必ずする喪失についての詩がふたつ。なくなったひとはどこにもゆかない。いつもここにいる。シンプルだけど奥が深くてしんみりと出来ました。誰かに勧めたい一冊です。
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(あとがきより)
“一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。”
うつくしい絵とうつくしい言葉が深く心を潤す作品です。 -
クリムトの樹木と花々の絵が美しく、宝物にしたい一冊です。長田さんがあとがきにも記しておられる「亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。」という意味を、大事な家族を亡くした経験とともに反芻しました。そしてこの詩はその喪失感に寄り添い、癒す力を持っているのです。美しい絵と、作者の亡くなった人へのあふれる愛情が相まって、心の奥底にしんとつわたってくる。素晴らしい詩、二篇です。
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美しい画と詩で語られる死生観に想いを巡らせていると、瞑想しているような 気持ちになる。
なんとなくハガレンの「一は全、全は一。」の言葉を思い出した。
そしてクリムトの風景画があまりに綺麗で驚いた。 -
森の沈黙はすべてが言葉
森には余計なものは何もない
死んだあとには
かなしみをもたずに この場所で会おう
人生は森の中の一日のようだったと。
愛の詩だなぁ。
生きているうちに伝えられたら、相手の反応も見られるから、もっと素晴らしいんだろうと思う。
今は森の日中かな
一つ一つの言葉を大切にしていきたい -
あとがきを読んで意味が少しわかったくらいの私の鈍さ。
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素敵すぎて言葉を失う。
文も絵もゆっくりと何度も読み返した。
なんどもなんどもひたっていたいと思いながら・・・ -
詩人は2編の詩にグスタフ・クリムトの風景画を詩の背景として選びました。クリムトの絵は「接吻」に代表されるような、金色の強い人物画という印象が強くありましたが、風景画も残しているのですね。正方形のフレーミングの中、独特な色彩の集合体として描かれています。
長田さんのあとがきに次のように書かれています。
なくなった人が後に遺していくのは、その人の生きられなかった時間でありその死者の生きられなかった時間を、ここに在る自分がこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
わたしにとってのクリムトは、誰であるよりもまず、樹木と花の、めぐりくる季節の、死と再生の画家です。
「花をもって会いにゆく」、「人生は森のなかの一日」どちらも、失われた人の遺した時間を、いま生きる自分が絆として感じなら、深く思う気持ちが満ちていました。
印象に残る1節
ことばって何だと思う?
けっしてことばにはできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。 -
長田瑞枝さんに捧げられた2編の詩集
グスタフ・クリムトの花々と樹木、森の絵画に合わせて、進んでいく。
詩ふたつ、は、死ふたつであり、志ふたつ。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人が生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。
~あとがきより~
<花を持って、会いにゆく>
「死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる」~芥子の咲く野原
「ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。」=樹下のバラ
<人生は森のなかの一日>
「森のなかでは、
すべてがことばだ。
ことばでないものはなかった。」~白樺の森
「大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい」~林檎樹Ⅱ -
大切なことに気付かせてくれる詩です。
言葉もきれいでじんわり心に届くかんじです