- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861822704
作品紹介・あらすじ
善人は弱いんだよ。善人として人に認められたいという考えは、私には全然ない。I AM WRONG.悪人で結構だ!戦前・戦中・戦後の87年間、一貫して「悪人」として日本と対峙してきた哲学者が、自らの思索の道すじを語る。
感想・レビュー・書評
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「もうろく帖」を読む。
天才の晩年。悟りの言葉のかずかず。消えていく炎。止まりかけた車。大波から凪へ。心が落ち着いていくさま。
私の心はこうなるのだろうか、と。
〇時間の味わいは年を重ねて深い
〇非凡に心をうばわれず、平凡の偉大を信じる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もう3回も読んでしまった。
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鶴見俊輔、未だ健在なことを知る。西洋哲学の難しい用語を日本人にわかりやすく翻訳してくれる魅力も健在。自分の頭で考えて人に本気で伝えようとする誠実さが伺える。
"スピノザの『エチカ』でいう、「natura naturans (ナトゥラ・ナトゥランス、能産的自然)」と「natura naturata (ナトゥラ・ナトゥラタ、所産的自然)」のちがいなんですね。つまり、つくる力とつくられた力、つくる人とつくられた人とはちがう。・・・
明治維新から1904年までは自分で明治国家を「つくる」人たちがいた。その後は明治国家でできた体制によって、「つくられた」人たちばかりになった。つくられた人は自分で考える力ははないが、学習能力はある。” -
思索
社会 -
個人的に尊敬する、とてもかっこいい老哲学者。巨星
である鶴見氏の様々な思考や哲学が全般的に書かれて
ある内容です。
少しメモラビリアの部分は、前後が分からないので
理解しにくい部分があります。
後藤新平との話。宮沢喜一氏。中井英夫氏。
若槻礼次郎氏。小田実氏との関係。丸山眞男氏。
思想の科学の仲間(軽井沢派)と戦中戦後からの
きらびやかな巨星たちとの話。
母親との葛藤。父親の批判(一番病)。
のなかで、自分が悪人であったこと。
I AM WRONG.悪人で結構だ!
悪人として戦中戦後の日本に対峙してきた思索の道筋。
最後の「私は人を殺した。人を殺すことはよくない」
の部分は圧巻だと思います。 -
断片的すぎるかもしれない。
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スマートにしなやかに、そしてかたくなに権力に向き合ってきた老哲学者・思想家が、もうろくしたと自ら言いいながら、その人生を振り返って我々に言い残すことは・・・。
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「言い残しておくこと」
彼をリスペクトし、鶴見俊輔ファンなら誰しも買わないわけにはいかないだろう。鶴見俊輔はその本人が「自分はいつ死ぬかわからない」と言ったことをいろんなところで口にしているし、彼が元気なうちに、たくさんの言葉を拾って本にしたい、というシンパが出版社の中にたくさんいることも容易に想像ができる。
私はこの本を生協で手にとって、目次を開いて速攻購入をきめ、電車に乗る時間ももどかしく開いて読んだのだ。
そして2回目を昨日読み終わった。
鶴見俊輔の著作の中でも特にエッセイや近年多い対談集などを多く読んでいる人だったら何度も聞いたことのあるエピソードが詰まっている。
私が好きなのは、たとえば「埴谷雄高の見事な所作と丸山眞男の思想史的つぶやき」という章。
彼の周りの人間(彼と同年代の戦後知識人たち)に対する観察眼はとてもおもしろくて、何度読んでも知的好奇心を刺激される。彼の本を通して、戦後思想や社会の流れを私は前よりもっと興味を持って知ろうとするようになった。
そして彼の言うエリートに対する考え方、牢屋に入った人間が偉いと思っていた、とか、一貫して共産党を指示する一方で、人間は人間を肉体的に抹殺しうるだけの正当な思想的根拠を持つことはない、だから死刑には反対だし、マルクス主義とも違う、という点にはいつも感化される。
私の鶴見俊輔熱をさらに高める作品でした。