- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862481146
作品紹介・あらすじ
人生の意味や目的は何であるのか?哲学や思想の営みとふつうの生活者の意識はなぜ乖離するのか?人間にとって死とはなぜ不条理で恐ろしく、また悲しいのか?そして、人はなぜ死ななければならないのか?このような問いは、人生の青春期において、そして中高年期においてしばしば訪れる。しかし、この実存的なテーマは老若を問わず、人生全体を視野に入れれば必然的に自らにふりかかってくるテーマである。最も今日的な生=死とは何かを生物学的還元主義と宗教的=超越的観点を排し、日常におけるふつうの人々の生き方を肯定する哲学的考察。シリーズ三部作遂に完結。
感想・レビュー・書評
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タイトル通りのテーマの本。
人は、必ず死んでしまう運命にあるのに、なぜ生きなければならないのか、という哲学的な問いかけにハイデガーやニーチェ、プラトン、パスカルなどを用いつつ考察。
超越的な世界を規定することに対して小浜さんはニーチェ同様批判的でもある。
哲学者の中島義道に対して、「生きる意味などない」と言いながら、著作でのシニカリズムは矛盾しているのではないか、哲学ではなく単なる気分をぶちまけているだけではないかという批判的な言葉を寄せている。
「哲学は役に立たない」という最近の哲学者の言葉に対して、歴史的にみると哲学は万学の基礎であったと切り返す方向性は私もそう思った。
ただ、本書は宗教書や人生哲学のように、「生きる意味」「死ぬ意味」の答えは与えてくれません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
死を知ることによって、生を知るからだそうだ。
死の概念を持つこと自体が、人間が社会と文化を造り上げたことの動機であるし、それ自体が人間が人間たる条件でもある。みたいな。 -
意識無意識の問題と、人が死んで悲しいのは自分の中にある共同体としての他者がいなくなることでその一体感がなくなり云々。小浜逸郎はうちの近くにある国士舘大学の人らしい。この人の本は結構好き。大学1年の時に読んだ「弱者とは誰か」(っていうタイトルだったと思う)も良かった。