- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784865640656
作品紹介・あらすじ
私たちは死を怖れる。死を避け、先延ばしする。しかし死は誰にでも、必ず訪れる。そして、死を経験した人は、誰もいない。死とは何か。誰も知らず、しかし誰もが怖れる。2500年前、ブッダは死の正体を見破った。その正体とは、何か-
感想・レビュー・書評
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仏教哲学は深くて静か。人類の叡智。
本書を読んで思い出したのが、佐野洋子さんの「人生に意味はないが、死ぬまで生きなきゃならない」という趣旨の言葉と、谷川俊太郎さんの「死ぬのが楽しみ。どうなるんだろうっていう好奇心がある」という趣旨の言葉。
そういえばこのお二人は元夫婦だ。
どちらの言葉にも共感するけれど、子供達が大人になるまでは元気に生きていたい。仏教的には執着なのだろうけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第一章 ネルケ無方師 曹洞宗
生死の問題を、カードゲームに例え、数学的に捉える。でもその背景には自らの生い立ちや個人経験が背後にある。『正法眼蔵』の中にある真宗の他力本願に通ずるフレーズの引用があり違いがわかって面白い。
第二章 プラユキ・ナラテボー タイ仏教
ルアンポー師の死にゆく姿から学んだこと。
三つの死:肉体の死、十二因縁からの解放=自我の死、不放逸(今ここを生きない)の人としての死
タイ仏教をあまり知らなかったが、これを読んで実践と言うことについて考えさせられた。
第三章 釈徹宗師 浄土真宗本願寺派
「物語としての宗教」。物語に委ねると救われる。死に至るまでの「往生伝」が好まれる日本。来世や、死後の世界のブームなども織り交ぜながら、「死で終わらない物語」を求める現代人について書く。あまり真宗色がない気がした。
第四章 南直哉師 曹洞宗
死のわからなさがどうしてそうなるのかの説明がすごくいい。死体、死者など、言葉の定義もいい。なぜ生きているのかという問いも、人間が意味に対して持つ欲望から説明している。「納得」が欲しい我々。
「死をめがけて生きていくテクニック」というところは一度読んでほしいなあ。
第五章 アルボムッレ・スマナサーラ師 テーラワーダ
死について人間が語ることは出来ないので、たいしたことは言えないという。脳の機能から見た生きるということと死ぬということ。人間という全体から、細胞というミクロまで。
”人間のすべての悩み苦しみは、事前法則に逆らおうとするところから起こるのです。事前法則だから、放っておけばよいのです。”
「死」というテーマに絞っているため、各章執筆者の僧侶のみなさんの見方がしっかり伝わってきて面白い本だった。個人的には第四章の南師はとても興味深い内容だった。
生死の問題というのは、真宗にとっても大事なテーマなので、仏教という大きなくくりの中で、僧侶の方がどのように考えていらっしゃるのかがわかるというとてもお得な企画の本だと思う。 -
「死の正体は、わかりません。」というのが結論。しかし、逆に死後はこうなる、ああなると言われるよりもはるかに説得力がある。5人の著者が全く異なった視点から、生と死について語るのはなかなかおもしろかった(XYグラフ、ほっとけばいい、etc.)。ただし、それぞれの著作をいくつか読まれている方には、新鮮味はないかも。