イン・ザ・ミソスープ (幻冬舎文庫 む 1-9)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877286330

感想・レビュー・書評

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  • 村上龍さんの作品は初めて。
    カンブリア宮殿の人と同一人物と知ったのも
    少し前…笑
    1年くらい前に買ってたのを1日かけて読んだ。

    これは本当に同じ日本なのか、と思って
    いかに自分が平和ボケしているなぁって…笑
    読んでて感じた攻撃性や不気味という感覚が
    社会の風潮やメッセージを強く感じた。

    10代のときのほうが、こういう本を欲してた
    気がするのは青年期特有の脆さや凶器とか
    あったからなのかなあ。それとも今の
    自分のメンタルが落ち着いてないのか笑
    コロナの緊急事態宣言が終わったら
    もう一度読み直してみよう!

    でも、その時代の流れを掴むのにいい気がする。

    かなり残虐性が描かれているし、気持ちを抉られた
    感覚もする中で、他者とのコミュニケーション、
    生きることに対してもっと考えろという、訴えも
    感じて考えさせられた。

    フランクがホラー映画が好きな人は刺激を欲しがり、安心したいんだ。どきどきする映画が終わって自分や世界が依存としてちゃんと存在していることで安心する。と言っていて、なるほどなあと。

    あと想像力の話でポジティブに発揮されれば
    芸術や科学を生む、ネガティブに発揮されると
    恐怖や不安、憎悪という形になり自身に返って
    くると…。そういうネガティブな感情も活きる
    前向きさが欲しいと思った!
    自分は危険回避が出来たり
    ネガティブって悪いことじゃないと思ってて
    だけど前向きには生きたい。


  • すっかりはまってしまった村上龍作品。相変わらず文章から目をそらしたくなるくらいどろどろな描写がすごかった。これまでもいくつか著者の本は読んだけれども、欧米諸国との"普通"の感覚の違いとか、地理的にも歴史的にも閉じた国にであることをいつも痛感させられる。だからといってアメリカの"普通"がいつも正しいわけではないし、欧米の考え方を丸ごと持ってくるのは違うと思うけど、やっぱりもっと本質的なことを考えることは必要だと思った。今の日本は見栄とかそれこそ煩悩(もっとも、より程度の低いものである気はするけど)みたいなものに憑りつかれている気がする。
    あと、どうしてホームレスは嫌な匂いがして赤ちゃんは頬ずりしたくなるのは全世界で共通なのか、というところは印象的だった。

  • グロテスクな描写もけっこうあるサイコホラー。
    「キッチン」の直後に読んだから落差がすごかった。笑

    これ昔一度読んだのだけど(手元になかったからたぶん図書館で借りて)こないだある人と本の話題になったとき、その人が村上龍が大好きって言ったのをきっかけに思い出して強烈に読みたくなったから今度は買った。
    グロテスクなのってあんまり得意じゃないから、読んでる途中かるく後悔しつつ(笑)、でも先が気になって一気に読んだ。
    ほんのりだけどミステリ要素もあり?

    合法ではない夜の性風俗ガイドをしているケンジに、アメリカ人のフランクという男から依頼が入る。
    実際会ったフランクの顔は奇妙な肌に包まれていて、時折ぞっとするような恐ろしい表情を見せる。その顔は、売春をしていた女子高生が手足と首を切断されて歌舞伎町のゴミ捨て場に捨てられていたという事件の記事を、ケンジに思い起こさせ…。

    ネタバレになっちゃうからあんまり内容は書けないけれど、日本は平和な国なのだということを改めて思った。
    ものすごく貧しい環境じゃない限りは強い意志や目的を持たなくても何となく生きていけるし、何かひとつの宗教を強く信じるお国柄でもない。
    そういう“何でも受け入れて”“ぬるい”ところが、そうではない国で育って苦労している人から見たら許しがたく映るかもしれない。
    自分自身もきっとそうだと思う。多少の苦労はあれど、明日生きるか死ぬか、というほどの思いは、今のところしていなくて、確実に平和ボケしているだろうから。
    フランクと中南米の女とのエピソード、そしてフランクの独白の言葉たちは、心に深く刺さった。

    グロテスクな描写も、印象的な言葉も、妙に後に引きずる小説。
    “問題作”と言われたのも頷ける。

  • またまた身体破損系の作品を読んでしまった。
    どうしても、こういうのは苦手だ。

    例えば世間の評価に自分をあわせ、自分の価値観、自分の思想、自分の生き様などにみじんも勝ちを見いだそうとしない現在の日本人に何か物申そうとした場合、こういう方向からアプローチしないと通じないものなの?
    それほどの絶望を自分は感じておりますという、作者の自己憐憫なの?

    平和ボケで生ぬるい日本はダメだという論調。
    だけど、平和ボケで真剣に生きなくても生き延びることができる世の中と、常に死と隣り合わせで真剣に生きようと思ったところで簡単に命が失われていく世の中とを比べた場合、圧倒的に後者が正解といえるのだろうか。

    『北風と太陽』。
    紀元前6世紀の奴隷が作った有名なこの作品を知ってなお、北風のような手段で自分の主張を納得させようとする人がいることが残念だ。
    自分からは絶対に選ばない村上龍作品。
    だけどたまに当たりがあるから悩ましい。
    でもこの作品を当たりとは言いたくない。

  • 殺し屋を扱った小説は多いが、村上龍のものの薄気味悪さは格別。

  • 3.9

    2作目の村上龍。没頭して読み進めちゃう。
    主人公の脳内で展開される情報を言葉にする能力、高すぎる。

  • 得体の知れない不快感と恐怖。
    それは村上龍にしか描けない世界だと思った。

    メッセージ性が強すぎて脳が痺れる。

    我々日本人は味噌汁を何の迷いもなく啜る。中身の具材を全て当たり前のようにたいらげる。
    だけれども、フランクに言わせればミソ・スープは「匂いとか、変だった」し、「色が奇妙なブラウンで、まるで人間の汗のような匂いがする」のに「見た感じが、どこか妙に洗練されていて上品」だという。

    この違いはそのまま日本という国を内から見るか外から見るかの違いを表しているとおもう。

  • 面白かった。"こういう"小説を求めていると思った。最近の社会の−マスメディアやネットを含む−小さな違和感、そんなものの積み重ねで感じる鬱憤、それに名前をつけて表現してくれたような。そしてあとがきには「小説は翻訳である」と。宣言通りの役目を果たす、訴求性の強く分かりやすい小説は意外に少ない。
    作中フランクの語る"日本"論は、遠藤周作の『沈黙』が思い出された。侵略のない歴史、神の不在、それ故の、他国の「神」をも呑み込む集団の力。にも関わらず一体感を亡くした、ぬるま湯(≒ミソスープ)の中で退化した現代の日本人。一体感を亡くしているのに、退化しているのに、「集団のプレッシャー」と「無関心」を以て他者を"攻撃"する、「ぬいぐるみのようにおがくずとかビニールの切れ端がつまっている」日本人。執筆時と今現在を比べるに、匿名性の加わった「集団のプレッシャー」、個別化の進行が育んだ「無関心」が際立っているのは明らかで、そこに(その「ぬいぐるみ」の一員として)大きな不安も感じてしまう。ミソスープの中の野菜くずは存在感こそあれ、すぐに沈殿してしまうミソの浮遊物ばかりで良いのだろうか、と。かといってミソスープがミソから成っているのも紛れもない事実で、どうすべきとかどのようにあるべきかとかまでは考えが及ばないのだが。
    少なくともここ最近の、誰もが「個々の都合だけで」「想像力なく」「適当な仕事をする」という、様々な惨状を見ていて、そうして感じていた「悲鳴」が翻訳されて、少し溜飲を下げた。

  • 怖い、というのが率直な感想。本旨としては、自分の意思を示すことをせず(またはできない)、右へ倣えの国民性に対して警鐘を鳴らしているのかなと感じた。作中では、内容のないことばかりを言うような人物が次々と凄惨な殺され方をする。自分の意思を伝えることができないと、現実では殺されることはもちろんないけれども、周りからどんどん見捨てられていくことになっていくのかなと思った。
    時代背景が少し昔なので、今とは随分価値観がかわっているけれども、現代にも十分響く作品だと思う。
    改めて、自分の価値観や考えを大事にしようと思う。

  • 年末になるとなんだか無性に読みたくなる。

    近未来っぽくて、作品全体を覆う孤独なトーンは個人のツボに大いにはまる。
    余計な装飾を省いたミニマムな文章の中に、村上龍のメッセージがそことなく差し込まれる。
    主人公の生き方自体に、作者のメッセージなり価値観が含まれていると個人的に感じる。

    連載時に議論された「神戸連続児童殺傷事件」とかの比較は個人的にはどうでもいい。
    映画化にあたって、ヴィム・ヴェンダースがメガホンを取るそうだが、コンセプトは何なのか、
    舞台となる街はどこで、それをどのように描くのかなど興味はつきない。

  • 幾つか読んだ作品の中では、読みやすくて、わかりやすい。人間性の本質的煩悩の存在。あらゆる悪意に出くわしたときに、迎合主義を否定して対峙できる強固なアイデンティティーを持ってないと、単なるアメリカ人モドキになっちゃうんだね。

    個人的には、アムロを小声で歌う三番の娘は生かしておいて欲しかった...

  • 文章に緊張感があり、ストーリーは簡易だが読み進めるのにややエネルギーが必要。村上龍らしいグロ描写も顕在で逆に安心。

  •  三日間、主人公ケンジと謎のアメリカ人フランクは、冬の東京を駆け巡る。この物語は歌舞伎町を舞台としており、夜の街のイメージが読むうちに膨らんでいく。まるで二人と共に歌舞伎町を楽しむかのように。しかしその一方で、本作は全体的に暗い雰囲気が終盤まで続いており、特に第二部では、ショッキングな描写が数ページにわたって展開されている。そのため、本作はグロテスクな描写が苦手な人は避けたほうがいいかもしれない。
     また本作のメッセージについてだが、これは本作に収録されている河合隼雄の解説を読むと何となくわかる。どうやら現代の日本に対する警告、もっと言えば平和ボケする日本人に、著者は注意を促したかったのではないかと思われる。

  • 深い

  • とにかく不気味。得体のしれないということがここまで恐怖を煽るのかと。ハラハラする展開で集中して読めた。
    物語として面白い一方で小説の中に内在するメッセージ性も注目である。主人公のケンジは20歳の青年だがやけに老成している。というのも村上龍の思想が彼に投影されているからなのだろう。ケンジというキャラクターを通して伝えられているメッセージを見てみるのも面白いと感じた。
    ※そうはいっても難しいのは否めない

  • 初めて文章で「うわキモいな、グロいな、」
    気分悪くなりますた
    お話自体は一級品なので是非是非です

  • 記録

  • こわ

  • 面白かったが、ちょっと期待しすぎたかも。
    グロいとか胸糞と聞いてたが普通だった。

    援交とか、安室とか時代を感じた笑

  • 謎の外人フランクとの濃密な3日間。読みやすくて一気読み。村上龍が描く人殺しシーンは本当に印象に残る。お見合いパブのところ。

著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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