定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)
- 書籍工房早山 (2007年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
- / ISBN・EAN: 9784886115089
感想・レビュー・書評
-
今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々がみずからの命を投げ出そうとしたということにある。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
増補版で、最後に各国で翻訳された成り行きが書かれてあり、他の国はまじめにやってるのに韓国は初版時は海賊版で翻訳の質も悪く、翻訳権を得た新版の表紙がワールドカップの韓国人サポーターの派手な写真というのが個人的には出来すぎなオチだった。
メモ「ナショナリズムのほとんど病理的ともいえる性格、すなわち、ナショナリズムが他者への恐怖と憎悪に根ざしており、人種主義とあい通ずるものである、と主張するのが進歩的、コスモポリタン的知識人のあいだで(それともこれはヨーロッパの知識人に限ってのことなのだろうか)、かくも一般的となっている今日のような時代にあっては、我々はまず、国民(ネーション)は愛を、それもしばしば心からの自己犠牲的な愛をよび起すということを思い起こしておく必要がある。ナショナリズムの文化的産物―詩、小説、音楽、造形美術―は、この愛を、さまざまの無数の形式とスタイルによって非常にはっきりと表現している。その一方、これに相当するような恐怖と嫌悪を表現するナショナリズムの文化的産物を見出すことのいかにまれなことか。植民地化された人々においてすら、かれらには帝国主義支配者に対し憎しみをいだくあらゆる理由があるにもかかわらず、驚くべきことに、この憎しみの要素はかれらの国民的感情の表現においてまるで重要性をもたない」「国民を、歴史的宿命性、そして言語によって想像された共同体と見れば、国民は同時に開かれかつ閉ざされたものとして立ち現れる―――ひとが他者の言語に入っていくことを制限するのは、他者の言語に入っていけないからではなく、人生には限りがあるからである。こうして、すべての言語は一定のプライバシーをもつことになる」「ことの真相は、ナショナリズムが歴史的運命の言語で考えるのに対し、人種主義は、歴史の外にあって、ときの初めから限りなく続いてきた、忌まわしい交接によって伝染する永遠の汚染を夢みることにある」