チェーホフ小説選

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (699ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891765286

作品紹介・あらすじ

出世作「おかかえ猟師」から最後の作品「いいなずけ」まで、時代を越えて世界中で愛されている小説の代表作・傑作全29編収録。

感想・レビュー・書評

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  • 短篇29篇を収録。
    チェーホフは戯曲を少しだけ読んだことがあったものの、小説のほうは初読だったが、ビターなテイストが堪らない。
    癖になりそうだ。
    沼野先生のチェーホフ論『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』も、読んでみたい。/


    「ふさぎの虫」:
    息子の死のことを誰かに聞いてもらいたいが、誰にも聞いてはもらえぬ辻橇屋の老人。ラストは、フローベールの「純な人」を思い出す。/


    「アガーフィヤ」:
    ゴンチャロフの『オブローモフ』を待つまでもなく、いきなりなまけもののサーフカの登場だ。ひょっとして、ロシアにはこういう輩が沢山いて、曲がりなりにも市民権を得ていたりするのだろうか?/


    「聖夜」:
    【「(前段略)奇跡者ニコライの讃美歌は、(略)こういうぐあいです。(略)肝心なのは聖者伝でもなく、他の讃美歌との調和でもなく、美しさ、快さにあるのですからね。すべてが端正に、簡潔に、しかも綿密でなければならない。どの行にも、しなやかさ、やさしさ、やわらかさがなくてはならず、どの言葉も、ぞんざいな、粗い、そぐわないものであってはならない。祈りをあげる者が思わず心で喜び、悲しみ、理性で震えおののくように書かなくてはならない。(以下略)」】/

    この部分、僕には、まるでチェーホフ先生の創作術を語っているようにも聞こえる。
    もちろん、チェーホフ先生がこんなに最初から種明かしをするはずもないのだが。/


    「敵」:
    【不幸な人間たちは、エゴイスチックで、悪意がこもっていて、不公平で酷薄で、愚か者にもまして互いを理解しあう力に欠けているものだ。不幸は人を結びつけるどころか、むしろ離反させるもので、同じような悲しみで結ばれなければならぬときでさえ、比較的満ち足りた人びとのあいだでよりも、はるかに多くの不公平や残酷なことがおこなわれるものだ。】/

    ぼんやり読んでいると、突然、この文章が僕を刺した。なんだか身に覚えがあるのだ。/


    「曠野」:
    ロシアの曠野を描くチェーホフの筆のやわらかさ。ロシアの自然に対するチェーホフの愛を感じる。/

    【(前段略)たちまち広い平野全体が朝のほのぐらさをかなぐり捨てて、にこりとほほえみ、朝露をきらめかせた。
    刈りとられた裸麦、丈の高い雑草、たかとうだい、野生の麻ーー暑さのために黒ずみ、赤茶け、枯れかけていたあらゆるものが、いまや朝露に洗われ、陽に愛撫されて、ふたたび咲きだそうとしてよみがえった。街道の上には海雀が楽しげに鳴きながら飛びかい、くさむらでは畑栗鼠(はたりす)が鳴きかわし、どこか遠く左のほうで田鳧(たげり)が鳴いていた。馬車に驚いた鷓鴣(しゃこ)の群れが羽ばたいて飛びたち、「トゥルー」というやさしい声をたてながら丘のほうへ飛んで行く。きりぎりす、こおろぎ、かみきりむし、けらなどが、くさむらで軋むような単調な音楽を奏ではじめた。】/

    作中に「小ロシア人」、「大ロシア人」という言葉が登場する。
    「小ロシア」というのは、ウィキペディアによると、ウクライナの旧称のようだ。
    どうも人間という奴は、太古の昔から獣たちと全く同じ様に、大きいものが小さいものを捕食して生き長らえているようだ。
    もちろん、ミュンヘン会談からわが国の小学校の教室に至るまで遍く立ちこめた空気を見れば明らかなように、周りのものはみな高みの見物を決め込むに違いない。/


    「退屈な話」:
    【「どうもこのハリコフの町はきらいだね」と、わたしが口を切る。「あんまり灰いろすぎるよ。なんだか灰いろの町だね」】/


    「六号室」:
    ある精神科病院の院長の話。俗世間に嫌悪感を抱いていた院長は、ある日、六号室の一人の患者と議論し、彼の知性に感嘆する。いつしか、院長は彼の病室に
    入り浸るようになる。
    極めて興味深い。魅入られるように読んだ。/

    【この地上に、その根源に醜いものを持たぬような美しいものは何ひとつありえないのだ。】/


    「ロスチャイルドのヴァイオリン」:
    どこか井伏鱒二『山椒魚』を思わせる愛すべき小品。/


    「谷間」:
    村で食料品店を営む老人には二人の息子がいる。
    長男は警察に勤めていて普段家にはおらず、耳の遠い次男が店を手伝っている。
    次男の嫁は器量良しで働き者、おまけに商才まである。
    その後、老人も器量良しの朗らかな女を後添えにもらう。
    やがて、長男にも嫁をということになり、貧しい家からやはり器量良しの娘を嫁にもらう。
    その結婚式の日から物語は暗転する。
    この短篇集の中では、「六号室」と並んで、異彩を放つほど陰惨な物語。
    だが、それゆえに引き込まれてしまって、目を離すことができない。
    でも、そこはチェーホフ、そんな物語にあってさえ、ラストには一条の光を感じる。/

  • ■書店に、チェーホフ全集が並ばなくなって久しい。「六号室」「かわいい女」「犬をつれた奥さん」など、後期の傑作は文庫で読める。戯曲の人気は相変わらずで、これもまた文庫で手に入る。文学全集やアンソロジーに所収されているものも探せば数ある。でも、それだけでは短編作家チェーホフの魅力、多面性を味わえないし、とにかく、彼の残したたくさんの宝物が眠ったままでいるのは、あまりに惜しい。
    ■池田健太郎、神西清、原卓也共訳の中央公論社の全集では短篇が507本読める。筑摩の松下裕個人訳で127 本。どちらも残念ながら古本屋でしかお目にかかれない。だからこそ、この松下訳の「チェーホフ小説選」はありがたい。今、チェーホフの短篇に出会うにはいちばんの近道だろう。編者も、宝物の山から所収の29篇に絞りこむには、ずいぶん迷われたに違いない。
    ■本の扉を開くと、いろんな人たちと出会うことになる。生まれて、生きて、死んでいく……そんな同じ運命の、読書する「わたし」と同じ、人間たち。
    結婚はしても、一生分かりあうことのない男と女がいる(おかかえ猟師)。息子を亡くしてふさぎの虫にとりつかれても、話し相手のいない辻橇屋がいる(ふさぎの虫)。夫より愛する男を夜毎訪ねて自分を埋める女がいる。(アガーフィア)。人生に輝きを与えてくれたたった一人の友人を亡くした男がいれば(聖夜)、息子をみとったばかりの医者は往診を頼まれて小さな亡骸を残し出かけていく(敵)。奉公先の辛さといじめに堪えきれずに、幼い子が配達されない手紙を書く(ワーニカ)。良識ある父親は、息子にタバコをどう言ってやめさせようかと悩み(家庭で)、老人は埋蔵されたままの宝物を語り(幸福)、牧夫は自然の中での定点観察から、人間と世界の終わりを語る(牧笛)。ひと間違いでキスされたことだけで、人生が違って見えてくる青年将校(くちづけ)。自閉して、周囲の変化や規則の逸脱を恐れる男(箱にはいった男)。自分の領地を持つという夢にとりつかれた役人(すぐり)。ある少年は、現実からアメリカへ脱走しようとし(少年たち)、ある少年は、大人への通過儀礼のように、曠野を荷馬車で旅をする(曠野)。自他ともに認める上出来の人生でも、その終焉を孤独と諦観で迎える人もいれば(退屈な話)、失敗の人生に気づいたときにはもう生き直せない、そんな哀しみに暮れる人もいる(ロスチャイルドのヴァイオリン)。
     チェーホフの描いた人間たちは、みんな懸命に生きている。十九世紀ロシアに生きる彼らは、二十一世紀日本に生きるわたしたちとほぼ変わりなく生きている。そして、彼らを見つめるチェーホフの眼は、限りなく優しい。シニカルなペシミストと思われがちな作家だが、それは真っ直ぐに世界を映したからだ。人生というものが、時として優しくないだけのこと。無数の生きる喜びの裏には無数の生きる哀しみがひそんでいるのだ。
    ■松下氏の翻訳は、平明でとても読みやすい。伝統的に漢語が多くて固いロシア文学翻訳文体から一足飛びに現代語になっている。逆にそこに物足りなさを感じる向きもあるだろうが、まずは読みやすいに越したことはない。それでなくても、ロシア人の長かったり愛称がたくさんあったりする名前だけで、最初はとっつきにくいのだから。
     選り抜かれた短篇たちは、執筆順に並んでいる。20歳でデビューした彼の25歳の作品「おかかえ猟師」からではあるが、頭から読んでいけば、作家の変化も十分に感じ取れるだろう。「六号室」「中二階のある部屋」や「谷間」などの有名な作品の世界も、作家の足跡を追うことで、新しい光を放つかもしれない。そして、もしかしたら、もっとたくさんのチェーホフに出会い

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著者プロフィール

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860~1904)
1860年、南ロシアの町タガンローグで雑貨商の三男として生まれる。
1879年にモスクワ大学医学部に入学し、勉学のかたわら一家を養うためにユーモア小説を書く。
1888年に中篇小説『曠野』を書いたころから本格的な文学作品を書きはじめる。
1890年にサハリン島の流刑地の実情を調査し、その見聞を『サハリン島』にまとめる。『犬を連れた奥さん』『六号室』など短篇・中篇の名手であるが、1890年代末以降、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座と繋がりをもち、『かもめ』『桜の園』など演劇界に革新をもたらした四大劇を発表する。持病の結核のため1904年、44歳の若さで亡くなるが、人間の無気力、矛盾、俗物性などを描き出す彼の作品はいまも世界じゅうで読まれ上演されている。

「2020年 『[新訳] 桜の園』 で使われていた紹介文から引用しています。」

アントン・チェーホフの作品

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