未来のコミューン──家、家族、共存のかたち

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784900997738

作品紹介・あらすじ

民俗学者・柳田国男が描いた家の事件をプロローグに、初源的な家の構成があらゆる住居に現れるプロセスを解明し、さらに近代的設備に内在する家の新たな神話体系を描いた原論である第一部。建築家アドルフ・ロースの装飾−身体制度論に端を発し、近代住宅デザインに込められた文明的課題を解剖、摘出した展開編の第二部。その後半から第三部にかけて、資本主義下における人間の労働と自発的活動との桎梏に目を向け、近代的共同体にまつわるめくるめくプロファイリングが始まる。共同体への希求がディストピアを招く近未来小説、アメリカの宗教的コミューンが巻き起こした事件の意味解明、1970年代に精神医学者R・D・レインらが実践した反治療組織・キングズレイ・ホールの実証的復原とその批判。本書最終部では、病を社会との不適合による移行的状態ととらえ、病が持つ社会への働きかけの可能性を逆に検討する。「病」の共同の場としての家の再創造を検討し、その思考は新たな社会のヴィジョンを示唆するに至る。エピローグではコミュニティ・ホーム「べてぶくろ」(東京池袋のべてるの家)での共同的家改修の試みに日常での確かな希望が託される。今和次郎、エンゲルス、シェーカー教、アーレント、クリストファー・アレグザンダーらを導きの糸に、著者の年来の営みが総括され、徹底した思考を家に向かってたたみかけた話題作。

感想・レビュー・書評

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  • 以前読んだ中谷先生の本もそうなのだが、腹落ちするまで理解するには、少しコトバが足りない。もう少し説明してもいいのでは?各章に、あと0.25章足すといい感じかも。

  • ●歴史的に見て、家が住むためだけの場所になったのは近代以降のことです。以前は、仕事の場所であり、祭礼その他すべての場所でした。奉公人などの他人もいました。それが住むためだけの場になってから、家は「家族を容れるハコ」となりました。裏返せば、家に住んでいる人々のことを家族と呼ぶと考えても構いません。…上野千鶴子

  • (01)
    胆力を感じる。
    内臓というモチーフがある。人間に厄介にも備わるこの内的器官は、本書のなかでのちに、性、裸体とモード、また精神外科といった内臓のコンテクストともいうべき周囲の事態にまで展開していく。が、当面は、プロローグの柳田国男の例の事件現場として「家の口」が開かれ、第1章「白の家」の黒い戸へと読者は導かれ内臓への探索がはじまる。「奥さん」が「ナンド」と連結され、ここからインドネシアの「生きている家」の内部の三層構成に出会う。ここで読者は、著者が本書で日本列島の家屋や家族のみを対象とした課題に取り組んでいるわけではないことを知る。
    途中、もちろん、白井晟一の便に関するちょっと可笑しなエピソードや上野千鶴子氏の鋭い舌鋒にも応接することになり、エピローグでは池袋での建築的な実践に出口を見出すことになるが、柳田の家の入口からこの池袋の庭の出口まで、ワールドな世界の(あるいは世界性の)近代と、そこにあった絶望的なまでの家と家族に、重く暗く対峙しなければならない。

    (02)
    本書の時間軸としてはもっとも未来的な、フォード歴が採用されたハクスレーの「すばらしい新世界」では、エンゲルスの性愛ユートピアやハワードの田園都市の先にある都市の姿が上空から俯瞰される。しかし、本書の切迫さ、あるいは魂がシェイクされ身を切られるような切実さは、遠い事象たちへの俯瞰によってえられるものではない。
    登場する家族たち、ナンドの奥さん、機織の鶴、三びきの子ブタ、水着姿のアドルフ・ロースと詩人とダンサー、ヴィクトリア朝のプロレタリアート、γδυなどの各階級の人間、新大陸のコミューンのファミリーやウッドストックのヒッピーたち、キングズレイ・ホールの居住者と滞在者たちは、とりもなおさず私たちの隣人たちであり、その家族たちへの視線は、憑依的でもあり、当事者的でもあり、家という機械の内部からのドメスティックな視線や身体からの記述によって、近代と家族の課題に肉迫している。
    回路というユニークな言い回しが、腑に落ちるのもそのためかもしれない。

    (03)
    とはいえ、希望がないではない。少なくとも、本書は近代と家族とのありように触れ、その感触を記録している。この感触は、読者のたちの世界にも歴としてある。家は、象徴でも機能でもあるが、わたしたちが未来を改造できる可能性と可能性の範囲にあるかたちのことを、「家」というのかもしれないと感じた。とすれば、本書は、その可能の範囲を手探りで示している。

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著者プロフィール

1965年生まれ。歴史工学家。早稲田大学理工学術院建築学科教授。

「2015年 『応答 漂うモダニズム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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