- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784905327134
作品紹介・あらすじ
「月に一夜でも、〈暗闇の思想〉に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、ひえびえとするまで思惟してみようではないか—」東大入学式講演、「暗闇の思想 1991」ほか、ひとりの生活者として発言・行動しつづけた記録文学者が、今改めて私たちに問いかける。
感想・レビュー・書評
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2004年に世を去った記録文学者(一般には「ノンフィクション作家」として紹介されるが、松下は「記録文学」という呼称にこだわりつづけた)の著者が、生前に行った7つの代表的講演を文章化した本。
巻頭に、著者が1972年に『朝日新聞』に寄せた随筆「暗闇の思想」が再録されている。
この随筆は、著者が発電所建設反対運動をつづけるにあたっての基本姿勢を表明したもの。ここに提唱される「暗闇の思想」は、本書に収められた7編の講演をつらぬく思想といってもよい。
「暗闇の思想」の印象的な一節を引く。
《だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ。》
《まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破られねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。
冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一度でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。》
いまから40年前に書かれたこの随筆が、福島第一原発の事故後、再び光彩を放ち始めた。半生をかけて発電所建設反対運動・環境権裁判を闘い、反戦・反核・反原発をつらぬいたこの気骨の作家の、再評価の機運が高まってきたのだ。
収められた講演は、反原発についてだけ語られているわけではない。
講談社ノンフィクション賞を得た『ルイズ――父に貰いし名は』の主人公・伊藤ルイ(大杉栄・伊藤野枝の遺児)を語った講演もあれば、『峠に拠る』の舞台裏を通じて著者の記録文学に対する姿勢を語った「私はなぜ記録文学を書くか」という講演もある。
どの講演にも、著者のしなやかな反骨精神、“文は売っても魂は売らぬ”文学者としての矜持が横溢し、さわやかな感動を与える。
心にしみる言葉が随所にある。以下、そのいくつかを引用する。
《我々は、本当に一人ひとり、無力を極めております。ことに、兵器とか軍とか強大なものの前では、まことに惨めなほど無力であります。ともすれば、そういう自分の弱さに負けそうになります。そういう自分の弱さとの闘いが私たちの闘いでなければならないと思います。》
著者の記録文学をめぐって問題が起こり、関係者から絶版を迫られた際、師匠の上野英信から言われたという言葉――。
《「そんなことでうろたえるなら、初めからモノを書くな。自分は地底で働く荒くれ男たちのことをずっと書き続けてきた。何か書くたびに、炭鉱夫が酒を飲んでドスを持って乗り込んでくる。てめぇ、また俺のことを書いたな、と言って枕元にグサリと突き刺す。そうした修羅場をさんざんくぐり抜けてきた。まかり間違えば刺し殺される、そういう覚悟でモノを書け。そうでないなら書くな」》
伊藤ルイがさまざまな集まりに呼ばれた際、子どもを抱えた主婦などから「このまま家庭に埋没していてはいけない、何かしたいと思うんだけど、今の家庭状況では全く動けません。私はどうしたらいいんでしょう」と聞かれると、次のように答えるのが常だったという。
《「今はお手上げとしても、あなたの今の怒りや悲しみや憤り、つらさ、そういうものをいっぱい貯め込みなさい。それがいつか弾ける日が来ます。爆発する日が来ます。いかにたくさん貯め込んだかということが、その爆発の大きな基盤になるんです」》詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて現代日本史というものを強く意識しました。もっと正しく言うなら,高度経済成長期と共に生じた市民運動に関わった人の生き様を知りたい,それが今を生きる糧になるかと。そして恐らく「思想」というものが,やはり「内的なエンジン」になるのではないかと。1990年前後の講演ですが改めて震災後に出版されたこの本,良書です。