- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907188207
感想・レビュー・書評
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朝日新聞が発表した平成の30冊で何と4位に選ばれた著書。読んでみたが、以下の下り以外は、教養のない自分にはまったく意味が分からなかった。
けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性や一回性に対する態度にあるからである。最善説の支持者はこの現実に「まちがい」はないと考える。すべての苦しみや悲しみに意味があると考える。批判者はそうではないと考える。なんの意味もなく、無駄に苦しめられ殺されるひともいると考える。重要なのはその対立である。
したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。それがカントの言いたかったことではないか。
それもまた、二十一世紀のいま現実に起きていることである。国際社会が「ならずもの国家」を指定し、テロリストを生みだしている裏側で、世界は膨大な数の観光客を送り出してもいる。彼ら観光客は必ずしも「共和国」から来るとはかぎらない。中国もロシアも中東諸国も、西欧の基準では成熟した国家と言えないかもしれず、それゆえ国家としては、永遠平和設立のための国家連合には加えてもらえないかもしれない。
けれども、それらの国の市民も、観光客としては世界中を闊歩しており、そしてそのかぎりで祖国の体制とは無関係に平和に貢献している。実際、日本と中国あるいは韓国との関係はつねに深刻な政治的問題を抱えているが、相互に行き来する大量の観光客によって、関係悪化はかなり抑止されている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
イーロンマスクはフョードロフ主義
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古典哲学の要約がすばらしい。断章も非常に興味深い。草稿の完成を祈ります。
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読後の率直な感想として、哲学の限界と弱点に対して徹底的に向き合って、哲学書として哲学的なアプローチで真っ向から乗り越えようとしている姿勢を強く感じた。20年以上も人文・哲学のジャンルで戦ってきたから東さんだからこその、使命を感じた。
本書の中でも触れられている通り、しばしば人文・哲学の言葉は抽象的な魔法のような言葉で、具体性を持つことなく完結してしまう。マルチチュードの概念も、反体制的な抵抗運動を指す言葉であり、デモのように強い政治性を持つ活動を行わなくとも連帯される(!)というような理想的な概念である。しかしその実は、否定神学的で具体性はなく、声を上げればネットの力でなんとかなるレベルの議論しかされていない。
そうした人文・哲学の所作をアップデートするために、①郵便的マルチチュードという概念を導入し(少し哲学の所作を超えられてない気がする)②哲学的な概念に数学的な裏付けを試みている。
特に、②は二層構造の数学的な裏付けとして位置づけているところは面白い。抽象的な哲学に対して、具体的な数学を取り入れて、なんとか哲学的な思考に具体的なロジックを担保しようとするアプローチは胸を打つ(逆に数学に社会的な哲学的な意味をもたせるという視点も共感)
しかし、同時に哲学の所作を乗り越えることが極めて困難であることの葛藤もひしひしと感じた。
本書の中でも、
・ソーカル事件に触れながら、数学を自己流による解釈で概念だけ抽出し誤った疑似科学になっていりうリスクがあると指摘していたり(実際、ソーカル的ではないと立証するに至っていないように見える)
・実際に②の数学的なアプローチも具体的に論証しきれていないとしていたり
・観光客が誤配のようなコミュニケーション(現地人と話すなど)をすれば、それが即すなわち反体制的なマルチチュードになるかといえばそうでないとしていたり、
・それに対して、本書の位置づけはあくまで草案であり、具体的な議論は次の仕事に譲るような記述になっている。
本当に難しいんだと思う。それでも、ここまで詳細に哲学・政治学のテキスト・議論を引用しながらまとめあげ、それを真っ向からアップデートする試みは東さんしかできないと感じました。 -
「最初に人間=人格への愛があり、それがときに例外的に種の壁を越えるわけではない。最初から憐れみ=誤配が種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである。」
「人間とは何か?」を考えていたわけではなく、「人間とは何であるべきか?」を考えてきたのが哲学で、大衆化に応じて語られた哲学でさえ、大衆を包含した概念を語れていなかった。その意味で哲学は未だ近代以前である。シールズに代表される市民運動も未だ概念にはなっていない。著者が常日頃言っている、近代以降を説明し時代を変える概念(例えばそれは自由や公平)を探った試論が本書。
シュミット、コジェーヴ、アーレントなどの思想を説明し、その課題を揚げて試論につなげていくスタイルで、よくもまぁこれ程整理できるもんだと感心する議論の進め方で、著者の要約力がスゴいので自分が頭がいいという錯覚に陥る。
ジョン・ロールズが正義論を発表したのが1971年で、リベラリズムの歴史は結構浅い。世界を覆うかと思われていた公正の哲学は、ポピュリズムの噴出によってただの理想だったことが露呈した。
リチャード・ローティーの書くとおり、正義は普遍性を放棄し本音と建前という矛盾を受け入れるんだろうけど、それはとても人間的な社会ではある。
匿名でネトウヨ発言をし、目の前のマイノリティには寄り添う。そんな風にやりたいようにやればいいのだ。 -
2018/07/14 購入
2018/08/21 読了 -
よくわからんかったけどおもしろく読み進められた。
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【農学部図書館リクエスト購入図書】☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/cgi-bin/opc/opaclinki.cgi?ncid=BB23460816 -
大衆社会の実現と動物的消費者の出現を「人間ではないもの」の到来と位置付け否定しようとした20世紀哲学。大衆であり労働者であり消費者たる観光客は、公共的役割を担わず歴史にも政治にも関わらず、国境を無視して惑星上を飛び回る、人文思想のまさに敵。
ことばの定義、文脈における用途からしっかり理解していかないと読めない難しさがありますが、何十年もかけて考え続けた結果でありプロセスなのですから、面白くて当然なのです。