第5巻スピリチュアリティと教育 (講座スピリチュアル学)
- ビイング・ネット・プレス (2015年12月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784908055058
作品紹介・あらすじ
ホリスティック教育、リベラルアーツ教育、ファシリテーションと教育、道徳教育、宇宙意志と宗教教育、伝統芸能における「わざ」の継承、臨床教育学・・・、様々な分野を通して理論と現場から教育とスピリチュアリティの有り様を探る。
感想・レビュー・書評
-
以下引用
言葉と行為が一致し、存在に芯と揺るぎのなさが宿る人格がある。そのような真に教育者と言える人物
スピリチュアリティは必ず、自己を否定するもの(自己を超えたもの)を必要とする
講義で伝達されるのは、自分がここにいてもいなくても世界はまったく変化せず、同じように進んでいくというメタメッセージ
教養とは、自分を深化し、場持てる力を引き出す、潜在力を引き出すような力。自分自身が単線的かつ表面的な評価軸でのみ存在しているのではなく、内奥から声を持った存在であることに気づき、他者の声聴く存在となる
究極性は、宗教ではなく、宗教性を示す概念
日常生活における人間の行動は、そのほとんどが習慣的なものである、とくに注意や気づきを要することなく自動的に生じる。そのさい意識はいわば半覚醒的にあり
教育とは、鳥の鳴き声を聞き、大空を見、えもいわれぬ樹木の美しさや丘の姿を眺め、それらとともに、感じ、本当にじかにそれらにふれること
スピリチュアリティは、教えるものではなく、一人一人が自分の身体や心を通して自ら気づき、自分なりに一歩一歩納得しながら身につけていくもの
宗教的な色合いは避け、スピリチュアリティや瞑想という言葉もほとんど使わない
森に学ぶライフサイクル
チェックイン
輪になって座ること
そこにいる一人一人の経験や知恵を引き出し、相互作用の中で新たな学びや創造を促す役回り。参加者自身が、気づき、発見し、学び合い、想像し合える場をどう創れるか、したくなる場をどう作るのか
開いた道徳は、ソクラテスやイエスのような道徳を人格的に示現した人物の模倣、精神的合一によって伝えられるもの。愛と自由に力点が置かれた、純粋な体験に基づく道徳教育。神秘的生の道と呼び、開いた道徳は、神秘的経験によって開かれたものであった。
神秘的経験とは、純粋に直接の経験と解されるもの、解釈の加わる以前の経験である。彼らは、自分の内部に自分自身よりも優れたものを感じているから、少しも不安を抱かず偉大な行動人として示現し、神秘主義を見神や恍惚や忘我としか見ない人たちを驚かすのである、彼らが受け入れたものをさらに彼らの周囲へと拡げずにはやみえぬ要求であり、彼らはこの要求を愛の躍動として感じ取る。偉大な神秘家の言葉、あるいはその模倣者のうちのひとりの言葉が、われわれのうちに反響を見いだすとすれば、それはわれわれ自身の胸底に神秘家が1人眠っており、目覚まされる機会をひたすら待っているからではないだろうか
カノンによる教育は、神秘的生の一つであったことは否定できないが、制度的宗教の閉じた道徳に回収されがちだった
直接相手と向き合っている対面性と、逃げ出すことのできない当事者的な現場性である。臨床にはいつでもここに実在するという現場感覚がみなぎっている、ひりひりした緊張感
同時にそれは、一挙に開かれていく遊びの身体性とつながっている、固定観念や仕組みを破る臨機応変力を生み出す土壌ないし母胎。
遊動、遊戯的身体知を実現し表現しているそのような身体知臨床りよう
臨床の知とは、ある事態や状況に穴を開ける知。穴の開く時と場において、その場の関係性の中に風穴をあけ、チャンネルをあけ、身体を媒介として、通じ合い、多次元的に対話する開かれた身体知の営みそれが臨床の知であり、臨地の知である。
そして臨床や臨地の知に欠かせない臨機応変力とは、遊行性と即性だ。その時その場で組み立て、編集し、即座に、即応、対応する。臨機応変を生み出す臨床教育学
生命がのびていきたがっている方向を、いのちのコンパスとしての霊性であると指摘してきた
こどもの命の核にある伸びていきたいという部分に教師がどれだけ働きかけることができるかが学校教育の根幹である。そのためにも、命の核に触れはたらきかけることができなければならない。そこには臨機応変する即身が必要である詳細をみるコメント0件をすべて表示