食物中毒と集団幻想

  • パピルス
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  • Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784938165291

作品紹介・あらすじ

中世ヨーロッパに猛威をふるった黒死病と魔女裁判。フランス革命時に地方で多発した恐慌。一八世紀後半以降の人口の急増。一六八九年、マサチューセッツ州セイラムで起こったアメリカ史上最悪の魔女裁判-こうした無関係にみえる歴史上の現象の背後には、知られざる麦角中毒症という原因があった。穀物、とくにライ麦に付着するカビの毒素(マイコトキシン)が、人間の免疫機能を損ない、中枢神経に作用してLSDと同様の効果を及ぼし、広範な集団幻覚を引き起こした。

感想・レビュー・書評

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  • これはおもしろい。黒死病やフランス革命に先立つ大恐慌、セイラムの魔女裁判などに見られる集団幻想の症状がライ麦に発生する麦角菌による中毒症状であるという論文集。

    中世のヨーロッパは人口の増加率が伸び悩んだが、これはそれまで考えられていたような「人口増と飢饉・伝染病による大量死」のシーソーだけでは説明できないのだという。たとえば、腺ペストはそれが大流行するほどの人口密度があった場所は当時ごく限られた都市部だけであったし、疫病の広がりに不適当な地域でも流行期には人びとの死亡率が上昇している。出生率の低下と死亡率の上昇にはなにかべつの変数が介在しているのだ。

    麦角菌は主にライ麦に発生し、摂取すると痙攣・幻覚といった神経障害や出生率低下など諸々の症状を引きおこす。本書では、中世から十九世紀にかけて集団ヒステリーや魔女裁判、さらには熱狂的宗教運動といった形をとって欧米各地に起こったできごとが、いずれも気候的・風土的な理由から汚染されたライ麦を摂取せざるをえなかった地域・時期に発生していることを詳細な統計から説明している。これまでヨーロッパの精神史とのみみなされてきたこうした事件がたんたんと生理学的説明を得るさまには知的興奮を覚えずにいられない。

    僕は前からセイラムの魔女裁判に興味があったのだけど、それが集団ヒステリーによるものだという理屈だけでは、たとえば家畜が変死したといった事実については従来説明がつかなかった。それが麦角中毒によって説明がつく。

    麦角中毒は近年の急速な人間の健康状態の改善によってすでにその症状が忘れられようとしている病気だったので、現代の科学でなかなか顧みられなかった。人類の繁栄と衰退は『銃・病原菌・鉄』ではないけれども戦争、感染症、テクノロジーにばかりによっていると考えがちである。しかしつい最近まで、人間の体は、それじたい自然の一部として、つねに様々な毒物にさらされていた。考えてみれば「人間の健康をむしばむ毒物は技術によって生み出された負の遺産であって自然はつねにあらゆる生命を育む慈悲ある環境である」というのは現代特有の思い込みなのだ。そういう意味で、ヨーロッパに限らず、いたるところの人間の健康史、食物史、精神史観を見直すことにまで思いを馳せさせる刺激的な本。

    ただ読みものとして書かれたわけじゃないので専門家じゃないと統計を論じる箇所などはちょっとしんどい。

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