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- / ISBN・EAN: 4949478081271
感想・レビュー・書評
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ヴィム・ヴェンダース監督を観るぞ。
原作・脚本が、劇作家で俳優のサム・シェパード。サム・シェパードかっこいいよねーー。(この映画の出演はないない)
ヴィム・ヴェンダース監督を初めて知ったのは『ベルリン天使の詩』公開に伴い日本で「お洒落で素敵な映画!」と大々的に宣伝されたことでした。
その後のテレビ放送時に観て「ハリウッド映画の派手さわかりやすさとは違ったこれがヨーロッパ映画なのか、たしかにおしゃれだなー」と思いました。その後テレビ放送で『パリ・テキサス』を観てみました。最初は退屈でしたが…、…、…、最後にはまさに目から鱗がボロボロおちたような、私にとっては「日本人よ、これが映画だ」(アベンジャーズの宣伝文句)と見せつけられたような映画体験になりました。そうか、これも映画か。
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テキサスの砂漠を彷徨う男。くたびれきったスーツに赤い野球帽。モーテルに着いてぶっ倒れる。
医師が、男の持ち物に書いてあった連絡先に電話をする。電話を受けたのはウォルター・ヘンダーソン(ディーン・ストックウェル/以下ウォルト)で、ぶっ倒れている男はウォルトの兄トラヴィス・ヘンダーソン(ハリー・ディーン・スタントン )だとわかる。
兄弟4年ぶりの再会だった。
4年前、トラヴィスは妻子を置いて失踪した。トラヴィスの妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)は3歳の息子のハンターをウォルトとアンのもとに残して消えた。ウォルトとアンとハンターはすっかり本当の家族になっている。
ウォルトに迎えられたトラヴィスだが、最初は全く口を利かず、表情も変えない。目を話すとまたテキサスの砂漠に彷徨い出る。
さすがに怒ったウォルトが迫るとやっと口を利く。
「パリ。パリへ行ったことはあるか?今から行こう」「欧州は遠いよ」するとトラヴィスは大切に持っているのは写真を見せる。砂漠のど真ん中に「売地」の標識の立った土地だ。「ここはパリで、自分が買った土地だ」というトラヴィスに、ウォルトが訪ねる。「これはパリじゃなくてテキサスだろ?パリ、テキサスか?」
「パリ」が、無言無表情だったトラヴィスの最初の言葉。写真を見せてフッと笑う。
…すごい映画だな。
テキサス州のパリは、トラヴィスとウォルトの両親が出会って結ばれた土地だ。トラヴィスにとっては、自分が宿った土地なのだ。
父親がいつも言っていたジョークは「妻はパリの女だ。…テキサス州のパリだよ」
トラヴィスは数年前にその「テキサス州のパリ」を通信販売で購入した。だが彼自身、その土地がどこなのかわからないのだ。
兄弟はロサンゼルス郊外のウォルトの家に着く。トラヴィスは、最初は息子のハンターとも馴染めない。ハンターも少年なりに葛藤しているのだ。
5年前、みんなで海に遊びに行った8ミリフィルムを見る。笑っている二組の夫婦と幼いハンター。
ハンターは、トラヴィスの眼差しで、自分が捨てた妻(ハンターの母)を愛していることを感じる。しかしハンターにとってのママはアンであり、ジェーンは「彼女」なのだ。
では「パパ」は?ウォルトとトラヴィス両方がパパ?今のパパとママ(ウォルトとアン)は家族だけど、本当のパパとママ(トラヴィスとジェーン)が死んだとは感じない。どこかで歩いたりお話しているって感じてきた。
トラヴィスとハンターが少しずつ距離を縮めていくころ、一緒に歩くのは気恥ずかしく、道路のあっちとこっちでお互いを見ながら、少しふざけながら歩く様子が微笑ましい。
少しずつ距離を縮めるトラヴィスだが、アンには不安が募る。ハンターはもう自分の息子だ。トラヴィスはハンターを連れて行ってしまうのか?
ウォルトも、兄のトラヴィスを助けようとしながら、ハンターを失うことを怖れ、しかし自分が決断できる立場ではないこともわかっていた。
それでもアンはトラヴィスに話した。ジェーンは、ハンターをウォルトとアンのもとに置いていった後も、アンには電話をかけていた。最後の電話があったのは一年前。その後は毎月決まった日にハンター宛に送金を続けていた。送金の元はヒューストン。
トラヴィスは、ハンターに「ママを探しにヒューストンに行く」と伝える。ハンターは「やっと会えたのに?僕も行く。ママを探したい」。
7歳のハンターは、金髪ストレートの美少年なんだが、鋭い感性を持っているし、学校帰りの衝動的に「今からパパ(トラヴィス)と一緒にママ(ジェーン)を探しに行く!」という、案外トラヴィスの風来坊気質を受け継いでいるようだ。そしてトラヴィスとは違ってちゃんと人とコミュニケーションも取れるぞ。
ヒューストンの銀行で、二人はジェーンを見つけた。
尾行したジェーンの車は、「覗き部屋」へ入る。覗き部屋は、マジックミラーで仕切られた小部屋に入り、客からはガラスの向こうの女の子が見えるが、女の子からは客が見えない。
部屋の向こうにいるのは、確かにジェーンだった。
トラヴィスと認識しないジェーンの姿をガラス越しに見るトラヴィス。
見始めて何度も思ったことをここでも感じる。「すごい映画だな。」
向こう側には妻がいる。妻は自分を認識しない。話をする。モニター越しの距離だ。
店の外で待っていたハンターも多くは聞かない。ママはいたらしい。だが詳しく話せないみたい。
トラヴィスは、ホテルでハンターに録音を残して一人で出発した。
「君は自分をパパだと分かってくれた。でも留まることは無理だとも分かってしまった。ずっといたらまた傷つけてしまう。だから君をママに返す。パパはママと君を引き離してしまったのだから」
トラヴィスとジェーンの二度目のガラス越しの対面。
トラヴィスは、ガラスの向こうのジェーンの元に向かって話す。
「知り合いの人達で」若い美女と年齢が上の男が出会い、愛し合い、結婚し、貧しくも幸せな暮らしを始めた。だが妻を愛しすぎた男は心の均等が崩れていく。酒に溺れ、してもいない妻の浮気を責め、妻のあいを試す。やがて子供が生まれる。男は家庭を作るために真面目になった。だが今度は妻が壊れた。怒り、暴れ、逃げようとする。男は妻を縛り付ける。そしてある夜男は消えた。気がついたら5日走り続けていた。誰も自分を知らない土地に。
ジェーンが気がつく。
「トラヴィス」
ガラス越しに再会する二人。
ここの撮影が、過去の本心を打ち明けるトラヴィスではなく、それを聞くジェーンにカメラが向いているんですよ。トラヴィスの声だけが流れ、ジェーンが表情を変えていく。ガラスの向こうの客が話す男女に自分を重ねる、そして向こうにいるのはトラヴィスと気が付く。ガラス越しに、二人の顔が重なる。
ジェーンもトラヴィスに本心を告げる。
ガラス越しに語る二人。トラヴィスは、息子のハンターが近くにいることを告げる。迎えに行くと答えるジェーン。
……「すごい映画だな」
トラヴィスは「自分は君には会えない」と、ハンターのいるホテルを告げて部屋を去る。
駐車場で、ホテルの窓の向こうでジェーンとハンターが再会したことを確認したトラヴィスは、どこへともなく去っていく。彼の役割は、愛する妻と息子を引き合わせることで精一杯だったのだ。
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淡々とした撮り方のロードムービーなのだが、人の心の流れがしっかり見える。
内容は深刻なんだがところどころ笑える場面もある。絶望しても、人間は「生きている」と感じられる映画だ。
そして私にとって映画とは、ドラマチックな出来事を起承転結で描くものだけではない、ヨーロッパではこんな映画があるのかーーと、目から鱗が落ちまくった映画なのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宝物のように、自分の心の中にしまって置きたい作品。
そして時々そっと開いて観返したい。人生の節々で。
「離れていても、相手を感じながら生きる」そんな生き方を、7歳の男の子が教えてくれた。
(1984年 フランス/西ドイツ) -
父トラヴィスと息子ハンターが歩くマネをするところ。「今から」「行こう」という会話。ハンターが枕の下に家族の写真をいれるところ。トランシーバーで色々話すところ。そして最後、恐る恐るそして力強く母を求める息子、くるくる回るところ。鳥肌が立つところが・・・。本当にいい映画。不器用な親子、恋人を描く。ギルバート・グレイプと同じ監督だった。
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父と子、母と子、夫と妻、義両親と子の、関係性の距離感が、かわいかったり寂しかったりする。ライクーダーの音楽も好き。
とても好きな映画。
「あらすじ:テキサス砂漠に実在するといわれる地“パリ“を探して放浪の旅に出たトラヴィス。疲労こんぱいのあげく、飢えと渇きで、とあるガソリンスタンドに倒れ込んだ彼を、知らせを受けて飛んできた弟が引き取る。何を聞いてもひと言も発しないトラヴィスを連れて、彼はロサンゼルスの我が家へ帰ってきた。そこには、4年前にトラヴィスが置き去りにした息子ハンターがいたが、妻の姿はどこにもない。始めはぎこちなかった父と息子も、次第に父子の情を取り戻し、二人して妻=母捜しを始める……。カンヌでグランプリを受賞し、ヴェンダースの名前を決定的なものにした。らしい」
http://www.youtube.com/watch?v=okYqX_vQSUY -
学生時代、ロードムービー観るならコレ! って熱弁してる教授がいたのですが、なんとなーくそれで観たいなぁと思ってはいたのですが、なかなか思い出す機会がなく、やっと観れた作品です。
うん。小娘だった当時より、結婚し、子供のいる今、観れてよかった。
ほろ苦く、切ないロードムービー。
男と女、親と子、大切だから、愛しているからこそ、いっしょにいることを選ぶのか、別々の道を選ぶのか。
妻ジェーンとの再会シーンで、マジックミラーが使われているところが、二人のこれまでの恋愛を象徴しているようでなるほどなぁと思ってしまいました。同時にお互いの気持ちが通じ合うのではなく、自分に捕われ、相手を見ることの出来ない者と、ただひたすら相手を見続ける者と。
恋愛って、きっちりと、あなたの気持ち:ワタシの気持ち=50:50 っていうふうには割り切れないし、自分が向いている分だけ相手も自分を見てくれているとは限らない。
愛しすぎて不幸になることだってあるのだなぁと、しみじみそう思ってしまいました。
ストーリーもなかなかよかったのですが、オープニングの乾いた荒野の風景に重なるライ・クーダーのギターの音色、映像の美しさ(ナスターシャ・キンスキーが悲しいほど美しいです)、この二点もこの映画をさらに魅力的にしてくれています。
余談ですが、この映画好きな人は、たぶんバグダッド・カフェも好きなんじゃないかなぁと思います(^_^.) なんというか、乾いた空気感が似ているので。
大人に観てもらいたいロードムービーです。