春にして君を離れ (クリスティー文庫) [Kindle]

  • 早川書房
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  • アガサ・クリスティの誰も死なないミステリー。でも殺人事件よりもある意味怖かった。

    有能な弁護士の夫と3人の子供達に囲まれ順風満帆の人生だと思っていた主婦ジョーン。
    家族のためと思っていたことは、実は自分の自己満足のためだったのではないか…。
    家族や人生についての自分の認識に疑念を抱き、今まで気づかなかった真実に気づいていく…。

    読む人によって解釈や感想は違う本だと思う。自分はジョーンのような親ではないと思っているけど、自分が思っている自分と、他人が思っている自分はどのくらい差があるんだろうか…と読み終わった今でもずっと考えている…。
    Audibleにて。

  • 確か初めて読んだのは小学生の頃だった。全くもって理解できず、途中で放り投げた覚えがある。

    主人公は拠ない事情で手持ち無沙汰な数日を砂漠で過ごさねばならなくなった中年女性だ。彼女はいつでも正しく、善良で、間違いなど起こさない、正義の側にいる人間であると自負している。人生に失敗した(と彼女が考える)者たちは愚かであったせいだと軽蔑すら感じている。
    だが持て余した時間は彼女の頭の中で彼女自身の過去をほじくり出す。果たしてあれは、正しいことであったのか?

    中年女性となった私はこれを読んで心の底から恐怖している。「果たしてあれは、正しいことであったのか?」クリスティは私に問いかける。やり直しのきかない歳になった私は呆然と私自身の過去に対峙している。

    栗本薫氏の解説が秀逸!

  • 嫁いだ娘を見舞い、バグダッドからイギリスへ帰る途中、ジョーンは女学校時代の友人・ブランチと偶然再会する。波乱万丈の人生を送ってきたブランチに同情し、自分の生き方に満足をおぼえたジョーンだったが、列車乗り継ぎに失敗して砂漠で手持ち無沙汰な五日間を過ごすうち、今まで直視しないでいた自分の姿と向き合うことになり……。夫婦や家族という一番密な人間関係に覆い被さる認知の歪みを描いた心理小説。


    最初は自分の暮らしの充実っぷりをアピールせずにいられない保守系主婦のインスタをつい眺めてしまうような気持ちで楽しむイライラエンタメなのだが、ミステリー仕立ての回想シーンに引っ張られて読み進むと、どんどんジョーンの弱さを通して自分の弱さと向き合うことになる、そういう恐ろしいところのある小説だ。他人(家族含む)をコントロールしたいという欲望や、「幸せに見られたい」という見栄、「あの人よりマシ」という優越感は誰の心にもあるが、肥大すると手につけられなくなる。本屋ではジェーン・スーの本と一緒に陳列してほしい。
    途中までは「ロドニーなんでジョーンと結婚したんだよ」と思っていたが、安定を手放すことも悪人になることも選ばなかったロドニーは結局ジョーンと似た者同士なのだろう。だからこそレスリーに憧れていた。ジョーンは自分にコンプレックスを感じさせる人を遠ざけてしまうが、ロドニーは自分のコンプレックスを受け入れて相手を尊敬することができた。それが彼の美点だ。ロドニーの上着に挿した赤いシャクナゲがレスリーの墓碑に落ちるシーンは、この小説屈指の静かな名場面である。
    ジョーンは結局自己開示に失敗し、今まで通りの自分を選んでしまう。それを予見したサーシャの台詞を読み返すとまた痛いのだが、ジョーンが砂漠で神に祈ったことは無駄だったかといえばそうではないと私は思う。自分で自分を信じられなくなった人にこそ、神に祈るという行為が必要なのだと思うからだ。ジョーンはそれをあまりにドラマチックに捉えたがために、砂漠を離れると同時に反動がきてしまったのだが、この後も砂漠での祈りがフラッシュバックして彼女を少しずつ変えていかないとも限らない。ジョーンと同じく聖人ではない読者は、その力を信じたいと思う。
    それにしても、こんなに内省的で地味な話をちゃんと面白く読ませるクリスティーはやっぱりすごい。物語の推進力にミステリーの構造を使ってエンタメに仕上げていると同時に、端々に読了後も意味が定まりきらない小さな謎がぽつぽつと散りばめられていて、砂利のなかで光るビーズのように印象に残る。レスリーとエイヴラルはジョーンから遠いだけに奥深い人物造形で謎が多く、別の角度からも彼女たちを見てみたいという気持ちにさせられた。こういう奥行きが、単に中年女性のミッドライフクライシス小説を読んだという以上のものを心に残してくれる。

  • SNSで評判になっていたため手に取った。怖い小説という前情報があったが、ホラーのような怖さではなく、「自分の人生は間違っていないか?嘘をついていないか?」と心配になるような、そういう怖さであった。怖いよりも、可哀想とか、やりきれないという気持ちの方が強い。

    主人公はイギリスの田舎町で弁護士の夫と暮らす48歳の女性。子供は3人、みな自立して生活しており、それぞれ家庭も持っている。自分は良き母親、良き妻として幸福な家庭を築き、何不自由のない充実した人生を送っている...と思っている人物。旅行中のハプニングをきっかけに彼女が自分を見つめ直し、目を背けていた真実に気付くというストーリーだ。

    前半部分は主人公ジョーンの一人語りがうっとうしく、うんざりしながら読んだ。本人は自慢のつもりではなく、単に自分の話をしているつもりなのだろうけど、聞く人には自慢にしか聞こえないということが実生活でもあるが、まさにそのパターンだ。ジョーンは「模範的な市民」という雰囲気の人で、娘や旧友から「面白みがない」と言われるのも頷けるところ。とにかく人の心の機微を理解できない人物として描かれている。

    彼女はその「正しい」視点や価値観を疑うことなく生きている。それに合わない人は見下し、哀れむ。家族を愛し、「正しい」方向に導くため舵を取ろうとする。夫が弁護士を辞めて農場経営をしたいと言えば「キャリアや子供のため」に引き止める。娘の友人関係にも口を出す。それなのに、自分は正当に感謝されていない、と思っている。「自分のことは考えず、皆のことばかり優先してきたのに」と。

    実は感謝されるどころか、その強引で独善的な言動が周りの人にことごとく疎まれていることに気付いていく過程は恐ろしい。とはいえ最初から好感の持てない人物だったので、どんでん返しというほどではない。一読者としては、「当然嫌われるでしょうね...」と思いながら読み進めた。そこからジョーンに何が起こるのか明かされるラストがこの小説の「トロ」の部分で、前半の溜めがよく効いていて面白かった。

    栗本薫さんによる文庫版のあとがきも良い。一層理解が深まった。むしろ、このあとがきが自分にとっては一番のどんでん返しであった。ジョーンの夫ロドニーは優しく我慢強い人物だと思って読んでいたのだが、実は彼にもことの責任があるという。家族なのにジョーンと向き合わず、彼女の欠点をただ見ないようにしてきたからだ。
    「ちゃんと彼女と向き合わなかったのはロドニーであり、また、彼自身も、ひそかに愛していた友人の妻がありながら、おのれの人生に対してつねに不誠実であり、怯懦でもあったのだ。怯懦と怠惰、という、ジョーンの罪ーそれはまさしく罪、としか言えないのだが、それについて、決してロドニー・スカダモアも《無罪》とは言い得ないのである。」

    確かに、農場経営をしたいという夢を反対されて、納得がいかなかったのなら、気が済むまで反論すればよかったのだ。それでも夢を捨てられなければ、離婚という選択肢も(今ほど簡単ではなかったにしろ)あったはずだ。それがどれほど恐ろしく、疲れるものであったとしても。

    ロドニーはただ内心でジョーンを見限っただけだった。たとえ夫婦を続けたとしても、それは受け入れるのとは違うのではないだろうか?心の中では「君はひとりぼっちだ」と見捨てているのだから。ある種の優しさではあるが、冷たさでもあり、逃避でもある。ジョーンだけでなく、ロドニーも自分自身がした選択の結果と責任を引き受けることになる。その重みがこの小説の教訓であり、余韻であると思う。

  • 恐ろしい、ひたすら恐ろしい本。
    妻ある男性と駆け落ちすると言い張る娘と、父親が対峙する場面などは、
    流血惨事のどんなホラーやオカルトより恐ろしい。
    自身の人生は不幸であり続けたことを認め、お前もまた愛する男性に同じことをするのかと問う、父の渾身の説得。父の捨て身の説得にたじろぐ娘。その場でやりとりを聞いていながら、真意をいっさい理解しえない母親の、救いがたい鈍感さ。
    世の中にこれほど恐ろしいことがあるだろうか。

    何より怖いのは、この独善的で、おのれが見たいものだけを受け入れる、この上なくおめでたい母親を、自分とはまったく別の人間だと切って捨てることができないところにある。
    私にも間違いなくこうした部分がある、と気づかされた。それが何より怖かった。

    大枠のプロットとしては、オー・ヘンリーの短編とよく似ている。「帰宅すればいつもいるはずの妻が不在であったことをきっかけに、それまで彼女をうっちゃっていた自身を省みて自責の念にとらわれるが、妻が所用から戻ってきた瞬間、またいつも通り外出しようとする夫」の話。

    栗本薫の解説もとてもよかった。

  • クリスティーはこんな作品も書くのか!
    ジョーンは生まれ変わるチャンスを掴んだのに、あと少しのところで手放してしまった。解説に、ロドニーは、「優しい哀れな夫のように描かれているが、実は彼もまた自分勝手で不誠実な人物なのだ」と書いてあった。
    被害者面ばかりするのではなく、ジョーンが周りの人に愛され過ごすことのできるように道を正してやるべきだったのだと。
    ジョーンのような人は、実際多い。
    ミステリではないが、中々おもしろかった。

  • 夫と三人の子に恵まれ家庭に充ち足りた裕福な夫人。結婚した娘が病に倒れ、看病のため中東へ。英国への帰国途中、列車のトラブルで足止め。有り余る時間のなか夫人は内省に耽る。そこで自分は誰からも愛されていなかった事実と、それに気づいていたが見ぬふりを続けた自身の怯懦を悟る物語。己を客観視できない者とその家族の悲劇はどんなホラーやミステリーより背筋が寒くなる。

  • 最初に読み終えた時の衝撃は
    いまでも 忘れられません。

    ミステリーの女王 クリスティが描いた
    誰も殺されない 

    でも 心底ゾッとする
    静かな静かなミステリーです。

    主人公は、夫と二人の子どもに恵まれた
    初老の婦人 ジョーン。

    家族や友人に頼りにされ
    "良妻賢母"としての人生を謳歌しています。

    そんな折、娘の看病で訪れた
    バグダッドからの帰途。
    悪天候で 列車が立ち往生したことから
    ふと、過去の記憶を手繰り寄せ
    吟味していくうちにー
    というストーリー。

    「自分が知る自分像」
    「自分が信じ込んでいる自分像」
    それが、足元から覆されてしまったらー。

    一心不乱に織り上げてきた
    タペストリーの柄が
    実は、全く違う模様だった

    って、こんなに
    恐ろしいことはないですよね。

    クリスティが描く女性像には
    時代を超えたリアリティがあって

    「いるいる、こんな人!」
    と 誰かと言い合いたくなります。

  • 自分の人生について
    生き方、考え方について
    越し方行末をじっくりと考えることは怖い。

    その時、その時は、最善と思って決めたことも
    自分の価値観、考え方の癖、
    そして、別の答えを選ぶ怖さもある。

    灼熱の砂漠の中、ジリジリと焼かれるように
    過去を見つめ、考えさせられる主人公。

    誰の心の中にもいる人なのかもしれない。

    いつかはいなくなる人生の生き方について
    さまざまな視点から考えさせられた。

  • クリスティがこんな作風の作品を書いていたなんて!
    ミステリーじゃないけれども、ある意味ミステリーよりもゾクっとする。

    田舎弁護士の妻として、夫を支え子供たちを育て、家庭を守っていることに誇りを持って生きてきた女性、ジョーン。そんな彼女が、ひとり自分の人生を振り返る時間を持ったとき、心の変化が起こる。

    ほとんどがジョーンの独白なのに、ちっとも飽きさせない。予想できる展開なのに惹きつけられ、読者としてジョーンに対する気持ちが変わっていき、しかし最後は夫に対する印象まで変わる。


    家族のために良かれと思ってやってきたことがこんな結果になっていたら悲しすぎる。でも、現実世界では珍しくもない話だと思うし、自分がそうでないとは決して言えない怖さがある。
    若い頃ではなく、子育てをしてきた今読んだからこそ感じ入るものがある。丁寧な心情描写はさすがアガサ・クリスティと思わされた。

    あぁ、怖かった。

    -----
     
    ジョーンは支配的であったかもしれないけれど、話の中盤では同情していたロドニーの振る舞いがジョーンをこんなふうにさせた側面がある、とラストシーンで感じた。
    ほんの数行で印象を変えてしまう表現力が見事!

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