「100分で名著」でチェーホフの回を見て読みたくなった。
収録された13編のうち、5作品を読んだ。
作品ごとに解説が付けられており、理解を深められるところが良かった。
チェーホフの作品からは、メッセージが届かない、気持ちの流れが一方通行な感じがする。
ラストで宙ぶらりんにさせられる感覚や、余白を感じる。
その読み心地が好きだった。
『ワーニカ』
奉公先で酷い目にあっている9歳のワーニカは、主人一家が出かけたクリスマスイブの日に、じいちゃん宛に手紙を書く。
ここで受けているひどい扱いを並べ、助けてほしい、迎えに来てほしいと綴った。
じいちゃんとの楽しい思い出を思い浮かべながら手紙を書いたワーニカは、手紙をポストに入れに行くが……。
必死に手紙を書く姿はいじらしく、可哀想な環境をなんとかしてやりたいという気持ちになった。
しかし全く救いのないラストで、私の心に穴をあけられた感じがした。
「えっ……」となる終わり方に、ただただ虚しさを感じた。
読んだ作品の中で、一番好きな短編。
『中二階のある家』
語り手の画家は、中二階のある家の二人の姉妹に出会い、妹ミシュスに恋をする。
しかし人生観の違いから、姉とは対立が絶えなかった。
風刺的な色合いが強い作品だと思った。
語り手である画家の言葉が印象的だったので、引用したい。
「ぼくの考えでは、診療所や、学校、図書館、救急箱といったものは、現在の条件のもとではですね、人々をますます奴隷にする役に立つだけです。民衆は巨大な鎖にがんじがらめに縛られているのに、あなたはその鎖を断ち切ろうとはせずに、新しい鎖の環を付け加えているだけでしょう。これがぼくの信念ですよ」(P96)
「大事なのは、アンナがお産で死んだということではなくて、アンナやマーヴラやペラゲーヤといった女たちが朝早くから真っ暗になるまで、身を粉にして働き、手に負えない重労働のせいで病気になり、飢えた子供たち、病気の子供たちのことを一生びくびく心配し続け、死と病気を一生恐れ続け、一生治療を受け続け、早くから色あせて早くから老け込んでしまい、ゴミと悪臭の中で死んでいく、ということなんです。その子供たちも成長するにつれて、同じことを繰り返すようになり、そんな風に何百年が過ぎ、何十億もの人たちが結局、動物よりもひどい生活をしてきたんですよ——一切れのパンのために絶え間ない恐怖を味わいながらね。(略)」(P96,97)
『いたずら』
主人公の男の子は、ナージャという女の子とソリに乗る時にだけ、耳元で「す・き・だ・よ、ナージャ!」と囁く。
乗り終えてからは知らんぷりしているので、ナージャは不思議に思い、あの声は囁きなのか風の音なのか、何度もソリに乗って確かめようとする……。
この物語には「雑誌版」と「改訂版」の二種類のラストがあり、この本では比べやすいように二段組にして並べて載せられている。
雑誌版はハッピーエンドという感じだが、私は改訂版のほうが好みだった。
改訂版からは「なんであんないたずらをしたんだろう」という乙女心をもてあそんだような、思春期の過ちのような感じが醸し出されていた。
解説を読んでみると色んな解釈ができ、一筋縄ではいかない作品なのだと分かる。
『役人の死』
主人公は劇場で前の席の役人にくしゃみをかけてしまう。
それが気になって何度も謝りに行き、しまいには役人を怒らせてしまうが……。
解説によると、実話を参考にして書かれた風刺短編のようだ。
滑稽なストーリーだが、些細な失敗がずっと気になって謝らないと気が済まない、ということは現代の我々にもあると思う。
しかし主人公の大袈裟な感じは、相手に申し訳ないから謝るというよりは、自分の身を守るために謝っているようなものだと思った。
『せつない』
辻橇屋の主人公は、一週間前に息子を亡くしていた。
そのことを誰かに話したいと思っているのに、誰も聞いてくれない。
話したいことが山ほどあって、悲しみを共有したいと思っているのに……。
「ふさぎの虫」というタイトルで知られている作品。
この物語の原題は、ロシア語で「トスカ」となっている。
「トスカ」には、憂愁、哀愁、所在なさ、空っぽな感じなど、様々な意味が込められており、日本語にするには難しいという。
主人公はこの「トスカ」を抱え、どうしようもない気持ちになっていたのだろう。
ラストで主人公の心が晴れたのかどうかは分からない。
恐らく「トスカ」を克服することはできなかったのだろう、と私は思う。